2007年(平成19年)4月20日発行
- 中国研究をとりまく困難の中で
- 理事長 池田 知久
- よく分からないままに
- 大上 正美
- 三国志学会の設立
──学際的な研究の場を求めて
- 渡邉 義浩(大東文化大学)
- 委員会からの報告
- [論文審査委員会]三浦國雄
──学際的な研究の場を求めて
- 平成19・20年度評議員交代のお知らせ
- 選挙管理委員会委員長 竹下 悦子
中国研究をとりまく困難の中で
理事長 池田 知久
日本の中国研究について、色々な意味で困難または逆境に遭遇していることが指摘されるようになって、すでに久しい。昨年10月の大東文化大学における第58回日本中国学会大会の最後に、三浦國雄氏の提案により「中国学への提言――外から見た日本の中国学研究――」と題するオムニバス講演会が開かれたのも、研究する者の側からこの困難・逆境を何とかしたいと願ってのことであったと思う。
私自身、この問題を痛いほど身にしみて感じたのは、前任の国立大学を退職して今の職場、私立大学に移ってからのことである。特に、勤務校の中国学科(もと中国文学科)の入学定員を150名から100名に減らさざるをえなくなり、その100名を何とか充足させるにも四苦八苦と言うか七転八倒と言うか、多大の困難が伴うのに加えて、中国学科の入試の合格ラインが望ましい高さに行かないなど、といった現実を毎年否応なく体験させられて、その原因はどこにあるのか、その処方はどうすればよいのかを真剣に考えざるをえなくなっている。勿論、これは直接日本の中国研究それ自体の低迷を意味するわけではなく、18歳前後の若者の大学受験における学科選択の動向の一つであるにすぎないが、しかし、こういったことは、私の聞き及んでいる限りでは、相当多数の大学の中国研究、さらにはアジア研究の学科で一斉に起こっている問題のようである。18歳前後の大学受験を目指している若者と言えば、やはり日本の中国研究を支える裾野であり後継者の卵であるから、ことは軽視することができないのではなかろうか。
すなわち、近年では、大学などの研究機関で、多くの中国研究・アジア研究の学科が、入学・進学する学生数の減少や専攻する若手研究者数の減少に苦しみ始めているが、それだけでなく、一般社会においては勿論のこと学問の世界においてさえ、人文学を軽視する傾向も強まっている。このまま進んで行くならば、中国を始めとするアジア諸地域の思想・歴史・語学文学などの文化を研究する学問は、古典研究であれ現代研究であれ、文献研究であれフィールド・リサーチであれ、いずれも遠くない将来、若い学生の求めるものではなくなる恐れがあり、引いては日本における中国研究・東洋学・アジア研究の衰退が危惧される状況に陥るかもしれないのである。私としては、何とも難しい時期に理事長をおおせつかったものと、頭を悩ませている。
以上に記した私の些細な体験を含めて、中国研究の遭遇している困難・逆境の現象については、我が日本中国学会の多くの会員諸氏の共通認識になっている。しかし、その原因や処方については必ずしもそうではなく、議論をまだ十分に尽くしておらず、行動にもまだほとんど踏み出していないように思われる。
例えば、原因について言えば、かつては小泉首相の中国・韓国などを疎んずるアジア外交政策が重要な原因となって、中国・韓国などにおける若者の反日抗議行動を招き、それが回り回って日本の若者の間に中国・韓国嫌いを増加させている。だから小泉首相がやめて別の首相に交代し、日本政府のアジア外交政策が変われば事態は好転するのではないか、などと言われたこともあった。しかし、今日、小泉首相がやめて安倍首相に交代し、政府のアジア外交姿勢が多少は変わったと感じられるにもかかわらず、事態が好転するきざしは一向に見えてこない。こういったことも原因の一つではあろうが、原因は複合的で錯綜しており、もっと根源的で深刻であるかもしれない。日本中国学会の会員相互の間で、本格的な議論を行ってみるに値する問題であると思う。
これに関連して以前から気にかかっている問題がある。冷戦終了後、中んづく9・11の同時多発テロ事件以後、グローバリゼーション・グローバリズムという名の普遍主義が全世界を席捲したのに伴って、日本の若者の間に(理知的悟性的な面ではなく)情動的感情的な面で、自己をグローバリゼーション・グローバリズムの側に同定する者が増加しているのではないか、ということである。と言っても、グローバリゼーションというものがすべて悪いわけではなく、通信機器の発達による情報のグローバリゼーションなどからは誰しも恩恵を被っているし、それに、善し悪しに無関係な分野で人々がグローバリゼーションを受け入れていることも少なくない。ただ、我々の中国研究という学問にとって、到底無視することができないのは、文化や価値などのグローバリズムである。文化や価値などに関して、唯一の世界普遍の標準、つまりグローバル・スタンダードというものがあり(実際は現代アメリカの文化観・価値観など)、それと異なる中国を始めとするアジア諸地域に固有の文化や価値などは、世界普遍の標準に及ばない、落ちこぼれたものとする認識や主張であるが、こういった認識や主張が盛行した場合、日本の中国研究・東洋学・アジア研究が困難な状況に陥り、従来の隆盛を維持することができず、衰退に向かわざるをえないは明らかであろう。
上に触れた、若者の情動的感情的なグローバリゼーション・グローバリズムとは、現代アメリカの文化観・価値観などに何とはなしに染まった若者が、中国・韓国などアジア諸地域の人々・文化・国家を落ちこぼれと感じて蔑視することを言う。私の個人的な体験でもこういった学生が近年確実に増えているが、中年以下の若い教員や大学院生から聞いたところによれば、ホームページの「2ちゃんねる」に書きこまれた最近の日本の若者のアジア蔑視には、目を覆うものがあるという話であった。
中国研究の遭遇している困難に、どのように対処すればよいかという処方についても、格別、妙案があるわけではない。しかし、上にも述べたように、我が日本中国学会はそのために必要な議論をまだ十分に尽くしてはいないし、困難から抜け出す行動をまだほとんど起こしていないように思われる。それだけに、議論の余地、行動の余地はまだいくらでもあるということになる。
ところで、日本中国学会が毎年ルーティーンとして行っている仕事は、多くの会員・役員諸氏の献身的なご尽力に支えられて、多種多様のおびただしい量に及んでいるにはちがいないが、しかし敢えて単純化して最も重要なものを挙げるならば、10月に2日間の日程で開催される口頭発表の学術大会と、同じころ発行・配布される学術雑誌『日本中国学会報』の二つに絞ることができよう。この二つを真面目にきちんとこなすことこそ学問の大道であって、それ以外は特に必要がないという考えもあるし、これ以外のあれこれに手を出すのは、しんどくて気が重いという感じもする。したがって、この二つにプラスして、中国研究の困難を乗り切り研究をより活性化するために、実際にどのような行動を起こすべきか、起こすことができるかという問題となると、やはりまず議論をしてみて会員諸氏の間でコンセンサスを得なければならない。こうした行動を起こすか否かは、費やすべき労力・時間・経費と挙げられる効果とを十分に勘案して、結局のところ、会員諸氏の総意が決めるものだからである。
ただ、今までにすでに会員諸氏の間で強い共通認識になっている議論や、また実際に行われて必要性・有効性の確かめられている処方をふまえて、平成19年度から将来計画委員会の提案によりまず「ホームページ委員会」を立ち上げることになった。平成18年度まで研究推進・国際交流委員会の中に、金文京氏を座長とするホームページ・ワーキンググループが置かれてホームページの作成・更新など運営に当たってきたが、それを現在の状況に合わせて一段階グレードアップしようという処置である。この委員会の任務は、ホームページの作成と更新、学会諸事業の予告と案内、各種委員会の議事報告、電子メールによる照会・問い合わせの窓口対応、中国学関連のホームページへのリンク、データベースの作成・管理・公開など、と定められている。これによって、日本中国学会の会員諸氏に対するサービスが多少向上するだけでなく、会員諸氏と学会のパイプが太くなることを通じて、特にインターネットを頻用・常用している若い世代のご意見やご要望が学会に直接反映するようになることを期待したい。
もう一つ、かねてより重点的に取り組んでみたいと考えている問題がある。それは現代日本の中国研究、特に現在の日本中国学会の中国研究を世界に発信して、我々の中国研究の国際的競争力・影響力を強化すること、と言うよりも実際にはそれらを回復することである。この問題に関する悲観的な現状分析や取り組み強化の必要性も、久しい以前からずっと指摘され続けてきた。今日ではすでに、多くの会員諸氏の共通認識になっていることと思う。
と言うよりも、私にとっては考えまいとしても頭から離れない脅迫観念となってしまっている。そこで、少々無理をしてでも海外で開かれる国際会議に出かけていって研究発表を行ったり、時には嫌がる若手研究者を無理に誘って海外での研究発表を強要したりしている。研究内容上、自分にとって大して収穫がない場合が少なくないが、それでも参加することに意義があるというオリンピック精神で参加しているわけである。このような理想的とはとても言えない参加形態は、ただ私だけの例外なのであろうか。
近年は以前と比べて、中国・台湾・韓国・欧米などで開かれる中国文化・アジア文化の国際シンポジウムは増加しており、それに参加する日本の研究者も相当数に昇っているようである。これはこれで大いに慶賀すべきことであり、私もその意義を認めるにやぶさかではない。しかし、今日ではこの方面について個人個人の努力も勿論不可欠であるけれども、日本中国学会の組織的活動としての取り組みが求められていると思う。――我々の中国研究の国際的競争力・影響力を強化するために、日本中国学会の組織的活動の一環として、試行してみることのできる処方が、もっと沢山あるように思われるのである。
以上、新たに理事長の大任をお引き受けするに当たって、前々から考えていたことを勝手に書き散らさせていただいた。多くの会員諸氏のご協力を得て中国研究をとりまくこの困難・逆境から抜け出し、もし可能であるならば隆盛に転じたいと切に願ってのことである。
よく分からないままに
大上 正美
この3月末をもって3期6年担当した副理事長の任期を終える。何もやっていないに等しいというのが実情だったので、やっと解放されたなんて不遜な言い方はできない。それでも、不相応な役目という<重たい感じ>だけはぬぐえそうなのでホッとしている。後は2006年度の決算の責任と、2007年度の予算案の助力が仕事として残っているが、これも実質は担当幹事がとりしきってくださる。
副理事長は2001年4月から実施の会則になって設けられた役職である。どのようないきさつでそれまでになかった副理事長が設けられたのか、その経過には関わってなかったし、組織そのものの実態に関心もあまりなかった不真面目な会員であったから、まったく知らない。会則第10条の2に、副理事長2名が役員として置かれると書かれ、同じく第11条の2には「副理事長及び理事は評議員会の承認を得て評議員の中から理事長が委嘱する」、そして第12条の2で、「副理事長は理事長を補佐し、理事長に事故ある時は副理事長がその任を代行する」とある。だから、2000年秋の大会時に次期理事長に決まった興膳先生から指名されたとき戸惑ったあげく、理事長に何ごともない、あるはずがないから、何もしなくていいのだと、ひとりで思いこむことにした。直前の2年間すこし体調を崩した後だったので、いずれは誰もが担当しなければならない、自分も出来るうちに、とよく分からないままにお引き受けしたのだったようだ。
規模が小さな学会では副何とかの役員は何もしないでいい。何もしない方が会自体が動きやすいというほどの規模の学会のことである。しかしこの日中学会は2000名の規模である。それでも私は、理想として研究会や小規模の学会の持っている精神を基核に忘れないためにも、できるだけいろんな人がいろんな形で静かに動いてやっていく方がよいと思っている。では副理事長というのはどういう役割をしなくてはならないのだろう。2名いるから自分はそのうちに何を担当すればいいのだろう。そういうイメージも浮かばないまま引き受けたのである。私は正直なところ大所帯に向いていないし、もう一度言うがふくれあがっていくことのマイナス面も意識しないでもなかったので、いろんなかたちで静かに動いていることくらいは確かめられたらいいという気持ちであったようだ。
さて、六年をふり返って、したがってなのか、やはりなのか、何もしたわけではない。理事長が会の運営がいささかなりともやりやすいようにお手伝いをするという気持ちだけはあったが、ほんの少しだけはお手伝いをしたような、それすらできなかったような感じでもある。他の方なら精力的に推進力を発揮されただろう。冗談で、理事長が人選を誤ったのだと居直る気もある。ともかく心がけていたことは、各委員会とのパイプ役が仕事の第一、次には実質上の運営を任せられている幹事との意志疎通であったといえば言える。それに徹しきれたわけではないが、ささやかだけれど思うところがある。
連絡係を担当した選挙管理、論文審査、将来計画の3委員会にできるだけ出席した。副理事長は各委員会の構成員ではないが、委員会に出席して意見を聞くだけでなく、意見も述べる。ともかく十分に中途半端な立場で、少々居心地はよくなかった。このスタンスと気分は6年間変わらなかった。そこでは時間をかけて委員会の人たちが実にまじめに熱心に取り組んでおられた。そのことが先ず何よりも印象として残った。あえて言えばそれぞれの委員の、会員としての斯学への関わりの姿として好もしく映ったと。理事長の意向を受けて将来計画委員会が会則の一部変更に取り組んだが、それは執拗な議論と検討であった。論文審査委員会は学術専門委員会(最後の一期だけ参加して雰囲気はうすうす知った)との一長一短はあったが、しかし査読者への依頼や過重なまでの閲読担当者の個別論文の修正の確認など、かなりな責務であった。私には担当外であった編集委員会についても学会便りや学会報の編集も負担が大きい。こちらの委員会にも2、3度顔を出したが、たとえば学会報に展望欄を復活させるという興膳前理事長の強い意向を受けての執筆者の努力とそれをめぐる熱心な議論を前にして頭がさがった。と言うようなわけで以上のような委員会の仕事ぶりに触れ得たのである。それをしかと自分のなかで確認するというのが私の役目であったような気もする。いつも課題として残る事務局問題であるが、しかし今はさしあたり、実質的な運営に当たっている幹事と専従のアルバイト事務の方によって、ある程度軌道に乗っているように思える。この執行事務の体制については興膳前理事長が就任時から危惧して取り組まれた。また幹事の努力と工夫による所が大きい。その際の幹事の労力と不愉快な思いとは少しは知っているつもりであるが、それでも私などの知らないところでの汗と心配りは大変だったろうと思う。やりやすいようにと思いながら、邪魔をしない程度にしか何も関わらなかったことをお許し願うしかない。ともかく民主的な(今では流行らない世相だが)運営のレールをお膳立てされた興膳前理事長とその方針を受け継がれた丸尾理事長に、一会員としても感謝している。
学会というのは何のためにあるのか、つきつめて言えば、私は若い頃からこれといった公の答えを持ちあわせていない。だから入会したのも勤めて暫くたってからだし、どうして入会する気になったかについてもよく思い出せない。そんな不真面目きわまりない会員が執行部にいてはいけないのかもしれないが、それは内部の声を探り当てようとして言っているのだとお許しいただくか。しかしそれにしても、なぜに学会があるのか、を自他に問うことなくしては決して学会が各会員のなかに存在することにならない、ということに関しては、それを問うことから私自身いまだに慣れないとして逃げているのだろう。一応は、自分にとっての研究に刺戟を受ける場、刺戟を与えることができるかと自分に向き合う場、またその内的なドラマを通しての斯学に志す研究者の交流の広がりの場、という程度のことしか答えを持っていない。それすら大仰でストレートで実質を伴わないとりとめのない発語だけれど、この思いは若い頃から変わっていないことを告白しておこう。いや若い頃はそういう場であることをとりわけ期待する思いが強かったから、逆に入会をしなかった(本当は入会の資格がないことを自分で認めていたからだろう)のかも知れない。このような思いを抱いている若い研究者もいるかも知れないから、未入会の方をも含めて、そのような方たちに発言してみたまでである。
以上のように、分からないままに担当し、分からないままに任期を終える。貴重な紙面にこのような私的なつぶやきしか書けなくて恐縮だが、任期を終えて責任上?書かなければならないから、これでも気持ちと主張とは抑えて無理矢理書いたのだとご理解願っておこうか。公的部分や外向けの声は他の方々の本領で、それではと自分は内なる声を書いたが、はたして内的なものの一部でも書けたかどうかも心もとない。
三国志学会の設立
――学際的な研究の場を求めて
渡邉 義浩(大東文化大学)
三国時代は、統一王朝として最も長く四百年も続いた漢の崩壊を受けて、文化の価値観をはじめ、国家の支配体制・社会の構造が大きく変動していく時代である。漢の儒教一尊の崩壊は、文学の経学からの自立をもたらし、建安文学と呼ばれる中国で最初の自覚的な文学活動をもたらした。また、思想面では、儒教に代わり道教が台頭して玄学が起こり、仏教の受容も本格化し始める。歴史学の時代区分論争では、三国時代から始まる魏晉南北朝を中世と捉える「京都学派」と古代と考える「歴研派」との間で、激しい論争が繰り広げられたほど、大きな変革の時代なのである。
その変革の時代の生きざまの激しさを掬いあげた『三国志演義』は、中国の四大奇書の一つに数えられ、毛沢東をはじめとして多くの中国人に影響を与える一方で、日本人にも深く受容されている。
しかしながら、従来の研究においては、建安文学・魏晉の哲学宗教・三国時代史・三国志演義の研究者が一同に会して共同研究を行い、相互の研究成果を披露し、問題意識を共有することはなかった。近年ようやく文学・哲学研究において、歴史的背景が重視されつつあるが、歴史学の協力を仰がないそれは、歴史学の成果を十分には取り入れていない。一方、歴史学においても、文学・哲学研究の成果を取り入れる動きは、本格化しているとは言い難い。
こうした現状に鑑みて、われわれは、建安文学・魏晉思想・三国時代史・三国志演義の研究者が、それぞれの研究分野の垣根を取り払って、学際的な総合的研究を行うことを目指し、昨年の夏に、三国志学会を設立した。
第一回大会で狩野直禎会長が宣言した「三国志学会 設立趣意書」を掲げておく。
一、三国志学会は、研究者だけではなく、三国志を愛するすべての人に開かれ、その交流の場となることを目指す。
一、三国志学会は、三国時代の歴史・文学・思想・宗教のみならず、『三国志演義』を中心とする三国志文化を学ぶすべてのものを結集することを目指す。
一、三国志学会は、日本・中国・韓国・東南アジアをはじめとするアジアの文化交流の架け橋となることを目指す。
以上の目的のため、三国志学会を設立することを、ここに宣言する。
三国志学会の目的は、以上の三点の実現にある。
第一に、三国志学会は、中国学の底辺拡大を目的としている。昨年の秋、大東文化大学で開催された日本中国学会第五十八回大会では、「中国学への提言――外から見た日本の中国学研究」というオムニバス講演会が行われた。丸尾常喜理事長が、「日本の中国学の地盤沈下」と表現する現状にいかに対処するのか。それが講演会の開催趣旨であった。
内閣府の調査によれば、中国が嫌いという日本人は六割強にも達し、三割強の好意的な人々を大きく凌駕しているという。一般の人々の動向は、政治とも絡んでおり、学会や個人の力を超える問題だとは思われる。しかし、一般にも関心の高い「三国志」の学会は、広く門戸を開放して、少しでも中国に関心を持ってもらいたい。三国志学会が、年に一回の大会だけではなく、啓蒙書を監修・編集するのは、こうした思いの現れである。幸い、昨年の第一回大会には、おかあさんに連れられた小学五年生の女の子から、ご年配の方まで、研究者以外の多くの参加者を得た。五年生の女の子は、すべての発表を聞いて、一生懸命メモを取っていた。後生畏る可し。こうした若い世代に、中国に関心を持ってもらいたいのである。
第二に、三国志学会は、学際的な研究の場となることを目的としている。狩野直禎会長(三国時代史)のほか、大上正美副会長(建安文学)・堀池信夫副会長(魏晉思想)・金文京副会長(三国志演義)という三名の副会長が中心となって、それぞれの学問分野の長所を生かしながら、学際的に共同研究の場を作りたい。その成果は、年刊の機関紙『三国志研究』により公開される。第一号(二〇〇六年一二月刊行)の目次を掲げておこう。
講演 狩野直禎「わたしと三国志」
論考 石井 仁「呉・蜀の都督制度とその周辺」
和田英信「建安文学をめぐって」
竹内真彦「呂布の装束
──その意味についての考察」
渡邉義浩「九品中正制度と性三品説」
第一の目的と第二の目的を両立させることは難しい。現在のところ、大会の内容を講演と研究報告に分けて、それぞれ第一・第二の目的を達成することを目指しているが、第一の側面がおろそかにされていることは否めない。今後の課題であろう。
第三に、三国志学会は、アジアの文化交流の架け橋になることを目的とする。狩野直禎会長は、マレーシアの三国志学会に招かれたことがある。タイでは、三国志のTV放送により趙雲が大人気、国王の伯父が「趙雲に学べ」と国民に呼びかけたという。第一回大会では、劉世徳(中国社会科学院)・沈伯俊(四川大学)・周文業(首都師範大学)の三先生をお招きして、劉世徳先生に、「『三国志演義』嘉慶七年本試論」という講演をいただいた(『三国志研究』第二号に掲載予定)。今年の第二回大会では、韓国から講演者をお招きする予定である。
第二回大会は、二〇〇七年七月二九日(日)、大東文化大学で行われる。年会費は2000円で、それ以外の入会資格は設けていない。入会を希望される方は、ホームページより入会申込書をダウンロードして、必要事項をお書き込みの上、メール(sangoku@ic.daito.ac.jp)に添付して送っていただきたい(連絡先、〒175-8571 板橋区高島平1-9-1 大東文化大学文学部中国学科渡邉義浩研究室内 三国志学会)。
三国志学会は、三国志に関心のあるすべての人々をお待ちしている。
平成19・20年度評議員交代のお知らせ
選挙管理委員会委員長 竹下 悦子
平成18年3月31日の理事会で平成19・20年度評議員の交代が承認されましたのでご報告いたします。伊東倫厚会員(北海道・ご逝去)・相原茂会員(関東・ご辞退)に代わって下記の会員が評議員に任命されました。
加藤敏会員(関東) 松原朗会員(関東)
国内学会消息
◎北海道中國哲學會
一月二十七日
・歸朝報告
松本武晃
四月三日
―修士論文發表會―
國吉るり・關村博道
四月二十八日
・『日書』における禹歩と五畫地の再檢討―陰陽道の反閇・通書の速用縱横法等との關係から―
大野裕司
五月二十六日
・嚴可均と石刻資料
水上雅晴
六月三十日
・日本董仲舒研究の囘顧
關村博道
七月二十八日
・『墨子』小取篇の論理
近藤浩之
九月二十三日
・私にとっての北大中哲の三十有三年
伊東倫厚
九月二十九日
―卒業論文構想發表―
・道教と吉田兼倶
酒井康治
十月二十七日
―修士論文構想發表會(1)―
田中由美・山本理惠
十一月十七日
―修士論文中間發表(2)―
胡 慧君・吉田亮太
十二月十五日
・科擧學的形成與發展劉海峰氏 (廈門大學敎育研究院敎授兼院長)劉海峰
十二月十六日
・中國書院敎育的層次性
(湖南大學岳麓書院)鄧洪波
第三十六回大會(兼「東アジアの經典解釋における言語分析」第一回國際學術シンポジウム。八月二十三日―二十五日、於北海道大學百年記念會館大會議室)
學術報告(發表順)
・論易道主剛 (臺灣大學教授)鄭吉雄
・從詞族觀點看『天行健』的意義 (臺灣大學教授)楊秀芳
・「神明」の思想―『易』傳を中心に― (北海道大學助教授)近藤浩之
・從甲骨、金文辭例重看《易經》〈屯〉卦之意象 (清華大學博士研究生)沈婉霖
・16世紀中國における陽明學と老莊思想の出會い―朱得之《莊子通義》を手掛かりに (東北大學教授)三浦秀一
・儒家思想中的知行觀―以孟子、象山、陽明爲例 (政治大學教授)林啓屏
・「心外無法」の系譜―禪學、心學、陽明學、そして武道 (北海道大學教授)佐藤鍊太郎
・《六度集經》言語の上中古間文法史研究における價値 (北海道大學助教授)松江崇
・漢譯説一切有部中兩種佛傳對於佛陀的不同詮釋 (臺灣大學助教授)羅因
・鄭玄と『論語鄭氏注』について (北海道大學教授)弓巾和順
・明經博士家の『論語』解釋―清原宣賢の場合― (北海道大學助手)水上雅晴
・關尹子非先秦作品之語言證據 (中央研究院教授)魏培泉
・荀子思想中的「變化」與「禮樂」及其在「非語言」統治中的角色 (臺灣大學助教授)佐藤將之
・論簡帛典籍中的異文問題 (臺灣大學副教授)徐富昌
・二程子の經學 (藤女子大學教授)名畑嘉則
・惠棟《九經古義》之解經觀念─「經之義存乎訓」探微 (臺灣大學副教授)劉文清
・魏晉南北朝『神明』觀念的變遷 (臺灣大學博士研究生)王家泠
・劉逢祿の經世思想に對する再檢討―「通三統」説を中心として― (北海道大學博士課程)田村將
・日本における『春秋胡傳』の受容 (北海道大學博士課程)松本武晃
○刊行物
『中國哲學』第三十四號(三月)
◎秋田中国学会
春季例会 五月十九日(金)、二十日(土)
・研究授業「秋田の漢籍を読む」 森元弘毅
・漢文学習における生徒のつまずきに関する一考察 秋山恵美
*春季例会は秋田で開催の第二十二回全国漢文教育学会における本会会員の発表を以てその実施とした。
秋季例会 十一月二十五日(土)
・石川伍一の生涯 藤原信悦
・杜甫の死とその後 高橋彰三郎
○刊行物
「秋田中国学会報」第三十号
「秋田中国学会報」第三十一号
◎筑波中国学会
○例会
五月十八日(木)
・王漁洋の詩論―主に神韻説について 荒井 礼
六月一日(木)
・水滸伝研究―水滸戯との関わりの中で 花岡 亜紀
九月七日(木)
・梁簡文帝の晩年の作品をめぐって 鎌田崇嗣
十一月十六日(木)
・南京・丹陽の六朝陵墓石刻とその現状 北島 大悟
◎中国文化学会
○例会
三月四日(土) 筑波大学
・ 王勃「春思賦」考 有馬 みち
・ 皇侃の科段説と学 今井 裕一
九月二十三日(土) 筑波大学東京キャンパス
・バリバリ北京の372日 白井 啓介
十二月九日(土) 筑波大学附属中学校会議室
・ 「南京・丹陽の六朝陵墓石刻とその現状(留学体験記)」 北島 大悟
・ 「中国・日本における宗教的性愛技法の比較考察」 梅川 純代
○大会(六月二十四日)
函館市勤労者総合福祉センター
〔研究発表〕
・崔浩の天人思想 孫 険峰
・萬斯大の祭天思想について 松崎 哲之
・百年前の浙南方言語彙集『甌諺略』 村上 之伸
・『旱霖集』所収の楚辞系作品をめぐって 小嶋明紀子
・晩唐・韋荘の「戦乱」を詠じた詩について 鳴海 雅哉
・ 杜甫「秦州雑詩二十首」小考 谷口真由実
・ 韓愈の「太学生何蕃伝」について 谷口 匡
・ 李商隠の「錦瑟」について 加固理一郎
・ 上海1920年代電影放映情況 白井 啓介
〔講演〕
・江戸における詩人波響 高木 重俊
◎六朝学術学会
○例会
第十四回研究例会 (三月二十八日、於青山学院大学)
・ 宮廷を離れ、自ら賦す―庾信の”単行”詩と隋代北方系詩人の詩をもとに―
南山大学 原田 直枝
・ 蕭衍に関する南史の記述とその小説的要素について
東海大学 榎本あゆち
・ 漢鐃歌『戰城南』に関する一考察―併せて魏鼓吹曲との関係について
東京大学 戸倉 英美
第十五回研究例会 (九月十五日、於二松学舎大学)
・八王の乱における東海王越と方外の士
青山学院大学大学院 島田 悠
・ 六朝宴飲詩原論―梁詩はなぜ千篇一律か
東京大学 大村 和人
・「峴山」「うたげ」再考 京都大学 川合 康三
○大会
第十回大会(十一月十二日、於斯文会館)
〔研究発表〕
・漢魏六朝における詠鳥詩賦について―禰衡「鸚鵡賦」を中心に―
國學院大學大学院 鈴木 崇義
・『蜀志』の叙述と諸葛亮政権 国士舘大学 津田 資久
・愍懐太子の東宮における詩歌創作の新たなる展開―潘尼の詩を手がかりに―
愛知大学 矢田 博士
・六朝人の「狂」の観念について 亜細亜大学 矢嶋美都子
〔記念講演〕
・「魏晋六朝における論語解釈―江煕「集解論語」から皇侃「論語義疏」へ―」
大妻女子大学短期大学部教授 高橋 均
○ シンポジウム
日中六朝文学国際学術シンポジウム(十二月六日~八日、於北京大学)
○刊行物
『六朝学術学会報』第七集(二〇〇六年三月末日)
◎中唐文学会
(補遺)
〇第16回大会(2005年10月7日(金)於かでる2・7)
講演「初唐文学について」 北海道教育大学 高木 重俊
「“一笛風”“人倚楼”与禅語――論晩唐“小杜派”語言藝術観念」
復旦大学(神戸市立外国語大学教授) 査 屏球
「恋愛・伝奇・自注――元稹における自照性と個我意識――」
国学院大学 赤井 益久
〇刊行物
『中唐文学会報』第12号
〇第17回大会(10月7日(土)於杏林大学)
研究発表「晩唐詠史詩における四皓像―李商隠「四皓廟」詩を中心に―」
東北大学大学院 大山 岩根
講演「中国古典籍の流通について」 慶応義塾大学斯道文庫 高橋 智
シンポジウム「中唐文学研究の未来―その深化と可能性を考える―」
パネリスト 佐賀大学 古川 末喜
明海大学 市川 桃子
山形大学 三上 英司
コメンテーター 北京大学(東京大学客員教授) 銭 志熙
〇刊行物
『中唐文学会報』第13号
◎国士舘大学漢学会
○第40回大会(2月19日)
[卒業論文発表]
・王漁洋研究―神韻説について- 荒井 禮
・『聊斎志異』における変身 工 真人
・『笑府』研究-馮夢龍と「笑い」- 篠原 美保
[作詩交流セミナー報告]
・第2回台湾中山大学作詩交流 鷲野 正明
[研究発表]
・米芾研究 平成13年度卒業生 内田 悟之
・唐寅研究 大学院修士2年 大久保裕一朗
[特別講演]
・四庫分纂稿研究 復旦大学教授 呉 格
・日本漢文小説の世界
筑波大学名誉教授 内山 知也
○作詩交流セミナー
・蘇州大学(8月21日~29日)
指導 鷲野正明 参加学生 13名
○刊行物
『國士舘大學漢學紀要』第八號(2006年3月)
◎無窮會東洋文化研究所
○ 常設講座
・ 儀禮正義会読(毎月第2・4日曜日)栗原 圭介
・ 金石文研究(毎月第2日曜日) 進藤 英幸
・ 日知録講義(毎月第3日曜日) 濱 久雄
○ 教養講座
・ 中国詩文講義(毎月第1日曜日) 遠藤 光正
・ 漢詩漢作文(毎月第1日曜日) 遠藤 光正
・ 史伝講義(毎月第2日曜日) 河村 通廣
・ 日本漢詩講義(毎月第4日曜日) 村田榮三郎
・ 幕末文人講義(毎月第2土曜日) 坂口 筑母
・ 源氏物語講義(毎月第4土曜日) 黒須 重彦
○ 研究會
・ 宋史(食貨史)研究會
・ 文人研究會
・ 神習文庫研究会
○ 發表大會
第52回東洋文化談話會発表大會
平成18年11月12日(日)於無窮會東洋文化研究所講堂
〔研究発表〕
・ 三宅真軒について 川邉 雄大
・ 法隆寺戊子年釈迦如来及脇侍像銘文新解 福井 卓造
・ 秋田の平田門人と『古学二千文』の刊行 吉田 麻子
・ 前島密の『廃漢字献言』について 町泉 寿郎
・ 『古今和歌集』巻十九に於ける「短歌」の意義 石井 行雄
・ 『万葉集』は大伴家持が編纂した 中村 昭
○ 研究例會
第49回 東洋文化談話會研究例会 平成18年1月22日(日)
・ 太田錦城『大学』講義とその聞書について―伊藤忠岱書字資料を中心として― 清水 信子
・ 幸田露伴の『字系』について 小林 昭夫
第50回 東洋文化談話會研究例会 平成18年5月21日(日)
・ 『続修四庫提要』雑考―特に編纂の経緯を中心として― 三浦理一郎
・ 蒙古軍はポーランド攻撃に際し、いかなる軍事火器を使用したか 岡田 登
第51回 東洋文化談話會研究例会 平成18年9月10日(日)
・ 近世の藩校・私塾と蔵書閲覧 三澤 勝己
・ 封人小考 長谷川清貴
○ 刊行物
『東洋文化』復刊第96號(平成18年4月20日)
『東洋文化』復刊第97號(平成18年9月20日)
◎明清文人研究会
○月例研究会 於湯島聖堂斯文会館
4月30日
・趙善嘉「徐文長故事評説」 荒井 禮
・フリーア美術館所蔵の徐渭の書画について
荒井 雄三
6月18日
・趙善嘉「徐文長故事評説」 荒井 禮
9月17日
・香港徐文長書画展報告 荒井 雄三
・趙善嘉「徐文長故事評説」 荒井 禮
11月19日
・趙善嘉「徐文長故事評説」 荒井 禮
・徐文長検討会報告 荒井 雄三
◎日本漢文小説研究会
○月例研究会 於湯島聖堂斯文会館
7月16日
・安積艮齊とその師承 佐藤 浩一
10月15日
・良寛の詩 内山 知也
12月24日
・三木愛花『新橋八景佳話』について 荒井 禮
◎名古屋大学中国哲学研究室
○研究会
第37回名古屋大学中国哲学研究会(1月24日)
論文合評(『名古屋大学中国哲学論集』第四号所収論文)
・小崎智則著「『韓非子』の「忠」について」批評 喜納祥子
研究発表
・道家思想と『韓非子』─「其歸本於黄老」の再検討─ 小崎智則
第38回研究会(2月23日)
研究発表
・何休の書例について 田中千寿
・易乾鑿度の宇宙論 趙 立男
第39回研究会(4月25日)
研究発表
・善導の浄土教教化の二方向性 近藤法雄
・台湾管見 竹内弘行
第40回研究会(5月30日)
研究発表
・北朝より唐に至る皇帝受籙の一考察 桟敷高明
第41回研究会(10月19日)
卒業論文・修士論文中間発表
・漢代における天と人の関わり 近藤 優
・東山法門・北宗禅における実践修行について 丸毛俊宏
第42回研究会(12月15日)
修士論文中間発表・報告
・細井平洲と誠の思想 小野真弓
・南京大学留学報告 キング・ロバート・ジェームズ
○国際シンポジウム
日本の中国哲学思想研究:現状と展望(8月1日)
・朝向対話的中国哲学 林 鎮国
・儒教および中国思想史研究の再考 吾妻重二
・国際化時代における日本の中国思想研究と若手研究者の生き残り戦略 佐藤将之
・日本董仲舒思想研究的評述 関村博通
・日本中国「孝」思想研究的評述 佐野大介
・日本中国古代語言思想研究的評述 鄭 宰相
・日本韓非子思想研究的評述 小崎智則
・日本《中庸》思想研究的評述 佐藤将之
パネルディスカッション
・日本の中国思想研究は次の半世紀を生き残れるか?
パネラー;木島史雄・湯城吉信・末永高康 司会;佐藤将之
○講演会(儒教文化研究教育振興会との共催)(9月16日)
・儒教雑感 山下龍二(名古屋大学名誉教授)
○刊行物
『名古屋大学中国哲学論集』第5号(3月)
◎東海中国語・中国語教育研究会
(日本中国語学会東海支部との共催)
第二十四回 五月二十日 於中京大学
・一般教養科目の中国語学習者への指導 王 平
・指示詞”这/那”の虚化現象―数量表現との関連性についての考察― 高 芃
・中国語の丁寧さ 張 勤
・「看到」、「見到」の使い分け 成戸 浩嗣
第二十五回 十月十四日 於名城大学
・漢日同形詞対比研究二十年[1] 朱 勇
・オリジナルイーラニング中国語教育の試み 馮 富栄
・存在文の文頭に現れる介詞”在”について 丸尾 誠
◎中國藝文研究會
○合評會及び研究會
六月十八日(日) 合評會・研究會(立命館大學文學部中國文學專攻共同研究室)
・『學林』第四三號合評
・物語の中の二郞神 ―『封神演義』を中心に― 福岡 千穗
・マキャヴェリの指導者論について 山口 眞貴
・『賢愚經』「波斯匿王女金剛品」と「降六師品」との比較研究 髙井 龍
・王符『潛夫論』夢列篇の夢解釋 今場 正美
・『列子』張湛註中の郭象曰と向秀曰について 堀口 育子
八月二十七日(日) 研究會(立命館大學文學部中國文學專攻共同研究室)
・卜辭に見える「伊尹」の呼稱に關する試 論 阪谷 昭弘
・太初暦制定の背景 山内 貴
・『老子指歸』と『老子』河上公注―「一」「太和」を中心に― 村田 進
・郭象と『論語』 堀口 育子
○出版物
學林四三號(三月)・學林四四號(十二月)
◎大谷大学中国文学会
○大谷大学文藝学会公開講演会
七月十二日 大谷大学メディアホール
・和漢比較文学から東アジア文学へ
京都大学人文科学研究所教授・所長 金 文京
○中国文学会卒業論文中間発表会
十月三十一日 大谷大学講堂棟五階談話室
・飛天について
・中国民間信仰の神「方相氏」について
・中国「花神」について
・水滸伝に於ける宋江についての考察
・韓愈と柳宗元についての一考察
・唐代文学と科挙の研究
・京劇の研究―日本の能及び歌舞伎との関連
・顔真卿の二面性について
・中国の水時計「漏刻」について
・中国妓女考
・『茶経』にみる飲茶法とその発展―「餅茶」について―
・明瞿佑「詠物新題詩集」について
・三国志と三国志演義の間にみられる張冠李戴
○中国文学会学術公開講演会
十二月十二日 大谷大学尋源講堂
・礼と礼学 京都大学教授 池田 秀三
○刊行物
・『文藝論叢』第六十六号(三月)
・『文藝論叢』第六十七号(九月)
◎東山之會
○研究發表 於京都女子大學
二月四日
・唐華清宮与華清宮詩 胡 可先
三月十八日
・欧陽脩の美醜意識とその表現 緑川 英樹
四月二十二日
・中国学界的古代文論範疇研究 汪 涌豪
六月三日
・梅堯臣の鳥虫 湯淺 陽子
七月二十二日
・死を想い生を歌う 乾 源俊
九月十六日
・關於訓詁批評的幾個基本問題 張 猛
十月二十八日
・士大夫の娯しみ―周紫芝『滑稽小傳序』
坂井多穂子
十二月二日
・士人、女人與商人―從元雜劇的受容來反觀白居易《琵琶行》的”劃時代”意義
邵 毅平
○『杼山集』譯註
卷一「五言妙喜寺逹公禪齋寄李司直公孫房都曹徳裕従事方舟顔武康士騁四十二韻」至「五言酬秦山人題贈」
◎宋詞研究會
○研究會
第十回宋代文學研究談話會
五月二十七日(土)於大阪大學・大學院文學研究科會議室
[研究發表]
・宋詞の受容をめぐって─庶民生活と俗文學からのアプローチ─ 藤原 祐子
・宋代における酴醿詩について 中尾 彌繼
・王若虚の經學と蘇軾─金代蘇學のもう一つの側面─ 高橋 幸吉
・曾鞏の散文文體の特色 東 英壽
・天子的盛宴─宋徽宗「文會圖」及其題畫詩─ 衣 若芬
・永嘉學派『詩經』學思想述論 錢 志熙
・陸游と晁氏 筧 文生
○刊行物
『風絮』第二號(三月)
◎大阪大学中国学会
http://www.let.osaka-u.ac.jp/chutetsu/xuehui/index.htm
○研究会
大阪大学・名古屋大学中国学研究交流会 第七回研究会
平成十八年十一月十八日(土) 大阪大学文学部 文法経中庭会議室
・重建懐徳堂復元模型説明(大阪大学・湯浅邦弘)
・「国書所引皇侃『論語義疏』の一考察─『性霊集略注』を中心に─」
(名古屋大学大学院・中国哲学・喜納祥子)
・「白居易の詩歌における音楽描写と「通感」」
(大阪大学大学院・中国文学・谷口高志)
・特別講演「上医医国思想の行方─近代温州知識人の試み─」
(名古屋大学・竹内弘行)
○刊行物
『中国研究集刊』第四十号〔露号〕(六月)
『中国研究集刊』第四十二号〔結号〕(十二月)
『戦国楚簡研究二〇〇六』(『中国研究集刊』第四十一号〔別冊特集号〕)(十二月)
◎戦国楚簡研究会
http://www.let.osaka-u.ac.jp/chutetsu/sokankenkyukai/index.html
○国内研究会合
第二十九回研究会
平成十八年三月二十六日(日)~二十八日(火)
大阪大学中国哲学資料室
・『上海博物館蔵戦国楚竹書(五)』解題(草野友子)
・翻訳「劉彬徽:郭店楚簡の年代及びそれに関する問題の検討」(上野洋子)
・「出土簡帛文献与古代学術国際研討会」参加記(竹田健二)
・『三徳』釈文、「上博楚簡『三徳』の天人相関思想」(湯浅邦弘)
・「上博五『季康子問於孔子』の編聯と構成」(福田哲之)
・『故成家父』釈文(竹田健二)
・「上博楚簡『鬼神之明』と『墨子』明鬼論」(浅野裕一)
第三十回研究会
十月八日(日)~十日(火)
東京グリーンホテルお茶の水 会議室
・「『競建内之』にみえる別筆について
―『競建内之』『鮑叔牙與隰朋之諫』の分篇問題―」(福田哲之)
・上博楚簡『競建内之』『鮑叔牙與隰朋之諫』訳注(草野友子)
・『競建内之』『鮑叔牙與隰朋之諫』の思想構造(草野友子)
・中国古典への〈N-gram分析〉応用に対する若干の疑問(井上了)
・荀子「天人之分」論の論敵―楚簡資料が語るもの―(菅本大二)
・郭店楚簡・上博楚簡の儒家系文献における気(竹田健二)
第三十一回研究会
十二月二十六日(火)~二十八日(木)
松江・レインボープラザ小会議室、島根大学教育学部
・「戦国楚簡における「問君子」の意味
─『季庚子問於孔子』『君子爲禮』『弟子問』を中心として-」(湯浅邦弘)
・「上博楚簡『鮑叔牙與隰朋之諫』の思想と著作意図」(草野友子)
・「上博楚簡『弟子問』考釈」(福田哲之)
・「『弟子問』と『君子為礼』」(福田哲之)
・「荀子「天人之分」論の批判対象―楚簡資料が語るもの―」(菅本大二)
○国際学術交流
平成十八年六月二十六日~二十八日
国際学会「新出楚簡国際学術研討会」(中国湖北省・武漢大学)に浅野裕一・湯浅邦弘・福田哲之・竹田健二が出席し、研究発表を行った。
・浅野裕一「上博楚簡《鬼神之明》与《墨子》明鬼論」
・湯浅邦弘「上博楚簡《三徳》的天人相関思想」
・福田哲之「上博五《季康子問於孔子》的編聯與結構」
・竹田健二「關于上博楚簡《采風曲目》的竹簡形制―以契口為中心―」
九月二日~七日、中国湖南省長沙および上海において新出土簡牘に関する学術調査を行った。
十月二十七・二十八日、「漢学研究国際学術研討会」(主催:台湾国立雲林科技大学・漢学資料整理研究所)に浅野裕一が参加。
・浅野裕一「上博楚簡《君子為禮》與孔子素王説」
十月二十九日、「簡帛研読会與出土文献伝世典籍詮釈論壇」(主催:台湾大学・林義正教授、東華大学・芳伶教授、於台湾・国立東華大学)に浅野が参加。
・浅野裕一「在上博楚簡《競建内之》所見的日食記事之年代」
十月二十九日、「出土文献研読会」(主催:花蓮教育大学・許学仁教授、於台湾・国立花蓮教育大学)に浅野裕一がゲストスピーカーとして招待され、日本における出土資料の研究状況について講演した。
十月三十一日、国立台湾大学で開催された「出土文献研読会」(主催:台湾大学中文系・徐富昌教授)に浅野裕一がゲストスピーカーとして招待され、『太一生水』『恒先』『老子』など戦国楚簡の道家系文献について講演した。
十一月一日、国立台湾大学で開催された「出土文献研読会」(主催:台湾大学中文系・周鳳五教授)に浅野裕一がゲストスピーカーとして招待され、「上博楚簡《君子為禮》與孔子素王説」と題する講演を行った。
十一月八~十日、「中国簡帛学国際論壇二〇〇六」(主催:武漢大学簡帛研究中心、台湾大学中文系、芝加哥大学顧立雅中国古文字学中心)に浅野裕一が参加。
・浅野裕一「上博楚簡《君子為禮》與孔子素王説」
◎中国中世文学会
○平成18年度研究大会
平成18年10月21日(土) 於広島大学文学研究科
・陸機文学における水の表現について―「臨川」 を手がかりにして― 阿部 正和
・梁詩の韻律について 佐伯 雅宣
・韋応物の自然詩について―「賞」字の使われ 方を中心にして 山田 和大
・韓愈の陽山県令左遷期の文章について
渡辺志津夫
・明清小説・戯曲に描かれた鏡中世界―『紅楼 夢』「風月宝鑑」との関係から― 森中 美樹
・『蒙求和歌』四季の部について 章 剣
・菅茶山と頼山陽 西原 千代
・『東瀛詩選』における兪樾の修改―菅茶山の 『黄葉夕陽村舎詩』との比較を通して―
郭 穎
○例会
2月23日
・兪樾研究について 郭 穎
4月20日
・韓愈関係論著紹介 渡辺志津夫
5月25日
・「借東風」と「白羽扇」 角谷 聰
6月29日
・『蒙求和歌』研究について 章 剣
7月27日
・陸機文学における水の表現 阿部 正和
・韋応物詩における「賞」字の使われ方について 山田 和大
10月12日、19日
・平成十八年度研究大会発表補足資料作成
11月30日
・元稹と白居易の音楽描写における相関関係
中木 愛
12月21日
・『東瀛詩選』における兪樾の修改―『日本詩選』の所収詩について― 郭 穎
○刊行物
『中国中世文学研究』第49号(3月)
『中国中世文学研究』第50号(10月)
◎広島大学中国文学研究室
○中国文学研究室研究会
第127回 1月27日
(修士論文最終発表会)
・阮籍研究―賦を中心に― 江本 澄子
・謝霊運研究―東晋詩との比較― 那須 智子
・六朝冤魂小説の研究 仲村 郷子
・李白詩研究―時間意識について― 武田久美子
・韋応物詩研究―吏隠意識について― 山田 和大
・『蒙求』故事の研究―中国における流布と日本における受容― 章 剣
第128回 2月17日
(卒業論文最終発表会)
・六朝説話に見える「神」について 江口 恵子
・李白詩研究 下道 美佳
・『聊斎志異』研究―幽霊譚から孤憤を考える― 山本 友見
・『人到中年』と文化大革命 阿利 有紀
・池莉小説研究―池莉の恋愛観を中心として―
荒川いづみ
第129回 5月22日
・『東瀛詩選』に見られる広瀬旭荘詩の修改
郭 穎
・白居易の音楽表現における「音」の要素の盛り込み方 中木 愛
第130回 6月26日
(修士論文最終発表会)
・文学作品に見られる日中オノマトペの対照研究
―川端康成の『雪国』と『古都』とその中国語訳文を資料として― 趙 婧然
・中日両国人の自然観と美意識―中日漢詩の植物描写を通して― 梁 玥
(修士論文中間発表会)
・慣用句の日中対照研究―「手」という語を含む慣 用句を中心に― 張 蹊
・江戸川柳に見られる『三国志』の人物
葛 暁熹
・和訳紅楼夢の笑いに関する言語の比較研究
孟 麗穎
第131回 7月28日
(卒業論文中間発表会)
・漢高祖功臣の人物像の変遷 水島 彩
・演義の曹操と正史の曹操 中本 雅代
・公案小説の研究 戸田恵美子
第132回 10月27日
(修士論文中間発表会)
・建安文学研究―王粲を中心として― 平尾 智美
第133回 11月24日
(卒業論文中間発表会)
・漢高祖功臣の人物像の変遷 水島 彩
・『三国志』研究―史実と小説の狭間に揺れる曹操 中本 雅代
・『警世通言』第十三巻「三現身包龍図断冤」の研 究 戸田恵美子
第134回 12月15日
(修士論文中間発表会)
・慣用句の日中対照研究―「手」という語を含む慣 用句を中心に― 張 蹊
・江戸川柳に見られる『三国志』の人物
葛 暁熹
・『我輩は猫である』における日中両国オノマトペ の比較研究 孟 麗穎
・日本語の助数詞と中国語の量詞の比較
王 希
○刊行物
『中国学研究論集』第16号(3月)
『中国学研究論集』第17号(12月)
◎廣島大學中國思想文化學教室
第百七十一回研究會(卒業論文・修士論文中間發表)
十一月十日
岡村壽子 王充論
佐々剛平 『韓非子』の統治システム論
指宿直樹 『荀子』の言説と言語
井上和加子 漢武帝研究―人材登用からみる武帝像―
古川明徳 君子論と「賢」者論―『論語』を中心として―
第百七十二回研究會(博士論文發表)
一月二十六日
本多道隆 明末佛教の研究―紫柏眞可を中心として―
第百七十三回研究會(卒業論文・修士論文發表)
二月九日
岡村壽子 王充研究
佐々剛平 『韓非子』研究―『韓非子』の統治システム論―
指宿直樹 『荀子』研究
井上和加子 漢武帝研究―人材登用からみる武帝像―
古川明徳 「賢」者考―先秦儒家をめぐって―
◎中国四国地区中国学会(前号追加分)
第51回大会
平成17年5月28日(土) 於愛媛大学
・遠藤石山の思想―幕末明治期新居浜の漢文文化について―
野田 善弘
・1930年代前半の中国映画における「声」の問題
高橋 俊
・中国現代作家と流行歌曲―魯迅・張天翼の事例から
西村 正男
・ 湖北省における漢川善書の活動現状 林 宇萍
・陳後主の文学―その評価を中心に 久保 卓哉
・ 『荘子』の言説戦略―テクストとコンテクスト
橋本 敬司
・王夫之の体用 溝本 章治
・紹介 愛媛の史跡 野田 善弘
◎山口中国学会
2006年度 山口中国学会例会
日時:2006年6月10日(土)
場所:山口大学人文学部第5講義室
[研究発表]
周天子の「会田」について 長村 真吾
韓国仮面劇(タルチュム)にみられる諧謔性 李 文相
2006年度 山口中国学会大会
日時:2006年12月16日(土)
場所:山口大学人文学部第2講義室
[講演]
関於形勢理論的了解及運用 (武漢大学社会学系教授)桂 勝
[研究発表]
漢代辺境地域における徭役のノルマについて―居延・敦煌を中心に― 中園 尚也
新中国成立から文革発動までの孟浩然研究について-光明日報掲載論文を中心に- 川口 喜治
◎香川中国学会
○第六十六回研究発表会
二月四日 於香川大学教育学部第四会議室
・殷紂研究 丸山由加里
・桃考 國重 摩耶
・台湾の「原住民族教育法」についてーその制定の背景と効果ー 合田万裕子
・何休『春秋公羊伝解詁』と緯書 平尾 留美
◎九州中国学会
平成十八年度(第五十四回)九州中国学会大会
五月十三、十四日 於長崎大学
五月十三日
[文学思想部会]
・李退溪の四端七情論について 全 学哲
・韋叢をめぐる元白の唱和詩について 陳 翀
・良知現成論に於ける格物説の諸相 荒木龍太郎
[特別講演]
・中国経学史上の原典回帰運動 林 慶彰
五月十四日
[語学部会]
・いわゆる「台湾国語」の統語的特徴、その規定的規範化の状況について 有働 彰子
・黄檗宗唐音と唐通事唐音の異同の管見 楊 春宇
・中国語の右方移動 篠原 征子
・元代の戯曲における二人称をあらわす「伊」 宮下 尚子
・福岡大学の中国語教育の現状と展望 甲斐 勝二
文学思想部会
・梁啓超における新民説の萌芽とその発展について―日本亡命前後の新民論をめぐって―
木山 愛莉
・王充『論衡』「乱龍篇」の偽作説について 鄧 紅
・廬山慧遠と文学 薄井 俊二
・〈ブンシフ〉から〈モンジフ〉へ 神鷹 德治
○シンポジウム「高校における漢文教育」
・高校における漢文教育の現状と今後の展望について 松本 透一郎
・授業から見えてきた高校生の漢文力 濱砂 美弥子
・大学入試問題と高校漢文 工藤 玄之
・単元「異文化としての男」 草野 十四朗
〔総合司会〕荒木 龍太郎
〔コメンテーター〕鶴成 久章
○刊行物
『九州中国学会報』第四十四巻(二〇〇六年五月)
◎九州大学中国文学会
○中国文藝座談会
第二二〇回 二〇〇六年一月二十八日
・「酔把茱萸仔細看」考―中国における処置式の語法史― 首藤 直美
・王安石「明妃曲」考 田中真紀子
・明代牡丹燈記と日本の幽霊 小田 悠
・元稹・白居易と『法句経』―「夢遊春」詩唱和を中心に― 陳 翀
第二二一回 三月四日
・曹植「贈白馬王彪」詩について 栗山 雅央
・『世説新語』にみる時間概念 小石 征史
・則天武后朝における女性詩人研究 川上 航
・周作人と江戸庶民文芸 呉 紅華
第二二二回 四月二十二日
・明清楽と江戸文人 中尾友香梨
・早期白話における場所を表す疑問代名詞の歴史的変遷 西山 猛
第二二三回 六月二十四日
・『竇娥冤』における相反する二つの寡婦像 福永 美佳
[特別講演]
・《紅楼夢》之中的”仍”字釈疑 (北京大学)陳 煕中
第二二四回 七月十五日
・朱彝尊と『全唐詩』 有木 大輔
・『中国文学(月報)』と中国語―竹内好らの活動を軸として― 秋吉 收
・銭起の文学活動と「輞川集」 陣内 孝文
第二二五回 九月九日
・唐初の「類書」概念―『芸文類聚』と『群書治要』を手がかりとして― 大渕 貴之
・白居易と洛陽履道里邸 中尾健一郎
・別人同版の中国文学史著作―鄧梅羮と譚丕模の『中国文学史綱』をめぐって― 竹村 則行
第二二六回 十一月十一日
・蘇軾「和陶詩」とその一族 原田 愛
・王状元注『蘇東坡詩集』は偽注か―南宋における出版事情― 甲斐 雄一
・鮑照「蕪城賦」と劉義慶の晩年について 土屋 聡
第二二七回 二〇〇七年一月二十七日
・老舎『離婚』のユーモア表現について 日高 佳子
・元宵節の風俗と文学 吉留 志保
・清代粤西詞学概述 張 学軍
第二二八回 三月三日
・北部呉語における咸山摂の音韻変遷について 平田 直子
・唐宋古文における計量言語学的考察 東 英寿
○日本人と漢籍―日中文化交流研究会 七月二十九日 於九州大学
・『王勃集』をめぐって 道坂 昭廣
・日本中世禅林における杜詩受容―『集千家註批点杜工部詩集』の影響― 太田 亨
・安積艮斎とその師承 佐藤 浩一
○刊行物
『中国文学論集』第三十五号(二〇〇六年十二月)
・唐創業期の「類書」概念―『藝文類聚』と『群書治要』を手がかりとして― 大渕 貴之
・王維の輞川荘「喜捨」と宦官李輔国の専横 陣内 孝文
・白居易の青春と徐州、そして女妖任氏の物語 静永 健
・論「圓」的形式意味―中國古代形式批評理論箚記― 汪 涌豪
・『中国文学(月報)』と中国語―竹内好らの活動を軸として― 秋吉 收
・『長生殿』訳注(十三) 竹村 則行
・試論粤方言「V到C」程度述補結構的歴史來源 劉 子瑜
第59回大会開催のお知らせと発表者募集
会員各位
陽春の候、会員各位におかれましては益々御清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、日本中国学会第59回大会は名古屋大学が準備を担当し、本年10月6日(土)、7日(日)の両日に開催することになりました。
つきましては、下記の要領で研究発表者を募集いたしますので、奮って御応募くださいますようお願い申し上げます。
部会 一、哲学・思想 二、文学・語学
時間 発表 25分 質疑応答 10分
締切 6月末日(消印有効)
◎本年は、一、哲学・思想、二、文学・語学の二部会を予定しておりますが、応募状況によっては部会の増設も考えております。
◎発表は、学術的研究の最新の成果で未公刊のものに限ります。発表御希望の方は、氏名(フリガナ・地区・所属)・発表部会を明記の上、印字した発表題目および梗概(800字以内、テキスト形式のフロッピー添付)を、締切日までに大会準備会宛にお送りください。なお、執筆者による校正はありませんので、完全原稿でお願いいたします。応募者多数の場合は、やむを得ずお断りすることもございますので、御了承ください。
◎大会開催日は、前号の学会便り等でお知らせしましたものとは異なっております。ご注意くださいますよう、お願いいたします。
日本中国学会第59回大会準備会 代表 杉山寛行
〒464-8601名古屋市千種区不老町
名古屋大学文学研究科中国文学研究室
連絡先 TEL 052-789-2265