日本中國學會

The Sinological Society of Japan

『日本中国学会便り』2005年第1号

新体制第3期の初めにあたって
理事長 丸尾 常喜
学会、学界と個人研究
金 文京(京都大学)
日本聞一多学会へのお誘い
牧角(竹下)悦子(二松学舎大学)
先  生
佐藤 浩一(早稲田大学・非)
研修キャンプ
川合 康三(京都大学)
2004年度論文審査委員会報告
委員長 筧  文生
新役員一覧
特定領域研究(A)


新体制第3期の初めにあたって

 

理事長 丸尾 常喜

新理事長としての抱負を書くようにという出版委員会の求めに応じて、今期理事会の基本的なかまえを考えようとして、まず思い浮かぶのは、6年前に早稲田大学で開かれた日本中国学会創立50年を記念する第50回大会のことである。当時の理事長は戸川芳郎氏であった。

興味深いことに、この記念大会は、2000人を超える会員を擁するようになった本会が、文字通り内外の情勢の大きな変化に対応するために大規模な組織改革を追求する時期と重なった。石川忠久前理事長を委員長とする改革委員会において慎重に検討され、理事会、評議員会の審議を経て承認された改革案(新会則案)は、この記念大会の会員総会において正式に提案された。この総会において若手研究者グループから修正動議が提出され、活発な議論が行なわれたことは、このとき参加された会員の記憶にまだ新しいだろう。結局改革委員会によって原案と上記グループがまとめた修正案とのすり合わせが行われ、再提案されたものが会員の投票によって承認され、新会則が成立し、これによって選出された評議員の互選によって新体制最初の理事長に興膳宏氏が選ばれたのは、第51回大会(関西大学)をはさんだ2年後の第52回大会(東京大学)においてであった(両大会当時の理事長は福井文雅氏)。

一方創立50年記念大会の開催を中心とする記念行事の活動は、平成5年(1993)に伊藤漱平理事長によって発議され、次の石川忠久理事長のもとに正式に組織された五十年記念行事委員会(佐藤保委員長)によって準備された。この委員会のもとに作られた記念論集編纂小委員会、学会五十年史編纂小委員会、学会概要編纂小委員会は、記念大会当日までにそれぞれ『日本中国学会創立五十年記念論文集』(汲古書院刊)、『日本中国学会五十年史』、『日本中国学会概要』を完成した。『記念論文集』は旧・現役員及び学会賞受賞者に投稿を求め、計89篇の論文を収め、『五十年史』は「日本中国学会五十年小史」(池田知久氏執筆)、「中国研究この五十年」(哲学・思想は三浦国雄氏、文学は興膳宏氏、語学は佐藤進氏執筆)、創立五十年記念座談会として「草創期の日本中国学会」(出席者伊藤漱平、石川梅次郎、宇野精一、楠山春樹、戸川芳郎、中村璋八氏。司会石川忠久氏。これに藤田祐賢、山下龍二、倉石武四郎3氏の回憶が加わる)、「これからの中国研究」(出席者吾妻重二、今井敬子、宇野直人、岡崎由美、釜谷武志、金文京、小島毅、武田時昌、平田昌司、藤井省三氏。司会興膳宏、三浦国雄氏)と資料及び『日本中国学会報』全50集の掲載論文分類目録によって構成されている。私は今回改めて比較的仔細にこの『五十年史』を通読し、五十年間にわたって本会を維持し、発展させてこられた先輩たちの「営々として」という言葉のふさわしい努力に感謝の念を禁じ得なかった。そしてこれら記念事業が、本会の機構改革と連動して行われたこと、つまり「記念」と「改革」の結合とそれを支えたエネルギーに注目しないではおれなかった。

ある程度の規模を持つ組織において会則を大幅に変えることは、思った以上の困難をともなう。改革案はむろん現況から発想されるものであるけれども、結局は予想によって組み立てられている。したがってしばしば予想の範囲から漏れたさまざまな問題にぶつかる。そういう問題をひとつひとつ克服し、新会則による会運営の基礎を、2期にわたる興膳理事長は作り上げられた。興膳氏は「新体制の四年間」と題する一文(『日本中国学会便り』前号)で、今次の機構改革の趣旨が、「会員がすでに2000人を超えた現在の状況をふまえながら、できるだけ多くの会員の協力を得て、学会の活動を各会員が少しでも身近に感じられるようなものにしていきたい」ということに尽き、その目的を遂行するために、評議員の数をふやし、その中から執行機関の理事会を構成して、会の運営に当たる、六つの委員会が任務を分掌して、理事は各委員会の責任者となり、広く会員中から選ばれた委員によって委員会が構成され、その会務全体を理事長が統括し、副理事長がそれを補佐する、と述べている。これは新体制の要を得たまとめ方である。

たとえば会員諸氏は、近年の『日本中国学会報』の学会展望欄に、単行本・論文目録のほかに、長年姿を消していた全体を通観したコメントが復活していることに気づかれるだろう。これは『五十年史』編集の責任者であり、「中国研究この五十年」の文学の部の執筆者であった興膳氏が、その復活の必要を痛感され、出版委員会にはかり、同委員会が展望欄執筆責任者に要請し、その尽力を得て実現したものである。同委員会はさらに哲学・文学・語学三部門すべてのコメントを通読し、執筆者と意見を交換し、必要があれば書き直してもらい、その責任によってこれを掲載している。展望欄のコメント執筆は負担の大きいものであるが、各担当者は積極的に出版委員会の要請を引き受けてこの任に当たられた。

また出版委員会が作られたことは、『日本中国学会便り』の年2回刊行を強力に保障することになった。掲載される研究動向と執筆者も多様な広がりを見せ、各委員会のその時どきの報告とともに、しだいに記録性と読み物性をそなえた読み応えのある記事がふえている。

大会委員会は、これも専門に大会開催校を選ぶ責任を負う機関として、これまでにない力を発揮できるようになった。さらに委員のなかに必ず数期の開催校代表を含むため、ノウハウの伝達や開催校との連絡が容易になり、おそらく今後の大会内容のレベルアップにもつながっていくであろう。新体制においても幹事の負担は大きく、このことについては前々期の幹事の1人木津祐子氏が『便り』平成15年度第2号の「二年間の幹事経験から」という一文でつぶさに語られているが、これも前期からパートではあるが専門の事務担当者として菊野紀子さんが加わることによって相当に緩和された。

以上を例として他の委員会についてひとつひとつ触れることはしないが、この4年間で新体制の基本的態勢はととのえられた。今期理事会に与えられた任務はそのあとをついで新体制のいっそうの足固めを行うことであろう。そのために理事会の編成においてもできるだけ前期との継続性を重視した。この点を多くの方に御理解いただき、今期も有力な理事会、委員会を編成することができた。3期にわたって理事を引き受けてくださった方もすくなくない。特に新会則の欠点を補正するための作業をつづけてきた将来計画特別委員会は委員長以下全員に留任していただいた。今期は新会則に対する調整案を正式に提案し、全会員の投票に問う年となる。ぜひ活発な討論が行われ、全会員の投票が成功し、よりすぐれた会則が実現するよう、会員の皆さんの御協力をおねがいするしだいである。


学会、学界と個人研究

 

金 文京(京都大学)

私がはじめて日本中国学会の会員になったのは、一九七九年、大学院を出た年のことであった。会員になった理由は、その年の十月に東北大学で開かれた大会で研究発表をしようと思ったからである。大会の前日、仙台に着いた私は、広瀬川の畔の小さな旅館に宿をとった。まだビジネスホテルなどといったものがなく、どこへ行っても旅館に泊まるのが当然、ホテルなどはお金持ちのための施設というのがふつうの時代であった。旅館の部屋で、あらかじめ準備してきた発表原稿を机に置き、時計をわきににらみながら、何度も予行練習をしたことをなつかしく思い出す。当日の司会は、一昨年亡くなられた波多野太郎先生がつとめてくださり、練習の甲斐あってか発表はなんとか無事に終えることができた。あとである先輩から、内容はともかく、時間をきっちり守ったのは感心だと妙な褒められ方をした。終鈴が鳴るのとほぼ同時に発表を終えたからである。

その後、今日にいたるまでずっと会費を納めてはいるが、正直なところ、私はけっしてよい会員ではなかった。大会にはだいたい毎年参加したものの、受付で名前を書いただけで、その辺にいた友人と遊びに出かけたり、あるいは、はなから近くの温泉に宿をとって物見遊山を決めこんだことさえある。さらに告白してしまうと、四年前に副理事長になるまで、実は一度も投票をしたことがない。

ここで今さら自分の不行跡を暴いてみせても仕方がないのだが、こんなことを言うにはそれなりの訳がある。この四年間、学会活動のさまざまな面にかかわって感じたことだが、現在、かなりの会員、特に若い会員の多くは、どうやらかつての私と同じような態度で学会に接しているらしい。学会に入るのは発表をするため、あるいは論文を掲載するためで、それ以外、自分の研究と学会とは無関係と思っている人は多いであろう。評議員選挙の投票率の低さ、毎年の総会出席者の少なさは、そのことを如実に物語っている。このような消極的な会員のあり方を批判しようというのではない。役職についたとたんに君子豹変した私などがなにを言っても笑われるだけであろう。ただしこれについて私なりに思うことがある。

この数年いわゆる国際化のおかげで、私なども中国大陸、香港、台湾など各地での学会に出かける機会が多くなった。その体験からの印象だが、これらの地域の研究者は、自分たちの学界に対する関心が日本の研究者よりも相対的に高いように思える。この点を特に強く感じたのは韓国の学界で、韓国の研究者は、自分の研究よりも自国の学界全体のレベルを上げることにより熱心なのではないかと思う時すらあった。それは長らく中国大陸との交渉が途絶えた空白を埋めようとする後発者の発奮であるかもしれない。それに較べると日本の場合は、国交回復以前にも細々と交流があっただけに余裕が感じられるが、その分、学会、学界全体で団結しようというような緊張感はあまりみられない。

もうひとつ、日本の研究者が学会参加、資料調査などで中国に行った場合、他の諸外国人にくらべて中国側から厚遇を受けることが多いように思う。これはたんなる印象ではない。私は以前、中国でしばしばあるいたずらをやったことがある。書店や図書館などで、自分は日本から来た、韓国から来た、あるいは台湾から来た、シンガポールから来たとでたらめを言って、相手の反応を試してみるのである。人の交流が頻繁になった今では、もうこんないたずらは通用しないだろうが、外国人がまだ珍しかった九十年代初め頃までは、存外ばれずにすんだのである。その結果は、少数の例外はむろんあるものの、日本人だと名乗った場合の待遇がもっともよかった。これは日本人が裕福で、かつ大量に本を買ったりコピーしたりするせいもあるかもしれないが、最大の理由は、やはり日本の学界に対する評価の高さであると思う。その証拠に、日本の事情をある程度知っている人ほど、日本人に好意的であった。

日本の中国学に対する高い評価は、言うまでもなくわれわれの先人が営々と築きあげてきたものである。日本には中国ですでになくなってしまった古い貴重な文献が多数保存されている。日本の中国学研究は長い伝統をもち、研究者のレベルも高い。くわえてアジアで最初に西洋文明を受け容れた国として、欧米の研究方法にも通暁している。これらの好条件の上に先人の努力が積み重なって、今日の日本の学界に対する世界的な評価がある。そしてわれわれはその高い評価の恩恵を有形無形のうちに受けているのである。中国での厚遇を当然のことと思い、あるいは自分の実力の結果と考える人がいるとすれば、それは思いあがりというものであろう。

しかしこのような日本の学界への高い評価にも、近年変化が訪れているようである。影印本の普及、諸外国の研究者のレベル向上、そして国際交流と情報化の時代の中で、日本の中国学が従来と同じような優位を保つことは、次第に難しくなりつつあるように見受けられる。現在でも中国の学界は、日本の研究成果を紹介し、日本の研究者を国際学会に招待することに熱心ではある。しかし実際に出かけて話を聞いてみると、はっきりとは言わないが、日本の学界を従来ほど無条件に重視しているわけではないという雰囲気をなんとなく感じることが最近しばしばある。日本の研究者ではあっても日本人ではない私は、一般の日本人研究者よりもこの点に敏感であると思う。その敏感な私からみると、この変化に無自覚である人が案外に多い。一例をあげよう。

昨今の国際学会ばやりの中で、中国大陸、台湾、香港などでの学会に招かれ、研究発表を行なう日本人研究者は年々増え続けている。しかしその反対に、これらの地域の研究者を招いて、日本で国際学会が行なわれることはきわめて少ない。日本の研究者にとって国際学会の収支決算は、圧倒的に輸出超過である。ここで問題なのは、自分が呼ばれて国際学会に出席するのはよいが、日本で学会を開くために忙しい思いをするのは御免だという風潮がないとはいえないことである。これには日本の学界に国際学会を開くだけの十分な資金がないという事情もあるが、アジア一番の金持ちである日本人がそんなことを言っても信じる人はいないであろう。呼ばれたら来るが、自分たちを呼んで学会を開こうとしない日本人を、これらの地域の研究者たちがどう思うか、立場を変えて考えてみれば明白である。このことは、個人の研究には熱心だが、学会、学界活動には消極的という先に述べた状況ともおそらく無関係ではないであろう。

学術研究は個人あるいはせいぜいグループで行なうものであって、オリンピックじゃあるまいし、所属する国とは無関係だ、という意見もあるだろう。しかしオリンピックだって、本来は個人と団体の競技であって、国家間の競争は厳密にいえばスポーツの精神とは無縁である。にもかかわらず大多数の人が自国のメダル獲得数に一喜一憂して疑いをいだかない。好むと好まざるとにかかわらず、それがわれわれの時代の現実である。研究が本来、個別のものであるとしても、国ごとに伝統や水準のちがいがある以上、国ごとの評価が存在することも、また厳然たる事実である。自分は自分の研究をやるまでだ、という態度には、その自分の研究が実は先人の築いた日本の学界の評価に多くを負っており、われわれには後輩のためにその評価を維持する責任があるという認識に欠けていると言わざるをえない。多くの個人が立派な研究成果を出せば、それが結果的に日本の学界の評価につながるわけで、オリンピックのように国威宣揚につとめる必要はむろんないが、立派な成果を出し、それを諸外国に知らせるための協力体制の一環として、最低限の学会、学界活動はやはり必要であろう。副理事長の任を終えるにあたり、自分のことは敢えて棚に上げて、思うところを述べてみた所以である。


日本聞一多学会へのお誘い

 

牧角(竹下)悦子(二松学舎大学)

「日本聞一多学会」の名前で領収書を書いてもらう度にいつも、「これはどこで切るのですか、何て読むんですか」、と聞かれます。こちらもその度に「ぶんいった」というのは中国近代の詩人で、優れた古典学者でもあった人なんです」と答えます。さすがに事務局を置いている私の大学では、最近は食堂のおばちゃんも「ぶんいった」と読んでくれるようになりましたが、魯迅や郭沫若と違って、日本ではまだ一般的に聞一多の知名度は決して高くないのが事実です。

しかし、この聞一多が我々中国学を志す者にとって、様々な面で尽きせぬ魅力に溢れた文人であることは今更説明するまでもないでしょう。近代の詩壇に新しい格調を切り開いた詩人として、また古代学に新しい視点を持ち込むことによって斬新な学説を多く残した古代学者として、また唐代の詩人の詳細な年譜をはじめ多くの優れた業績を残した古典学者として、聞一多はいまだなお常に新鮮です。近代と古典を切り結ぶ「文学」の諸相を、詩人としての直感と感性をフルに生かしつつ、学問と創造の世界で融合させようとした彼の業績は、文学を対象として学問をすることが、詩的想像力を深く刺激するものであることを、その学術業績の中から語ってくれるものです。

そんな聞一多の多様な側面に、それぞれの立場から様々にアプローチを試みる研究者の集まりが、日本聞一多学会です。

一人の文人の名前を掲げた学会なんておこがましい、と言われることもたびたびあります。しかしそういう批判にはこう答えます。私たちは聞一多という一人の人間だけを研究しているのではなく、聞一多を通じて中国学そのものを新しく問い直したい研究者の集まりなんです、と。

1999年11月、聞一多の生誕100周年を記念して、母校である北京の清華大学で国際学会が開催されました。そのころ聞一多の詩に惹かれ、「死水」を翻訳していた私は、資料と情報の不足に困っていましたので、さっそく出かけて行きました。中国の、国を挙げての聞一多学会の盛況には驚ろかされましたが、愛国詩人としての称揚に留まらない層の厚い研究者の集まりの中から、さまざまの得がたい収穫を手にすることができました。その一つは、聞一族の人々と知り合えたことです。特に聞一多の孫である聞黎明さんは、『聞一多年譜長編』という非常に詳細な年譜を出版された近代史の研究者で、中国における聞一多研究の動向を「聞一多研究動態」として定期的に発表していらっしゃいました。二つ目は内外の聞一多研究者に出会えたことです。それまで一人で聞一多を読んでいた私にとって、同じテーマを語り合える場というものはとても貴重でした。そして、日本から私のほかに参加していらした早稲田大学のグループの方々とお話をする中で、突然日本聞一多学会の構想が出来上りました。

早稲田大学の鈴木義昭先生は長く聞一多研究をなさっており、中国の聞一多基金会や日本の聞一多研究者ともつながりをお持ちでしたので、中国の聞一多学会に倣って日本でも学会を持ちたいとずっと考えていらしたそうです。そこで帰国後さっそく四方に呼びかけてもらいました。私の方は古典研究を通じて聞一多に興味をお持ちの方々に声をかけました。聞一多の魅力に惹かれて予想以上の人数が集まり、翌2000年の4月に、日本聞一多学会が創立しました。

2000年から2002年までは、年2回の大会を開催し、研究発表を行いました。発表内容は以下の通りです。

第1回(2000・6・9 於二松学舎大学)
1、聞一多と『詩経』――十年間の詩経研究史(1927~1937年) 牧角悦子
2、聞一多における花 江川静江
第2回(2000・11・26 於中央大学駿河台記念館)
1、聞一多の初期詩論形成をめぐって――「貴族的与平民的」論争から 小川利康
2、聞一多『詩経的性欲観』について 鈴木義昭
第3回(2001・6・9 於桜美林大学新宿キャンパス)
1、『死水』の動詞の比喩について 加藤阿幸
2、関於聞一多新詩規範化探索過程的考察
聞 黎明
第4回(2001・11・24 於早稲田大学)
1、聞一多『易林瓊枝』について 飯沼果奈
2、聞一多『少陵先生年譜会箋』について 松原 朗
第5回(2002・6・8 於専修大学神田校舎)
1、周作人と戯曲 呉 紅華
2、民国期の宗教研究と聞一多 土屋昌明

また、2002年からは研究大会の他に、会報『神話と詩』を年に一回発行しています。掲載論文は以下の通りです。

創刊号(2002・12)
1、聞一多『少陵先生年譜会箋』について――詩人から学人へ―― 松原 朗
2、神話と戯曲――聞一多の演劇活動――
牧角悦子
3、胡適と伝統――「白話新詩」の文学史的意義づけを中心に―― 横打理奈
第2号(2003・12)
1、中国神話学の夜明け――近代中国の学術と顧頡剛・聞一多の古代学―― 牧角悦子
2、霊性としての神仙――聞一多の道教理解――
野村英登
3、支那哲学史の誕生吉田公平
4、中国の書簡文――聞一多の場合――
鈴木義昭
5、『聞一多伝』日本語版「後書き」 聞 黎明
第3号(2004・12)
1、古代的“詩”の変容――聞一多の古代文学史構想(二)―― 牧角悦子
2、郭沫若『女神』にみる神話回帰の態度
横打理奈
3、聞一多の書簡――英文篇―― 鈴木義昭
4、日本における聞一多研究について 野村英登
5、二〇〇四年聞一多国際学術研討会について
〓  捷

ご覧いただいてお分かりの通り、研究テーマは中国近代文学のみならず、古代学、古典研究、近代学術といった諸分野に広がります。会員のほとんどが聞一多その人を研究するというよりは、どこかで聞一多と関わりつつ諸分野を研究しているという方々です。嬉しいのは、いちど研究会にいらっしゃいませんか、とお誘いすると、前から聞一多には興味があったと言っていってのぞいてくださる方が、分野を越えて多数いらっしゃることです。大会では発表者の研究発表のあとにたっぷり時間をとって、若い方々にも遠慮なく意見を言っていただけるよう、自由な雰囲気作りに努めています。

今年度の大会は、郭沫若研究会との共催を企画中です。「中国近代の文学と学術」というテーマで、聞一多・郭沫若をはじめとした近代の文人たちが、それぞれの文学・学術の分野で、伝統と近代の問題にどう向き合っていたのかということを、魯迅・周作人、また胡適から顧頡剛につながる『古史辨』グループ、そして雑誌『学文』の活動なども含みつつ探ってみたいと考えています。日程は6月25日(土)、会場は二松学舎大学です。参加費は無料(の予定)ですので、ご興味の向きは是非足を運んでいただけますようご案内申し上げます。また、会の活動や、中国における聞一多研究の情報などをホームページに掲載しておりますので、こちらもご参考ください。
会費はありますが、垣根の低い学会です。聞一多を廻る近代文学や、近代学術、古代学の可能性に興味をお持ちの方々のご参加を、心よりお待ちしております。

日本聞一多学会
事務局:二松学舎大学 竹下悦子研究室(1015)
〒102―8336 千代田区三番町6―16
TEL 03―3261―1382(―1015)
メールアドレス e‐takesh@nishogakusha‐u.ac.jp
URL : http://wenyiduo.hp.infoseek.co.jp/


先  生

 

佐藤 浩一(早稲田大学・非)

吉行淳之介に「佐藤さん」というエッセイがあります。「先生」という言葉は使わぬ主義の淳之介が、初対面の佐藤春夫に向かって、気易く「佐藤さん」と呼びかけたという話です(『佐藤春夫全集』第7巻「月報」講談社、1968年)。春夫といえば、門弟3000人と自ら語る人物。それを敢えて承知で「さん」づけで呼ぶというエッセイは、他の執筆者たちが均しく「先生」と記し表敬するだけに、ひときわ目をひきます。しかも初めは気難しそうな顔で座っていた春夫が、次第に機嫌がよくなり笑いはじめたといいますから、さすが淳之介の話術というべきでしょうか。

もっとも、そんな彼も、その後は若気の至りと反省し、次のときからは「先生」と呼びかたを変えたのだとか。跳ね返り係数高き淳之介にしてそうですから、この「先生」という言葉は、やはり素通りしがたいものであることが了解されます。


数年前から、佐賀大学の古川末喜さんの呼びかけで、「杜甫メール」なる交流を細々と続けています。参加者は10名ほど。送返信も自由で内容も自由、制約なき気まぐれメールです。ただし、垣根を無くした交流を期して、「先生」とは呼び合わぬルールだけが存在します。これは古川さんの提案に拠ります。
しかし、立派な研究者であり且つ教育者でもある方を「さん」付けするのは、正直なところ、若造の私には慣れるのに時間がかかりました。百歩譲って頂き、「杜甫メール」では「さん」ではなく、せめて「様」と呼ばせてもらっています。

垣根を取り払ってくださる配慮は有り難い反面、かえって辛いのも偽らざる本音です。少し前、古川さんと一緒に山手線に乗ったときのことです。車中というどさくさに紛れ、「先生」とお呼びしたところ、「あれ、先生とは言わない約束だったんじゃないですか」と苦笑いされた表情は、今もって忘れません。爾来、これまで以上に満腔の敬意を込めて「古川さん」とお呼びするようにしています。

* *

ひとつの考え方として、「先生というほど何でなし」という言葉もあるとおり、むやみに「先生」というと、何やらいかがわしさを覚えることもあります。それを払拭するため敢えて「先生」とは呼ばないのだとすれば、清廉な主義であり、崇高にさえ思えます。
その一方で、院生がしばしば教授を三人称で「さん」付けするのを耳にしますが、私はこれが苦手です。それは特に主義もなく皆に合わせているだけのことかもしれませんが、教授をそう呼ぶことがある種の通過儀礼のごときポーズに、私には見えてしまうからです。

* * *

私自身、はじめて教壇に立ったときは、「先生」と呼ばれ面映ゆく感じたのと同時に、気持ちが引き締まりました。人の目もあります。校外でも、滅多なことはしないよう自覚的になったことを想い出します。

その一方で、日頃親しくしていた人から、突如、呼称が変わり「先生」と呼ばれたときは戸惑いました。そう言えば私も、教員になられた数名の先輩に向かって「先生」とお呼びしたとき、いづれの先輩からも「先生はやめてよ」と頼まれたことがありました。これも自分が言われた立場に置き換えてみれば、なぜ頼みたくなったか理解できます。ちょっと大げさに言うならば、「ああちゃんよく来たね」と親しく声をかけたのに、「老爺(だんな様)!」という予期せぬ答えが返ってきたようなもので、せっかくの親しさが遠ざかる気がしてきます。

水玉ネクタイで知られる元総理大臣は、着任当初こそ記者団に「さん」付けを要望しておきながら、ところが一年も経つと「総理」の晴れがましさに慣れてしまい、「さん」付けされるとムッとするようになってしまいました。怖いのはこれです。「先生」と呼ばれ、思い上がりはしないか、私のばあい大したものではないけれども、未熟を自覚するだけに自制が働きます。

* * * *

しかし、こうした考えも存在します。ある先生は、所属する学校のスタッフミーティングで、全員お互いを「さん」と呼ぶ中、独りなに「先生」と呼んでいるそうです。これは、馴れ合いにならぬようにするためであり、その結果、他の教員からは古くて保守的な人間と思われているのだそうです。なるほど、日頃より徹底して呼び続けているゆえでしょう、とある懇親会で、この先生は古川さんにも「先生」と呼んでいました(!)。 しかし、たとえ保守的であろうとも、考えを貫き通すという点では、淳之介以上の頑なさであり、恐れ入ります。

* * * * *

中国留学中のことです。キャンパス内では、教員だけでなく職員までも「老師」と呼びあっていました。時として、一人称で自らを「老師」と称しているのを耳にすると、事務員にまで「老師」とは変だと思いつつも、私も敬意を表して「老師」と呼ぶようにしていました。

図書館では、出納係の「老師」にぞんざいに扱われ困惑しました。学生たちはどう思っているのだろうと不思議に思っていたところ、ある院生が「あの人たちは老師と呼ばれ自分を老師だと思い込んでいるのだ」と解説してくれました。面従だけして、実は辛辣な見方をしている学生の存在は、印象的でした。
院生同士では、指導教授のことを「老板」と三人称で呼んでいました。日本の「さん」あるいは「御大」に相当するでしょうか。国境を越えても考えることは同じだ、と思ったものです。

* * * * * *

留学中、地の利を活かして、多くの研究者のもとを訪れました。当地での調査結果を基に拙考を書いたときのことです。文末に中国語による謝辞を添え、敬称として「老師」と記したのですが、これを見た中国人から「先生xian sheng」に変えた方がよい、と勧められました。話し言葉では、「老師」は広く使われるが、やはり「老師」とは学校の先生を指すので、出版社の編集者にまで「老師」と記すのはおかしい、とのことでした。謝辞を伝える先生の中には、女性の先生もいらっしゃいます。この女性の先生に対しても「先生xian sheng」でよいのか訊ねてみたところ、むしろ「先生xian sheng」の方が、性別を超えて相手の学識に敬意を表している感じがする、とのことでした。ただし、別な人にも訊ねたところ正反対の意見でしたので、どうやら使われ方に揺れがある言葉なのかもしれません。

中国の出版社の編集者は、みなさん高い学識を有し、「老師」と呼ばれています。それだけに、この方々の敬称を「先生xian sheng」と表記するのは、些か躊躇されました。中国語の「先生xian sheng」は日本語の「さん」であると習ってきた身にとって、不遜な表現となってはいまいかと、おののいてしまったのです。ましてや中華書局や上海古籍の編集者ともなれば、大学教授を兼ねていることも少なくありません。繰り返しますが、私は教授を「さん」付けするのは苦手です。

結局この件は、日本語の論文でも、中立を期して「先生」ではなく「氏」と記すことを思い、「先生xian sheng」と記しました。気付いてみれば簡単なことですが、「先生」という言葉を素通りできなかった一件として、大いに勉強になりました。

* * * * * * *

留学中、各位から大変お世話になったのですが、上海図書館では格段の学恩に浴しました。館員の先生方から多くの厚情を忝なくしたのですが、上述の点から言えば、この先生方も「先生xian sheng」ということになります。しかし、ここの先生方からは、多くの資料と教示を頂いたので、私にとってはまさしく「老師」に他なりません。館員の先生方も、「老師」と呼び合っていましたが、何の不自然も感じませんでした。ただし、ひとりだけ別次元の存在がいました。顧廷龍です。すでに謝世された顧廷龍ですが、館員の先生方は、今なお敬意を込めて「顧老」と呼んでいました。

不思議なものです。「顧老」なら尊称ですが、「老顧」なら「さん」付けです。ひっくり返しただけなのに、かくも響きが異なるのですから。言葉の魅力は尽きません。



研修キャンプ

 

川合 康三(京都大学)

このところ、中国文学の分野でも学会、シンポジウムがおおはやりだ。中国、台湾、香港ではもともと盛んだったが、最近は日本でもひっきりなしに開かれ、応接に暇のないありさまである。そのすべてがすべて、自発的、内発的に開かれているわけでもなさそうで、「学術活動」を目にみえるかたちで活発にしなければならないという、一種の「外圧」が働いている気配もないではないが、ま、何もしないよりはいいのだろう。もっとも主催者にとっては、過度に頻繁な開催は大変な負担になること、前号の「学会便り」で内山精也氏が「中国当世学会事情」と題して、復旦大学の内情を記してくださったことからもうかがわれる。

ところで「研修キャンプ」なるものを御存知だろうか。中国語では「研習営」。日本では聞いたことがないし、台湾でもこの分野では初めての試みであるという。ふつうの学会やシンポジウムとはだいぶ毛色が違うので、この欄を借りて紹介してみたい。

昨年の秋、わたしにお呼びがかかった「研修キャンプ」は、台湾大学中文系の鄭毓瑜教授が主催された「抒情伝統ーー大学校院人文及社会科学教師研習営」というものだった。講師は国内外から十人ほど招聘され、受講者は台湾全土から応募した大学教師のなかから選ばれた三十人。助教授クラスの若手研究者が大部分だが、なかには六十歳を越えた教授もおられた。講師と受講者とが一つのホテルに泊まり込んで、まる五日間、びっしりと講習が続く。まさしく「研習営」という名にふさわしい。一人の講師の話が二時間、それをめぐってコメンテーターの意見と会場からの質疑、またそれらに対する応答が一時間、それが一セットになって、午前と午後に各一回、五日間だから全部で十セット。さらに夜も場所を変えて、より気楽なスタイルの「座談会」と称する自由討論が二晩加えられた。完全に講習漬けの五日間である。

全体のテーマは「抒情の伝統」というもので、各講師の名前と演題は以下のとおり。

王靖獻(中央研究院文哲所)
抽象疏離――那裡時間将我們遺忘

孫康宜(イェール大学)
如何創造新的抒情声音――以明代中期文学為例

川合康三(京都大学)
中国自伝文学中的自我意識

顔崑陽(淡江大学)
「詩美典」的多面向変遷与叢聚状結構――以反思「抒情伝統」的建構討論起点

蔡英俊(清華大学)
抒情美学中「経験」与「意義」的論題――兼論「美感経験」的問題

蔡宗齋(イリノイ大学)
唯識学与「意境」説的興起和発展

陳國球(香港科技大学)
文学史書写中的文体論述与抒情精神的理解

張伯偉(南京大学)
中国文学批評的抒情性伝統

楊儒賓(清華大学)
通天与正直――木的原型象徴
鄭毓瑜(台湾大学)
文本視野――自我与空間的相互定義

このほか、座談会の発言者として、柯慶明、王〓玲、廖棟〓、またコメンテーターとして方瑜、呂正恵、陳明姿、蔡彦仁らの各教授が加わった。わたしの題目はあらかじめ鄭教授から指定されたものだったが、ほかの講師の方も同じように主催者からリクエストされていたかも知れない。直接間接の違いはあっても、ほぼ「抒情の伝統」という全体テーマに沿ったものであった。

「抒情性」は中国の文学の根幹の一つに数えられる重要な問題だろう。しかしもし日本でこのテーマのシンポジウムを開くとしたら、いったいどれほどの人が集められるだろう。かの地では「抒情性」といえば、高友工『中国美典与文学研究論集』がいわば基本文献となっていて、それを共通の基盤としたうえで、それぞれが多様な論を展開している。日本では研究者の層の薄いこともあるだろうが、各人がばらばらに自分の研究をするばかりで、一堂に会して考えるテーマというものが乏しいように思う。共有されたキーワードをもとに、活発な議論が繰り広げられているのを聞きながら、大げさかも知れないけれど、わたしは日本の中国文学研究が世界のなかで孤立してしまうのではないかという危惧を抱かざるをえなかった。

日本の学会で発表や司会をする際、心配になるのは質疑応答に入った時にまるで手が挙がらないことである。今でもありありと思い出すのは、二十代の頃、秋田大学で開かれた日本中国学会で発表を終えたあとのしらけた空気だ。気まずく静まりかえったまま、壇上のわたしは拷問にさらされた状態で、あぶら汗がにじみ出てきた。ずいぶん長い沈黙のあと、やっと入谷仙介先生が口火を切ってくださった時は、まことに地獄に仏の思いであった。そのあと小川環樹先生から、「質問者を用意しておけばよかったねえ、へっへっ」と冷やかされた。

国外ではそういうことは絶対にない。むしろ反対に、相次ぐ質疑に返答しきれないほどだ。発表者に対して何であれとにかくコメントする習慣を、わたしたちも身につけなければいけないと思う。この「研修キャンプ」はもともとみずから志願して参加した方々の集まりであったし、また各人がそれぞれ専門家として一家を成している人ばかりだから、質問が途切れることはまるでなかった。のみならず、質問者自身がおおいに語るというケースも多々あって、会場が盛り上がった。国内の学会では時に悪意とまでは言わないにしても、評価を下すような意見が出るのを見かけることがあるが、これも国外では経験したことがない。提起された問題を一緒に考えようという前向きの、建設的な意見が多いように思う。学会の参加者が成熟しているのだろう。学ぶべきことが多い。

日本では小学校から高校までの先生には何年かごとに「研修」が義務づけられていると聞くが、大学の教師は内地留学の制度がある程度で、研修に相当するものはない。一旦就職してしまえば、学ぶ機会はもうないのである。研修というのは勤務評価の制度などをもちこむよりもずっと実質的な、得るところの多い企画ではないだろうか。雑務ばかりが増えて、研究・教育という本来の仕事に打ち込める時間がますます削られている日本の教師にとって、この企画は羨ましい限りだ。とはいえ、講師、受講者を食事、宿泊も含めて滞在させるためには、相当な予算が必要になる。食事も食べればいいというものではなく、毎回レストランを換えるなど、鄭教授の暖かな心配りがうれしかった。至れり尽くせりの待遇をしてくださった今回の研修キャンプには、膨大な費用を要したという。中国の伝統文化を受け継いでいくためにそれだけの出費をするのが、まさに中国の文化というものなのだろう。人文科学に対して、とりわけそのなかでも中国研究に対しては、いよいよ冷淡になっている日本でも、こんな企画があればと願って、紹介させていただいた。



2004年度論文審査委員会報告

 

委員長 筧  文生

〓.『日本中国学会報』第57集応募論文の審査について

2005年1月20日締切りの応募論文は、31篇(哲学・思想部門12、文学・語学部門19)であった。第56集では32篇、第55集では39篇、第54集では31篇だったことを考えると、今回が特に少なかったわけではないが、今後とも少壮気鋭の会員の積極的な応募を期待したい。そのためにも若手会員の育成に当っておられる各大学や研究機関の指導助言を特にお願いする。

1月30日に在京委員を中心に第2回委員会を開催し、応募論文1篇につき、査読者3名、閲読委員1名を決定した。査読者は、論文審査委員を除く評議員に、テーマによってはその一部を一般会員に委嘱し、閲読委員は論文審査委員から担当者を決めた。また依頼論文4篇についても、それぞれ閲読委員1名を決定した。
3月27日、第3回委員会を開催し、査読者による審査結果をもとに、16篇の掲載論文を決定、修正を要する論文については、査読者から出された意見を、閲読委員がまとめて各執筆者に通知し、執筆者はそれをもとに修正した原稿を、5月末日までに編集当番校である筑波大学松本肇委員宛郵送する。また依頼論文についても、閲読委員の閲読を経た後、同じく5月末日までに編集当番校宛郵送する。

なお、不採用になった15篇の執筆者には、その結果のみを通知する。

なお、論文応募者は、枚数・部数・要旨など「論文執筆要領」を遵守すること。違反しているものは、審査の対象としないことを申し合わせた。

〓.「日本中国学会報」第58集依頼論文執筆候補者について
「日本中国学会報」第58集依頼論文執筆候補者として、哲学・思想部門、文学・語学部門から、それぞれ評議員1名、一般会員1名を選び、5月開催予定の理事会に推薦することとした。

〓.日本中国学会賞の選定について

「日本中国学会報」第56集を対象とする日本中国学会賞については、全評議員にその推薦を依頼し、その結果に基づいて受賞者を選定、5月開催予定の理事会に報告することとした。
以上


新役員一覧

 

日本中国学会平成17・18年度理事会構成

理 事 長
丸尾 常喜
副理事長
大上 正美  藤井 省三
理  事
池田 知久  川合 康三  金  文京
竹下 悦子  竹村 則行  土田健次郎
富永 一登  中嶋 隆〓  堀池 信夫
三浦 國雄
監  事
安藤 信廣  戸倉 英美  松本  肇
評 議 員
相原  茂  青木 五郎  吾妻 重二
安藤 信廣  池田 秀三  池田 知久
市来津由彦  伊藤 倫厚  井波 律子
稲畑耕一郎  植木 久行  大上 正美
大木  康  大島  晃  岡崎 由美
小川 晴久  尾崎 文昭  加地 伸行
釜谷 武志  神塚 淑子  川合 康三
北岡 正子  金  文京  興膳  宏
合山  究  後藤 秋正  小南 一郎
坂元ひろ子  佐藤錬太郎  柴田  篤
須藤 洋一  高木 重俊  高橋  均
竹内 弘行  竹下 悦子  竹村 則行
土田健次郎  戸倉 英美  富永 一登
中嶋 隆〓  野間 文史  花登 正宏
藤井 省三  古屋 昭弘  堀池 信夫
松本  肇  丸尾 常喜  三浦 國雄
向嶋 成美  吉田 公平
顧  問(4月1日現在)
荒木 見悟  石川 忠久  伊藤 漱平
宇野 精一  岡村  繁  金谷  治
楠山 春樹  戸川 芳郎  本田  濟

町田 三郎  村山 吉廣  山下 龍二
幹  事
大西 克也  渡邊 義浩
各種委員会

大会委員会
◎竹村 則行 ○須藤 洋一  薄井 俊二
佐竹 保子  佐藤 大志  杉山 寛行
林   克  芳村 弘道
幹  事
吾妻 重二
論文審査委員会
◎三浦 國雄 ○土屋健次郎 ○大木  康
安藤 信廣  池田 秀三  井上 泰山
釜谷 武志  神塚 淑子  川原 秀城
古屋 昭弘  松浦 恒雄  馬淵 昌也
幹  事
関  清孝
出版委員会
◎川合 康三 ○富永 一登 市来津由彦
門脇 廣文  佐藤  昭 竹内 弘行
平田 昌司  松本  肇
幹  事
橘  英範
選挙管理委員会
◎竹下 悦子 ○小川 晴久  垣内 景子
坂口 三樹  野村 英登  溝部 良恵
山辺  進
幹  事
戸井  久
研究推進・国際交流委員会
◎中嶋 隆〓 ○金  文京  坂元ひろ子
二階堂善弘  麦谷 邦夫
幹  事
渡部東一郎
将来計画特別委員会
◎池田 知久 ○堀池 信夫  久保田知敏
佐藤錬太郎  野間 文史  向嶋 成美
山口 久和  渡部 英喜
幹  事
宮本  徹
各委員会委員長(◎)・副委員長(○)



特定領域研究(A)

 

●民間祭祀儀礼演劇の古記録抄本による伝承と変容の研究 1,300 有澤晶子(東洋大学)

●紅衛兵出版物の研究 900  鱒澤彰夫(日本大学)

●近代における古典籍の出版をめぐる日中学術交流の研究 1,400 陳 捷(日本女子大学)

●王陽明の著作の出版に関する総合研究 1,400 永冨青地(早稲田大学)

●20世紀前半期における旧満州の地域情報に関する出版物の類型化とその特性研究 1,300 藤田佳久(愛知大学)

●国家事業としての口承文芸の採集とその出版―中国「三套集成」プロジェクト― 1,000 手塚恵子(京都学園大学)

●14世紀末朝鮮の中国語学習書についての研究 1,000 田村祐之(姫路独協大学)

●東アジアにおける漢文受容と角筆使用の関係について 1,400 西村浩子(松山東雲女子大学)

●ネットワーク統合型データベースによる東アジア資料の共有化に関する研究 1,400 原正一郎(国文学研究資料館)

●東アジア出版初期における中国の拓本・法帖に関する調査研究 1,500 富田 淳(東京国立博物館)

●中華人民共和国の非公然刊行物における文学資料の調査・研究 1,000 岩佐昌あき(九州大学)

●中国書画の印刷出版環境をめぐる諸問題の文化史的研究
1,000
河内利治(大東文化大学)

基盤研究(C) 新規

●中朝をめぐる歴史認識とその今日的動態についての考察
1,900
成澤 勝(東北大学)

●『中庸』解釈から見られる伊藤仁斎の倫理思想に関する研究
600
遠山 敦(三重大学)

●明代荘学史研究
900
三浦秀一(東北大学)

●洋務世代知識人における西洋体験と文明観の転換に関する研究
700
手代木有兒(福島大学)

●郭店楚簡・上博楚簡を中心とする戦国時代における気の思想の研究
600
竹田健二(島根大学)

●《玉歴鈔伝》について―〈訳注〉及び〈資料集成〉作成を主たる目的として―
1,200
川崎ミチコ(東洋大学)

●南方中国における信仰と歌謡に関する基礎的研究
2,100
山田利明(東洋大学)

●清朝中国ムスリム学者・劉智『天方性理』における中国思想とイスラーム神秘主義
800
青木 隆(日本大学)

●中国六朝時代の社会不安と終末観の形成に関する比較思想史的研究
800
菊地章太(桜花学園大学)

●唐代禅宗思想の研究―『神会語録』の注釈的研究―
1,100
中島志郎(花園大学)

●隋時代彫刻における紀年銘作品の研究
1,400
藤岡 穣(大阪大学)

●「仕女図」から「唐美人図」へ―近世東アジアにおける「美人図」の特色と意味―
2,800
仲町啓子(実践女子大学)

●アジア漢字文化圏における物語と説話の研究
1,800
多田一臣(東京大学)

●中世から近世初期における朝鮮経由の『三国志演義』受容に関する研究
2,400
長尾直茂(山形大学)

●唐代における悲愁の文学
900
松本 肇(筑波大学)

●中国の通俗類書に関する基礎的研究
1,000
伊藤美重子(お茶の水女子大学)

●中国伝統芸能の音曲と歌辞の関係についての計量的研究
1,400
上田 望(金沢大学)

●白居易を中心とした唐代閑適文学の総合的研究
500
埋田重夫(静岡大学)

●「光復」期から笠詩社設立に至るまでの戦後台湾中国語詩の総合的研究
1,300
三木直大(広島大学)

●『牡丹亭還魂記』校合
800
根ヶ山徹(山口大学)

●中国古典通俗文芸研究のための書目データベースの構築と公開
2,500
中里見敬(九州大学)

●唐宋古文の実用面に関する文体論的研究
1,500
東 英寿(鹿児島大学)

●東アジア漢字文化圏の中における琉球漢詩文の位置
1,500
上里賢一(琉球大学)

●詩人としての朱熹に関する基礎的研究―絶句表現の諸相を中心として―
500
宇野直人(共立女子大学)

●宋金元期における唐詩研究
900
赤井益久(国学院大学)

●日本における宋代文学受容史の研究―蘇軾の文学を中心に―
600
池澤滋子(中央大学)

●中国抗日民族解放運動で日本帝国主義と戦ったエスペランティスト・長谷川テルの研究
1,200
戸塚隆子(安元隆子)(日本大学)

●写本により変形された「仏」「老」異言語原典の支謙訳経上での交錯
1,500
小池一郎(同志社大学)

●陳暘『楽書』の研究
1,800
中 純子(天理大学)

●東アジアの漢語方言と諸言語の世代差に反映した音韻変化の方向性
1,200
遠藤光暁(青山学院大学)

●中国語口語との関わりを中心とした中世の仮名法語と禅宗抄物の文体史的研究
1,200
李 長波(京都大学)

●中級・上級に移行しやすい中国語初級教材の開発
800
許山秀樹(静岡大学)

●清朝の『皇輿全覧図』作製とその世界史的な意義に関する研究
1,300
松浦 茂(京都大学)

●近現代日本思想史としての中国古代国家史研究の史学史的意義
700
飯尾秀幸(専修大学)

●唐制の影響からみた日本古代の合議の政務
1,300
川尻秋生(早稲田大学)

●大正・昭和初期日本女性史と台湾―北村兼子と『婦人毎日新聞』『台湾民報』
1,000
大谷 渡(関西大学)

●日本の開国とアメリカ人宣教師―S・W・ウィリアムズと初期日米関係―
1,300
陶 徳民(関西大学)

●東亜考古学会と近代日本と東アジア史研究
1,400
酒寄雅志(国学院大学栃木短期大学)

●中国古代法制の形成過程
800
籾山 明(埼玉大学)

●近代中国における植民地医学の展開と中国社会への影響に関する研究
1,200
飯島 渉(横浜国立大学)

●張家山漢簡による中国漢代制度史の再検討
700
宮宅 潔(京都大学人文科学研究所)

●江西~湖西を中心とした宋朝「政区」の境界に関する研究
1,500
青木 敦(大阪大学)

●中国魏晋南北朝時代の石刻資料から見た女性と婚姻
1,600
東 賢司(愛媛大学)

●徽州史料による元明清期社会変容の研究
1,200
中島楽章(九州大学)

●清代中央官制の研究―内閣・翰林院・都察院を中心として―
500
黨 武彦(熊本大学)

●北朝楽制史の研究―『魏書』楽志を中心に―
1,500
渡辺信一郎(京都府立大学)

●明清時代の広東珠江デルタにおける儒教化の潮流と宗族
1,700
井上 徹(大阪市立大学)

●明末嘉興蔵の歴史学的基礎研究
900
野沢佳美(立正大学)

●チベット中世教会史の解明―聖ツォンカパ伝の研究―
1,200
石濱裕美子(早稲田大学)

●清朝統治期の黒龍江地区における諸民族の形成・再編過程の研究
1,000
柳澤 明(早稲田大学)

●近現代中国における欧米キリスト教宣教師の対ムスリム布教に関する歴史社会学的研究
1,100
松本ますみ(敬和学園大学)

●魏晋南北朝時代の環東海地域における南朝文化伝播の諸相と伝播経路に関する基礎研究
1,200
山本謙治(阪南大学)

●モンゴル国所在の金代碑文遺跡の研究
2,500
白石典之(新潟大学)

●中国壁画墓との図像学的比較による高句麗古墳壁画の研究
700
門田誠一(仏教大学)

●長江中上流域における秦漢帝国による地域統合の研究
600
小澤正人(成城大学)

●寧波の歴史文化についての学際的研究―東アジア海域交流と日本伝統文化形成との関係
3,300
小島 毅(東京大学)

基盤研究(C) 継続

●張家山漢簡『算数書』の注釈および数学史上の意義の研究
1,100
大川俊隆(大阪産業大学)

●中国文化におけるジェンダーの表象に関する研究
900
中山 文(神戸学院大学)

●『詩』解釈から見た『郭店村楚墓竹簡』と『戦国楚簡』の成立
600
薮 敏裕(岩手大学)

●国立国会図書館蔵「天台山記」の総合的研究
500
薄井俊二(埼玉大学)

●南宋後期における「朱子学」形成の基礎的研究
1,200
市來津由彦(広島大学)

●神仙思想の成立に関する研究
500
大形 徹(大阪府立大学)

●清代における幕府と学術の関係について
700
水上雅晴(北海道大学)

●宋元時代の儒教と道教との交渉についての研究
1,200
小島 毅(東京大学)

●近代中国における国学の研究
800
末岡 宏(富山大学)

●唐代道教関係石刻史料の研究
600
神塚淑子(名古屋大学)

●春秋正義の総合的研究
900
野間文史(広島大学)

●『天主実義』とその思想的影響に関する研究
1,000
柴田 篤(九州大学)

●上海博物館蔵戦国楚竹書を中心とした新出土文字資料による戦国儒家思想史の研究
700
末永高康(鹿児島大学)

●朱子学の正統論・道統論とその東アジア的展開
700
土田健次郎(早稲田大学)

●東北における徂徠学の継承と変化について―庄内藩学を中心として
500
瀬尾邦雄(茨城工業高等専門学校)

●日中近代哲学における仏教受容――京都学派と新儒家を中心として
1,500
末木文美士(東京大学)

●南斉・竟陵文宣王蕭子良撰『浄住子』の訳注作成を中心とする中国六朝仏教史の基礎研究
900
船山 徹(京都大学)

●中国西南の宗教演劇職能集団に伝承される道教およびシャーマニズム儀礼文献の研究
1,100
森由利亜(早稲田大学)

●韓国近代儒教改革運動における近代的思惟の形成―西洋・中国・日本のはたした役割―
1,100
井上厚史(島根県立大学)

●17~19世紀の民衆の対外観の研究―対朝鮮・対中国観を中心に
800
桂島宣弘(立命館大学)

●イスラーム存在―性論の中国回教思想における受容と展開
800
松本耿郎(英知大学)

●中国東魏・北斉時代仏教美術にみられる先進性と保守性について
1,400
八木春生(筑波大学)

●上代文学に与えた六朝文学・仏典の影響についての考察
600
瀬間正之(上智大学)

●漢籍の読書抄記―近世中期上方人文社会に即して―
800
稲田篤信(東京都立大学)

●日本漢詩集『東瀛詩選』についての総合的研究
500
高島 要(石川工業高等専門学校)

●文学テクストにおける近現代中国の旗人像の変遷
500
長井裕子(北海道大学)

●江戸期における詩経解釈学史の基礎的研究―詩経関係書目及び解題作成と解釈学史の考察
600
江口尚純(静岡大学)

●中国近代文化史研究―中国近代の自己デザイン
200
遊佐 徹(岡山大学)

●『文選』李善注を活用した文学言語の創作に関する研究
600
富永一登(広島大学)

●阮籍・〓康の受容から見た、六朝詩文における言志の伝統と表現営為の意味
1,200
大上正美(青山学院大学)

●次世代中国古典文献データベース構築の基礎的研究
700
村越貴代美(慶応義塾大学)

●中国に入った日本文学の翻訳のあり方―夏目漱石から村上春樹まで―
700
渡辺新一(中央大学)

●北宋後期~末期における士大夫の文芸とメディア
500
内山精也(早稲田大学)

●1930年代台湾文学における日本プロレタリア文学の影響
500
四方田千恵(垂水千恵)(横浜国立大学)

●宝巻の研究―宗教文芸としての視点から
500
小南一郎(京都大学)

●『説文解字繋伝』データベースの構築
900
坂内千里(大阪大学)

●成化本『白兎記』についての基礎的研究
900
高橋文治(大阪大学)

●オンライン中国20世紀文学事典の完成と充実
800
青野繁治(大阪外国語大学)

●民国翻訳史における西洋近代文芸論受容に果たした日本知識人の著作に関する基礎的研究
600
工藤貴正(愛知県立大学)

●中国桂林の岩洞内に存する唐宋人の墨書と石刻の解読及びその史的研究
1,200
戸崎哲彦(島根大学)

●歌唱形式の宣講による民衆啓蒙活動に関する研究
1,000
阿部泰記(山口大学)

●本邦近世校勘資料に残存せる唐詩旧鈔本本文の集成
600
静永 健(九州大学)

●日本植民地期台湾「皇民文学」の総合的研究―日本人・沖縄人の表現を中心に
800
星名宏修(琉球大学)

●文化の地球化と文学の雑種化―ハーン、周作人、メアリー・ストープス等の場合
1,000
梅本順子(日本大学)

●日本・中国における唐代の著述に関する総合目録作成のための基礎的研究
600
孫 猛(早稲田大学)

●契丹文字と女真文字の歴史言語学的研究
500
吉本智慧子(立命館アジア太平洋大学)

●擬似漢字の字形集合に関する情報理論的研究
800
鹿島英一(九州大学)

●日中・琉中対音資料による中国語音韻史の総合的研究
500
丁 鋒(熊本学園大学)

●台湾原住民諸語の形態・統語に関する類型論的研究
900
片桐真澄(岡山大学)

●言語接触が語彙・文法構造に与える影響に関する言語類型論的研究:日・韓・越語の対照
1,200
堀江 薫(東北大学)

●近代から現代における中国語語彙の変遷と社会的変化の関連性―北京語を基軸として―
800
藤田益子(新潟大学)

●戦国秦漢筆記文字の基礎的研究
500
福田哲之(島根大学)

●中国語のコーパス構築および近世中国語テキストの計量言語学的研究
400
遠藤雅裕(中央大学)

●中国語における空間認知と空間表現についての研究
500
方 経民(松山大学)

●漢字文化圏における角筆文献の発掘調査並びに比較研究
1,100
西村浩子(松山東雲女子大学)

●中国語母語話者に対する社会科学系専門日本語教育のための教材開発
500
五味政信(一橋大学)

●対照研究の成果を生かした中国語母語話者向け日本語文法教材の開発
500
庵 功雄(一橋大学)

●東アジア日本語学習者の発話・知覚における破裂音の習得メカニズムとその中間言語研究
600
福岡昌子(三重大学)

●中国語語圏における遠隔授業に見られる異文化交流の新しい可能性と問題点
500
牧田英二(早稲田大学)

●中国語の口語と文語を効果的に学習させるプログラムの作成とスキルデータ構築
900
林 道生(静岡大学)

●『入唐求法巡礼行記』に関する文献校定および基礎的研究
600
田中史生(関東学院大学)

●昭和戦前期における「支那通」外交官の情報戦略と外務省の中国政策
800
劉 傑(早稲田大学)

●戦時期日本の中国人強制連行に関する歴史的研究
700
杉原 達(大阪大学)

●江戸時代長崎来航中国船の情報分析
700
紙屋敦之(早稲田大学)

●外務省記録にみる近代日中関係と匪賊に関する総合的研究
1,100
田中正弘(國學院大學栃木短期大学)

●清末民初における地方エリートの地域発展戦略の史的研究
400
田中比呂志(東京学芸大学)

●清朝によるモンゴルその他諸地域への民族立法の研究
500
萩原 守(神戸大学)

●ワシントン体制下の中国東北地方政府対日政策決定過程と日中近代文明観相克の解明
200
松重充浩(日本大学)

●中国明清時代の民間宗教と文化・社会構造
700
浅井 紀(東海大学)

●19世紀前半の中国辺境社会における移住、民族関係と民間宗教
1,000
菊池秀明(国際基督教大学)

●19世紀後半における東アジア3港体制の形成に関する比較史的研究
1,000
小風秀雅(お茶の水女子大学)

●近世中国の接壤地帯における物流・人口往来・言語問題
900
川越泰博(中央大学)

●祠廟の記録を主史料とした唐中期~南宋期の王朝権力と地域社会の連関構造に関する研究
1,000
須江 隆(日本大学)

●宋代司法機構の総合的研究
700
梅原 郁(就実大学)

●清朝の官印制度に関する研究
1,300
片岡一忠(筑波大学)

●福建・台湾の宗教文化ネットワーク形成に関する歴史的動態の研究
900
丸山 宏(筑波大学)

●日中戦争期国民政府の戦時徴発と農村基層社会の構造的変容に関する研究
1,100
笹川裕史(埼玉大学)

●20世紀中国における知識人集団の思想と行動―胡適新文化集団の研究―
1,000
緒形 康(神戸大学)

●近代中国における都市と権力―マス・メディアの形成との関連から―
1,000
水羽信男(広島大学)

●族譜および書簡・筆記史料からみた宋代の宗族と地域社会に関する動態的研究
900
遠藤隆俊(高知大学)

●数値史料の電算処理にもとづく明末・財政官僚の施策の合理性に関する基礎研究
300
吉尾 寛(高知大学)

●中華総商会ネットワークの史的展開に関する研究
800
陳 來幸(兵庫県立大学)

●清朝文書システムの研究
1,200
加藤直人(日本大学)

●秦漢・楚簡よりみた中国古代の地域文化の研究
700
工藤元男(早稲田大学)

●黒水城出土宋代軍政文書の研究
1,000
近藤一成(早稲田大学)

●中国・唐末五代期における沙陀族の動向についての研究
500
石見清裕(早稲田大学)

●元明時代の海禁と沿海地域社会に関する総合的研究
1,000
檀上 寛(京都女子大学)

●14世紀~20世紀初頭の東アジア海域諸国における海外情報の研究
900
松浦 章(関西大学)

●中国明清時代捐納制度の研究
1,100
伍 躍(大阪経済法科大学)

●中国両宋時代の首都と都市に関する基礎的研究
600
久保田和男(長野工業高等専門学校)

●日中戦争期の中国山西省における調査資料の再検討
900
岡村秀典(京都大学人文科学研究所)

●古代東アジアにおける墓制の比較研究
600
黄 暁芬(東亜大学)

●古代東アジアにおける鉄鏡の基礎的研究
1,200
宮原晋一(奈良県立橿原考古学研究所)

●江戸時代鎖国前後の日本と海外諸国との交易についての考古学的研究
700
松本啓子((財)大阪市文化財協会)

●東アジアにおける弥生時代タタキ技法波及経路の研究
600
深澤芳樹(独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所)

●中国における小城鎮発展の地域差に関する研究
1,000
石原 潤(奈良大学)

●沖縄・台湾における民族的マイノリティーの生活空間の拡縮に関する社会地理学的研究
1,000
山口守人(尚絅大学)

●グローバル化に伴う海外華人社会の動態―新移民と再移住―
1,000
山下清海(東洋大学)

●中国における近代戦争に関する記憶保存の研究
1,100
聶 莉莉(東京女子大学)

●新華僑の社会構造とエスニック・アイデンティティに関する研究―神戸市を事例として
700
高橋晋一(徳島大学)

●華僑社会における伝統文化とくに祭祀・芸能の変容と再編に関する比較研究
1,200
王 維(香川大学)

平成16年度 日本学術振興会科学研究費補助金採択状況一覧続補
(単位:千円)