昨年度および今年度の学会展望の「文学」分野は、大東文化大学文学部中国学科の門脇廣文が、三枝秀子非常勤講師および大学院生の秋谷幸治君の協力をえて担当する。分類などについては出版委員会で定められた方式に従い、作成の基準はおおよそ以下の通りである。
- 目録に掲載した資料は、会員からのメールによる「自己申告」を基本とし、それに加えて担当者が、さまざまな方法で調査し補充した。
- 収録の対象となる発行資料は、二〇〇四年一月から十二月までに刊行されたものとする。
- 収録の対象となる刊行物は、日本国内発行のものとするが、発表言語は日本語に限定しない。
- 分類は、まず大きく単行本と論文に分け、それぞれを従来の十二分類に収録し、内容的に複数の分野を対象とするものは、それぞれの分野に重複して収録する。
- 各分野における配列の順序は、著者・編者・評者等の氏名の五十音順とする。
本年度は、「自己申告」はメールにのみとしたため、会員各位からの「自己申告」は、メールによるものがほとんどであった。しかし、その数は必ずしも多くはなく、わずかに二十名弱に過ぎなかった。これらの方々には、心より感謝申し上げたい。
この目録の作成にあたっては遺漏や校正ミスのないようにつとめたが、時間的かつ人的な制約によりなお遺漏や校正ミスなどが多く残されているものと思う。お気づきの点は、担当者、大東文化大学文学部中国学科門脇広文までお知らせ頂きたい。なお、本目録には、発行年月の期限外のもの、収録基準の範囲内にないと判断した場合には、収録を控えさせていただいた。ご了解いただければ幸いである。
単 行 本
一、総 記
石川忠久 NHKカルチャーアワー 漢詩への誘い 季節を詠う(寒露の巻) NHK出版
石川忠久 NHKカルチャーアワー漢詩への誘い 季節を詠う(晴明の巻) NKH出版
石川忠久 岳堂 詩の旅(石川忠久著作選Ⅳ) 研文出版
石川忠久 漢詩への招待 文藝春秋
石川忠久 長安の春秋 中国文学論考(石川忠久著作選Ⅱ) 研文出版
一海知義・筧久美子・筧文生 漢語四方山話 岩波書店
井波律子 奇人と異才の中国史 岩波書店
井波律子編 中国の名詩101 新書館
入谷仙介先生追悼文集 人生に素風有り 研究出版
ウー・ホン著・中野 美代子訳 屏風のなかの壺中天 青土社
宇野直人 漢詩の歴史 古代歌謡から清末革命詩まで 東方書店
加藤周一・一海知義 漢字・漢語・漢詩 雑談・対談・歓談 かもがわ出版
刊行委員会編 白雲遙遙 回想の志村良治 さとう出版
栗田亘 おとなのための漢文51 河出書房新社
桂五十郎編 漢籍解題(復刻版) 明治書院
白川静 桂東雑記(3) 平凡社
鈴木淳次 漢詩 はじめの一歩 二見書房
高島俊男 イチレツランバン破裂して お言葉ですが… 6 文藝春秋
田部井文雄編 漢文教育の諸相 研究と教育の視座から 大修館書店
土屋英明 中国艶本大全 文春新書 文藝春秋
中川正之 漢語からみえる世界と世間 岩波書店
林田愼之助 北京物語-黄金の甍と朱楼の都 講談社学術文庫
松浦友久 中国古典詩学への道(松浦友久著作集Ⅳ) 研文出版
宮下典男 カリスマ先生の「漢文」 PHP研究所
村田雄二郎・C.ラマール編 漢字圏の近代-ことばと国家 東京大学出版会
桃白歩実 関西弁で愉しむ漢詩 子どもの未来社
森本哲郎 中国詩境の旅 PHP文庫 PHP研究所
守屋洋 中国古典「名語録」-世界が学んだ人生の“参考書” 三笠書房
やまぐちヨウジ 感じて!漢詩 不空社
柚木利博 漢山唐水 中国名詩選 続文堂出版
吉田寛郷 中国の賢人が放った不朽の名言 戎光祥出版
若林力 江戸川柳で愉しむ中国の故事 大修館書店
鷲野正明 はじめての漢詩創作 白帝社
日本詩歌句協会 中国詩歌集成 日本詩歌句協会
二、先秦
一海知義 論語語論 藤原書店
中田昭栄 詩経 新編下 悲しみの詩集 郁朋社
村山吉廣 詩経の鑑賞 二玄社
三、漢魏晋南北朝
市川宏等訳 史記(1)(徳間文庫) 徳間書店
市川宏等訳 史記(2)(徳間文庫) 徳間書店
一海知義・興膳宏訳 陶淵明 文心雕龍(世界古典文学全集25) 筑摩書房
井波律子 三国志名言集 岩波書店
今鷹真・井波律子訳 三国志Ⅰ 筑摩書房
今鷹真・小南一郎・井波律子訳 三国志Ⅱ 筑摩書房
山田勝美訳・田辺淳編 論衡(新書漢文大系29) 明治書院
岡村繁主編 文心雕龍講疏(王元化著作集1) 汲古書院
小川環樹他訳 史記列伝 筑摩書房
小尾郊一・富永一登・衣川賢次 文選李善注引書攷證 上巻 研文出版
おもしろ中国史学会編 いまさら聞けない三国志の大疑問 青春出版社
門脇廣文 文心雕龍の研究 創文社
加来耕三 三国志 人を動かす極意 実業之日本社
小南一郎訳 三国志Ⅲ 筑摩書房
三枝秀子 たのしみを詠う陶淵明 汲古書院
佐竹靖彦 劉邦 中央公論新社
島崎晋 らくらく読める三国志 廣済堂出版
野村茂夫 千字文を読み解く 大修館書店
林田愼之助 中国中世文学批評論史 創文社
馮 惟訥著・横山 弘・齋藤希史編・興膳 宏監修 嘉靖本 古詩紀 第二巻 詩紀巻之四十五~一百七(宋~陳) 汲古書院
馮 惟訥著・横山 弘・齋藤希史編・興膳 宏監修 嘉靖本 古詩紀 第一巻 汲古書院
別冊宝島編集部編 三国志 曹操伝(宝島社文庫) 宝島社
丸山松幸等訳 史記(3)(徳間文庫) 徳間書店
渡辺精一監修 もう一度学びたい三国志 西東社
四、隋唐五代
植木久行 詩人たちの生と死 唐詩人伝叢考 研文出版
岡村繁 白氏文集9(新釈漢文大系105) 明治書院
小川環樹 唐詩概説 岩波書店
小川環樹・都留春雄・入谷仙介選訳 王維詩集 岩波書店
小尾郊一・富永一登・衣川賢次 文選李善注引書攷證 上巻 研文出版
黒川洋一 杜甫(ビギナーズ・クラシックス中国の古典) 角川書店
呉川 声に出して覚える唐詩の名作30選(CD附) 中経出版
齋藤孝編・早乙女道春絵 国破れて山河あり 漢詩(子ども版 声に出して読みたい日本語) 草思社
清水茂訳 韓愈Ⅰ(世界古典文学全集) 筑摩書房
清水茂訳 韓愈Ⅱ(世界古典文学全集) 筑摩書房
鈴木虎雄・黒川洋一訳注 杜詩(全8冊) 岩波書店
詹満江 李商隠研究 汲古書院
大東文化大学東洋研究所 藝文類聚(巻十五)訓読付索引 大東文化大学東洋研究所
高木重俊 初唐文学論 研文出版
武部利男訳 李白(世界古典文学) 筑摩書房
陳舜臣 唐詩新選 中央公論新社
土屋英明編訳 中国妖艶譚『灯草和尚』・新訳『遊仙窟』 徳間書店
成瀬哲生・竹田晃・黒田真美子編 中国古典小説選4 古鏡記・補江総白猿伝・遊仙窟【唐代1】 白帝社
林田 愼之助 中国中世文学批評論史 創文社
柚木 利博 漢山唐永 中国名詩選 続文堂出版
吉川幸次郎訳 杜甫Ⅰ(世界古典文学全集) 筑摩書房
吉川幸次郎訳 杜甫Ⅱ(世界古典文学全集) 筑摩書房
李澣編・早川光三郎訳・三澤勝己編 蒙求(新書漢文大系) 明治書院
渡部英喜 唐詩解釈考 研文社
王右丞文集(古典研究会叢書漢籍之部32) 汲古書院
分類補註李太白詩(一)(古典研究会叢書 漢籍之部33) 汲古書院
分類補註李太白詩(二)/古典研究叢書漢籍之部34 汲古書院
五、宋
耿碩宇 陸游・陸詩に関する研究「閑適」説と「憤慨」説をめぐって 日本僑報社
今場正美,尾崎裕 『太平広記』夢部訳注稿 中国芸文研究会
北方謙三著 水滸伝18 乾坤の章 集英社
北方謙三著 水滸伝19 旌旗の章 集英社
北方謙三著 替天行道-北方水滸伝読本 集英社
銭鍾書・宋代詩文研究会訳注 宋詩選注4 平凡社
松村昴・小松謙 水滸伝(図解雑学シリーズ) ナツメ社
柚木 利博 漢山唐永 中国名詩選 続文堂出版
六、金・元・明
有坂正三 『半七補物帳』と中国ミステリー 文芸社
井上泰山 中国近世戯曲小説論集 関西大学出版部
王陽明著・溝口雄三訳・解説 伝習録(中公クラシックス) 中央公論新社
小川陽一 中国の肖像画文学 研文出版
駒田信二訳 水滸伝1 筑摩書房
駒田信二訳 水滸伝2 筑摩書房
駒田信二訳 水滸伝3 筑摩書房
駒田信二訳 水滸伝4 筑摩書房
駒田信二訳 水滸伝5 筑摩書房
駒田信二訳 水滸伝6 筑摩書房
竹田晃 三国志・歴史をつくった男たち(漢字・漢文ブックス) 明治書院
陳舜臣監修・立間祥介,丹羽隼平 永久保存版 三国志ものしり人物事典 文芸社
土屋英明編訳 中国妖艶譚『灯草和尚』・新訳『遊仙窟』 徳間書店
とみ新蔵 著・画・守屋洋監修 早わかりコミック 三国志(上中下) 三笠書房
中野美代子 西遊記 トリックワールド探訪 岩波書店
中野美代子訳 西遊記1 岩波書店
中野美代子訳 西遊記10 岩波書店
中野美代子訳 西遊記2 岩波書店
中野美代子訳 西遊記3 岩波書店
中野美代子訳 西遊記4 岩波書店
中野美代子訳 西遊記5 岩波書店
中野美代子訳 西遊記6 岩波書店
中野美代子訳 西遊記7 岩波書店
中野美代子訳 西遊記8 岩波書店
中野美代子訳 西遊記9 岩波書店
村山孚 三国志のツボがまるごとわかる本(パンドラ新書) 日本文芸社
吉田多聞 三国志外伝-徐庶物語 新風舎
七、清
伊藤漱平 伊藤漱平著作集 第一巻 紅楼夢編 上 汲古書院
齋藤希史 漢文脈の近代 清末=明治の文学圏 名古屋大学出版会
船越達志 『紅楼夢』成立の研究 汲古書院
八、近現代
R.Fジョンストン著・中山理訳・渡部昇一監修 完訳 紫禁城の黄昏(上下) 祥伝社
蘆田孝昭 嶺外雑記 東豊書店
アデリン・イェン・マー著・橋本恵訳 チャイニーズ・シンデレラ 文藝春秋
アデリン・イェン・マー著・山田耕介訳 君玲(チュンリン)-継母に疎まれた娘 文藝春秋
岩佐昌暲 八〇年代の中国の内景 その文学と社会 同学社
岩佐昌暲編著 中国現代文学と九州 異国・青春・戦争 九州大学出版会
衛慧著・泉京鹿訳 ブッダと結婚 講談社
王凱 中国芸術の光と闇―波瀾万丈の百年芸術史― 秀作社出版
郭沫若著・大高順雄訳 桜花書簡-中国人留学生が見た大正時代 東京図書出版
関西文学会 関西文学 特集 中国の現代文学 澪標
金庸著・金海南訳・岡崎由美監修 射鵰英雄伝1砂漠の覇者ジンギスカーン 徳間書店
金庸著・金海南訳・岡崎由美監修 射鵰英雄伝2江南有情 徳間書店
金庸著・金海南訳・岡崎由美監修 射鵰英雄伝3桃花島の決闘 徳間書店
金庸著・金海南訳・岡崎由美監修 射鵰英雄伝4雲南大里の帝王 徳間書店
金庸著・金海南訳・岡崎由美監修 射鵰英雄伝5サマルカンドの攻防 徳間書店
桑島 由美子 茅盾研究「新文学」の批評・メディア空間 汲古書院
瓊瑤著・阿部敦子訳 還珠姫 徳間書店
呉 紅華 周作人と江戸庶民文芸 創土社
康 鴻音 近代の闇を開いた日中文学 有島武郎と魯迅を視座として 日本僑報社
高纓著・田中須磨子訳・王敏監修 海辺の貝 文芸社
高行健著・飯塚容訳 母 集英社
呉民民著・金子わこ訳 シー・ウルフ 海狼 小学館
坂井洋史 懺悔と越境 中国現代文学史研究 汲古書院
残雪著・近藤直子訳 魂の城 カフカ解読 平凡社
周穎南著・有川けい訳 文化の旅 澪標
白川道 単騎、千里を走る 幻冬舎
城谷武男・角田篤信編 沈従文「辺城」の校勘 サッポロ堂書店
瀬戸宏 中国話劇成立史研究 東方書店
孫 歌著 竹内好という問い 岩波書店
大頭春著・岸田登美子訳 ワイルド・キッド 早川書房
竹内好 竹内好集 戦後文学エッセイ選4 影書房
張競編著・孫玄齢・潘世聖・陸偉栄・魯大鳴 現代の中国文化 現代中国叢書4 明石書店
張平著・荒岡啓子訳 十面埋伏 下 新風舎
張平著・荒岡啓子訳 十面埋伏 上 新風舎
中井政喜 1920年代中国文藝批評論 郭沫若・成仿吾・茅盾 汲古書院
中島利郎編著 日本統治期台湾文学小事典 緑陰書房
藤井 省三 20世紀の中国文学 放送大学
彭瑞金著・中島利郎・澤井律之訳 台湾新文学運動四〇年 東方書店
松本健一 竹内好論 岩波現代文庫 岩波書店
楊 煉 著・浅見洋二編訳 幸福なる魂の手記 思潮社
余秋雨著・楊晶・加藤優子訳 余秋雨の千年一嘆 古代から現代の文明を思考する 阿部出版
余秋雨著・楊晶訳 余秋雨の文化苦旅 古代から現代の中国を思考する 阿部出版
梁羽生著・土屋文子監訳 七剣下天山 (上下) 徳間書店
魯迅著・松枝茂夫訳 朝花夕拾 岩波書店
九、民間文学・習俗
于 暁飛 消滅の危機に瀕した中国少数民族の言語と文化 ホジェン族の「イマカン(英雄叙事詩)」をめぐって 明石書店
小川厚子 文・川瀬聖香 絵 中国民話集 十個の太陽 新風社
川野明正 神像呪符「甲馬子」集成-中国雲南省漢族・白族民間信仰誌 東方出版
実吉達郎 中国の妖怪(復刻) 新紀元社
実吉達郎著・不二本蒼生画 中国の鬼神-天地神人鬼 新紀元社
字坊RED・王超鷹著 殉情物語 トンパ文字に秘められた愛の物語 技術評論社
孫 玄齢著 中国芝居の人間模様-お前がひっこみゃおれの伴 白帝社
ドロシー・コウ著・小野和子等訳 纏足の靴-小さな足の文化史 平凡社
中野美代子 中国の妖怪(復刻) 岩波書店
武宇林 「花児」の研究 シルクロードの口承民謡 信山社
森雅子 西王母の原像-比較神話学試論 慶應義塾大学出版会
話梅子 中国の不思議な役人(中国昔話大集Ⅱ) アルファポリス
十、日本漢文学
池澤一郎等校注 漢文小説集(新日本古典文学大系 明治編) 岩波書店
興膳宏 古代漢詩選(日本漢詩人選集 別巻) 研文出版
徐 前 漱石と子規の漢詩 対比の視点から 明治書院
西岡市祐編 『葛子琴詩抄』『葛詩琴詩』索引 汲古書院
日本漢文小説研究会編 日本漢文小説の世界 紹介と研究 白帝社
林田愼之助 広瀬淡窓(日本漢詩人選集) 研文出版
十一、比較文学
呉 紅華 周作人と江戸庶民文芸 創土社
康 鴻音 近代の闇を開いた日中文学 有島武郎と魯迅を視座として 日本僑報社
崔 香蘭 馬琴読本と中国古代小説 渓水社
田建国著・岩城浩幸訳 日中「俳句」往来 作品集『大陸逍遙』を通じて(隣人新書) 日本僑報社
森雅子 西王母の原像-比較神話学試論 慶應義塾大学出版会
若林力 江戸川柳で愉しむ中国の故事 大修館書店
論 文
一、総 記
青柳 恵実 中国の勇武女子像 常民文化28(成城大学常民文化研究会)
赤井 益久 〔座談会〕「唐代の文学と道教」(詹満江・丸山宏・土屋昌明・赤井益久・浅野春二) 國學院雑誌106-1
赤井 益久 伝奇と筆記-中国小説史の主題に即して- 國學院雑誌106-11
赤井 益久 囚われ人の歌-柳宗元の詩における山水(上)- 河川レビュー131
赤井 益久 滁川の別業-漢詩に見える処世観と川(下)- 河川レビュー130
阿部 正和 高校一年次における漢文教材の取り扱いについて-福岡県の実態調査をふまえて 漢文教育30(中国中世文学会 )
伊藤 美重子 類書について お茶の水女子大学中国文学会報24
乾 源俊 「純粹文学史の夢想-「書評・川合康三編『中国の文学史観』を読んで」-」 大東文化大学漢学会誌44
太田 亨 プレゼンテーションを活用した漢文授業-故事を含んだ四字熟語の場合 漢文教育30(中国中世文学会 )
小川 陽一 講演 中国における肖像画と文学 大東文化大学漢学会誌44
小野 和子 (書評)中国女性史最新の情報『中国女性史研究入門』 東方296
斧原 孝守 書評 繁原央著『日中説話の比較研究』 常葉国文28
門脇 廣文 中国美学の「術語」とその検討方法 創文480
門脇 廣文 (書評)『松浦友久著作選 (4)』「「型」の探求と確立」 中唐文学12
川合 康三 序言-楽園への憧憬 アジア遊学82
川合 康三 平凡な幸せ-中国におけるもう一つの「楽園」 アジア遊学82
許 曼麗 重陽の詩歌-詩語、歌語と行事をめぐって- 慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション35
黒田 彰 新出の古孝子伝逸文について 和漢比較文学34
小林 春樹 二十五史における「蘭」の用例の検討-歴史書を援用した文学研究に関する試論- 復刊東洋文化95
千野 拓政 補説・文学に近代を感じるとき 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
田仲 一成 講演 中国における戯曲文学の発生 集刊東洋学94
堀池 信夫 (書評)書法美学論の構築に向けて『書法美学の研究』 東方289
鷲尾 正明 漢詩と「ことば」(二) 漢学紀要7(国士舘大学漢学会)
二、先 秦
國學院大學中国学会 『楚辞補注』訳注稿(18) 國學院中国学会報51
朝倉 孝之 故事成語のコンテクスト-朝三暮四の授業 漢文教育30(中国中世文学会 )
井澤 耕一 王安石『詩義』に關する一考察-朱熹の『詩』解釋との關わりにおいて 詩経研究29
石川 三佐男 〈書評〉家井眞著『詩経の原義的研究』 二松学舎大学人文論叢75
一色 英樹 羊舌肸春秋に習ふ-賢者叔向の淵源 國學院雑誌106-11
石塚 敬大 蘇轍と屈原と-制科を中心として- 國學院雑誌106-11
石本 道明 楚辞「天問」研究小史 國學院雑誌106-11
江口 尚純 増島蘭園『詩序質朱』について 詩経研究29
江口 尚純編 日本における詩経研究文献目録〔論文篇〕一八六八(明治元年)~二〇〇四(平成十六年) 中国古典研究50
太田 亨 漢文教育における教材活用の工夫-「蛇足」の場合 広島商船高等専門学校紀要27
大野 圭介 『穆天子伝』研究序説 桃の会論集3
大野 圭介 蒼梧考 中国文学報68
尾崎 保子 左伝における婦女観(十三)-魯桓姜の輪郭- 学苑772(昭和女子大学)
尾崎 保子 左伝における婦女観(十四)-秦穆公妃「怨」の行方- 学苑779(昭和女子大学)
貝塚 典子 防風氏と禹-「防風氏後至、禹殺而戮之」小考- 國學院雑誌106-11
小林 佳廸 「王母宮」に見られる先秦伝説の呼応的具現化表現 人文学報363(東京都立大学人文学部)
佐竹 保子 孫綽「天台山に遊ぶ賦」の修辞-『楚辞』より謝霊運詩賦に至る 集刊東洋学94
澁澤 尚 列子華胥考-古漢語における異類同名について- 学林41
島田 弥生 論語「学而時習之…」-入門教材としての試み- 新しい漢文教育41
辰巳 正明 中国の古代歌謡-その淫風的性格について- 國學院大學紀要43
田中 和夫 『毛詩正義』小雅「常棣」篇訳注稿 人文科学論叢14(宮城学院女子大学附属人文社会科学研究所)
谷口 洋 『左傳』『孟子』にみる文献と語り-引用を手がかりとして 『中国文明の形成』(小南一郎編、京都大学人文科学研究所研究報告)朋友書店
種村 和史 イナゴはどうして嫉妬しないのか?-詩経解釈学史点描- 慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション35
長島 猛人 「矛盾」をめぐって 新しい漢文教育40
廣瀬 玲子 反復される語り-古代中国における「説」と「小説」- 専修人文論集77
福本 郁子 『詩経』境界神祭祀詩に於ける採草の興詞に就いて 二松学舎大学論集48
矢田 尚子 楚辞「離騒」の「求女」をめぐる一考察 日本中国学会報57
山邊 進 『孟子』に於ける引『詩』に就いて 二松学舎大学論集48
劉 渇氷 『詩経』から見た色彩語 神奈川大学大学院言語と文化論集12
三、漢魏晋南北朝
石川 三佐男 古逸叢書の白眉『玉燭宝典』について-近年の学術情報・巻九の行方など- 秋田中国学会50周年記念論集
井上 一之 陶淵明「詠二疏詩」について-“知足”の是非- 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
欧陽伍・平井徹訳 (研究ノ-ト)中国における二十世紀の陶学評論成果-陳忠教授の論文を検討する 六朝学術学会報6
大形徹・佐藤大志・佐竹保子・長谷部剛・釜谷武志・林香奈 〈訳注〉『宋書』楽志-訳注稿(三) 未名23
大村 和人 “巫”から“小婦”へ-楽府『三婦豔』の小婦について 日本中国学会報57
大地 武雄 陶淵明の分身化(2) 二松学舎大学東アジア学術総合研究所集刊35
何 旭 『談藪』の研究-書名と撰者についての考察を中心として- 中国学論集23
甲斐 勝二 (書評)『文心雕龍』研究への序説―門脇廣文著『文心雕龍の研究』― 創文481
狩野 雄 舞台上の曹丕楽府 日本中国学会報57
亀山 朗 「魚戯新荷動、鳥散余花落」-謝脁詩の対句表現の一解釈- 滋賀大国文34
川合 康三 (書評)犀利な思考の凝聚『陶淵明・白居易論 抒情と説理』(松浦友久著作集Ⅱ) 東方290
北島 大悟 謝靈運にみる道教的思惟の受容 日本中国学会報57
久保 卓哉 陳後主の七夕詩と六朝の侍宴七夕詩 福山大学人間文化学部紀要5
興膳 宏 斯波六郎氏の著作 創文475(特集・六朝文学への思索)
小嶋 明紀子 摯虞「思游賦」における四方遊行の描写をめぐって 二松学舎大学論集48
後藤 秋正 孟郊詩の詩語の特異性について-六朝・唐代の「噫」の用法の検討を通して- 六朝学術学会報6
小林 由廸 「王母宮」に見られる先秦伝説の呼応的具現化表現 人文学報363(東京都立大学人文学部)
衣川 賢次 旧鈔本校勘の三つの型 創文475(特集・六朝文学への思索)
三枝 秀子 陶淵明「遊斜川幷序」考 大東文化大学漢学会誌44
三枝 秀子 陶淵明の哲学思考について-袁行霈著《陶淵明研究》第一章訳注稿 大東文化大学中国学論集22
佐伯雅宣・佐藤利行 劉孝綽詩訳注(4) (六朝詩の語彙および表現技巧の研究) 中国古典文学研究3
佐竹 保子 「天台山に遊ぶ賦」序文の検討─「存思法」との関わり─ 東北大学中国語学文学論集10(志村良治教授記念号)
佐竹 保子 言葉をいとおしむ-書評 斯波六郎著『六朝文学への思索』- 創文475(特集・六朝文学への思索)
佐竹 保子 孫綽「天台山に遊ぶ賦」の修辞-『楚辞』より謝霊運詩賦に至る 集刊東洋学94
佐藤 大志 六朝楽府文学の展開と声律論 未名23
佐藤 大志 鮑照「遊思賦」訳注稿 (六朝詩の語彙および表現技巧の研究) 中国古典文学研究3
佐野 誠子 『宋書』「五行志」と志怪書 桃の会論集3
佐野 誠子 道仏宗教者の出生の不思議-あるいは神話と伝説 麥谷邦夫編『三教交渉論叢」(京都大学人文科学研究所
斯波 六郎 題詠について(遺稿) 中国中世文学研究48
下定 雅弘 沈約評価に投じられた貴重な一石『『宋書』のなかの沈約』 東方289
鈴木 崇義 張衡「帰田賦」小考 國學院中国学会報51
捜神後記研究会 捜神後記訳注(四) 中国学論集39(安田女子大学中国文学研究会)
鷹橋 明久 竹林七賢伝訳注-向秀伝- 中国学論集39(安田女子大学中国文学研究会)
橘 英範 六朝詩における竹(2)「篠」・「篁」 等を用いた詩語 (六朝詩の語彙および表現技巧の研究) 中国古典文学研究3
谷口 匡 史記滑稽考 京都教育大学国文学会誌32
谷口 洋 「悲劇の星雲」との格闘-文学としての『史記』研究序説 中国文学報70
中国文学研究会 『史記』の学習-「三傑」と范増 中国学論集39(安田女子大学中国文学研究会)
塚本 宏 『世説新語』に於ける王羲之と殷浩及び劉惔との関係 和洋女子大学紀要45(人文系)
塚本 宏 嵆康の思想について(2)-『世説新語』を中心に 和洋国文研究40
戸倉 英美 (書評)六朝文学とゴダール『言志と縁情』 東方290
富永 一登 『文選』の研究 資料集『文選』李善注引「子虚賦」「上林賦」「西京賦」 中国古典文学研究3
富永 一登 魯迅輯『古小説鉤沈』校釈-『幽明録』(七)- 中国学研究論集15(広島中国学学会)
長谷川 滋成 「子夜呉歌四十二首」訳注 尾道大学日本文学論叢創刊号
長谷川 滋成 東晋王朝の州郡県官僚の活動状況(中) 尾道大学芸術学部紀要4
福井 佳夫 あそびとしての押韻技法-遊戯文学論(十三)- 中国中世文学研究47
福井 佳夫 西晋の遊戯文学(下)-遊戯文学論(十四)- 文学部紀要40-1
福井 佳夫 西晋の遊戯文学(上)-遊戯文学論(十一)- 文学部紀要39-3・4
福井 佳夫 六朝の遊戯文学(上)-遊戯文学論(十五)- 文学部紀要40-2
福井 佳夫 劉孝標の「広絶交論」について-遊戯文学論(十二)- 中京国文学24
福山 泰男 建安の「寡婦賦」について-無名婦人の創作と詩壇- 山形大学人文学部研究年報2
福山 泰男 後漢末・建安文学の形成と「女性」 山形大学紀要(人文科学)15-4
増野 弘幸 陶淵明における家の意味について 大妻国文36
松田 稔 『論衡』と『山海経』-「鬼門・神荼・鬱壘」の記述を中心として- 國學院雑誌106-11
松原 朗 辺塞詩の出現-梁陳における辺塞楽府を中心に- 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
道坂 昭廣 六朝の謝啓について 中国文学報69
宮内 克浩 崔駰「西巡頌」小考 國學院雑誌106-11
宮本 勝 《講演録》私と『列女伝』-劉向女性観の革新性- 語学文学43(北海道教育大学語学文学会)
宗近 倫子 『世説新語』における兄弟間の呼称小論 尾道大学日本文学論叢創刊号
森野 繁夫 謝霊運の詩語(二) 安田女子大学紀要33
森野 繁夫 庾信伝(一) 中国学論集39(安田女子大学中国文学研究会)
森野 繁夫 庾信の詩(十五) 中国学研究論集15(広島中国学学会)
森野 繁夫 梁末における庾信 中国中世文学研究48
森野 繁夫 宋朝における謝霊運 (六朝詩の語彙および表現技巧の研究) 中国古典文学研究3
矢田 尚子 『淮南子』にみえる天界遊行表現について-原道篇・覧冥篇を中心に- 中国文学研究31(杉本達夫教授退職記念号)
矢田 尚子 楚辞「遠遊」と「大人賦」-天界遊行モティーフを中心として- 集刊東洋学94
矢田 博士 傅咸の「四言贈答詩」について 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
山口 爲廣 「采詩夜誦」ということ 國學院雑誌106-11
遊佐昇 厳君平の伝説と信仰 明海大学外国語学部論集17
四、隋唐五代
愛甲 弘志 (書評)赤井益久著『中唐詩壇の研究』 中国文学報69
赤井 益久 田園の楽しみ-漢詩に見える処世観と川(中)- 河川レビュー129
赤井 益久・詹満江・丸山宏・土屋昌明・浅野春二 〔座談会〕「唐代の文学と道教」(詹満江・丸山宏・土屋昌明・赤井益久・浅野春二) 國學院雑誌106-1
秋谷 幸治 「采詩の官」の言説に見られる白居易の詩観-青年期から晩年期まで 中国学論集23
安立 典世 キーワードで読む「別れ」 漢文教室191
伊崎 孝幸 晩唐の詠史詩 中国文学報69
市川 清史 李益中唐詩壇 学苑771(昭和女子大学)
市川 桃子 唐代の詩-言葉と文化的接触 応用言語学研究7(明海大学大学院応用言語学研究科紀要)
乾 源俊 (講演)李白について私が知っている二、三の事柄 文芸論叢65(大谷大学文芸学会)
妹尾 達彦 長安の憂鬱-九世紀の転換 アジア遊学78
岩井 宏子 貫之の「老い」を鏡に映し見る歌-白詩との関係を探る- 和漢比較文学35
上野 裕人 唐詩における曹植・丕詩の影響について-王維の詩を中心として- 語文と教育19(鳴門教育大学国語教育学会)
上野 裕人 唐詩における曹植・丕詩の影響について-李白・杜甫・白居易などの詩を中心として- かながわ高校国語の研究41
内田 誠一 王維のナルシズム-扮装する詩人の夢と孤独- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
埋田 重夫 香山寺と白氏文集-閑適の完成- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
梅田 雅子 劉禹錫・劉宗元の左遷に対する悲哀-客観的状況と主観的判断- 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
江口 孝夫 投稿日本文学と漢詩-「酒」を中心に- 漢文教室191
遠藤 星希 楽府文学史上における李賀の位置-「巫山高」に基づく考察- 東京大学中国語中国文学研究室紀要8
遠藤 寛一 長恨歌の研究(十一)-楊貴妃とその周辺の資料を中心として- 江戸川短期大学紀要20
王 岩 「深林人不知、明月来相照」-『月下竹荘図』を読む- 金城学院大学論集1(人文科学編)
大立 知砂子 五巻本皎然『詩式』所引陶淵明詩について 早稲田大学大学院文学研究科紀要51-2
岡田 充博 「板橋三娘子」考(三)補訂 東洋古典学研究20(広島大学東洋古典学研究会)
岡本洋之介 出処の意識について-権徳輿の場合- 中国言語文化研究5
岡本不二明 滄洲と滄浪-隠者のすみか 中国文史論叢創刊号
加固理一郎 キーワードで読む「自然」 漢文教室191
加藤 敏 元結の文学 : 「系楽府」と『篋中集』 千葉大学教育学部研究紀要53(II.人文・社会科学系)
門脇 廣文 上海辞書出版社《唐詩鑑賞辞典》訳注稿-李商隠篇(12) 大東文化大学紀要43
金子 修一 大唐元陵儀注試釈(5) 山梨大学教育人間科学部紀要7-1 (通号13)
神鷹 徳治 (書評)岡村繁『白氏文集 三・四』 白居易研究年報6
川合 康三 (書評)犀利な思考の凝聚『陶淵明・白居易論 抒情と説理』(松浦友久著作集Ⅱ) 東方290
川合 康三 「紅旗破賊非吾事」をめぐって-白居易と呉元済の乱- 白居易研究年報6
小池 一郎 柳詩注訳(其一) 言語文化8-2(同志社大学言語文化学会)
小金澤 豊 「春望」教材研究 新しい漢文教育41
後藤 秋正 孟郊詩の詩語の特異性について-六朝・唐代の「噫」の用法の検討を通して- 六朝学術学会報6
小林 徹行 魚玄機論-唐代女道士の虚像と実像- 復刊東洋文化95
小松 英生 漢詩歳時記(5) 漢文教育30(中国中世文学会 )
坂口 三樹 キーワードで読む「家族」 漢文教室191
佐藤 正光 『文選』李善注「善曰言」の解釈と五臣注、及び現代の注釈との関連-『文選』巻二十二謝霊運の詩解釈を中心に- 六朝学術学会報6
査屏球著・寺尾剛訳 詩人の心と詩家の事-李白「十月到幽州」解- 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
澤崎 久和 唐代における望郷帰無の詩 新しい漢文教育41
静永 健 月を仰ぎ見る妻へ-白居易下邽贈内詩考 九州中国学会報43
静永 健 教材としての「長恨歌」論 漢文教育の諸相-研究と教育の視座から(大修館書店)
下定 雅弘 (書評)岡村繁『白氏文集 六』 白居易研究年報6
下定 雅弘 白詩の衣服表現に見る「兼済」と「独善」-青衫・緋衫・紫袍・白衣- 白居易研究年報6
下定 雅弘 斎戒する白居易 中国文史論叢創刊号
下定 雅弘 白居易「燕子楼三首」の解釈をめぐって 岡山大学文学部紀要44
謝 思煒 《白居易詩集校注》集外卷(附見篇目) 白居易研究年報6
章 剣 唐代までの孟光像の考察 中国学研究論集15(広島中国学学会)
詹 満江 (書評)中唐というエポックを生きた詩人たち『中唐詩壇の研究』 東方291
詹 満江 唐代宮女の作詩について 杏林大学外国語学部紀要17
詹 満江・丸山 宏・土屋 昌明・赤井 益久・浅野 春二 (座談会)唐代の文学と道教 國學院雑誌106-1
曺 述燮 龍の危難とその説話的展開-「元聖大王」および「真聖女大王・居陀知」条を中心に- 愛知淑徳大学論集-文化創造学部篇-5
高木 重俊 (書評)小型ながら密度の濃い注釈書『杜牧詩選』 東方291
高木 重俊 楊炯の人と文学 人文研究74(北海道教育大学函館人文学会)
高橋 賢一 中学校国語教科書における漢文教材としての「春望」について 中国文化-研究と教育-63
高橋 彰三郎 厳武と杜甫との関係 秋田中国学会50周年記念論集
田口 暢穗 白居易「春末夏初閒遊江郭其二」詩小考-その訓みと解釈について- 中国古典研究50
橘 英範 劉白聯句訳注稿(五) 岡山大学文学部紀要44
橘 英範 竹の香り-盛唐詩継承の一側面 中国文史論叢創刊号
谷口 匡 韓愈「魚文」の位置 中国文化-研究と教育-63
谷口 真由実 キーワードで読む「安史の乱」 漢文教室191
谷口 真由美 華州司功参軍時代の杜甫-「乾元元年華州試進士策問五首」にみる問題意識- 新しい漢文教育41
谷本 玲田 白居易のメディア戦略-『白氏文集』歌詩に於ける「陰陽」の偏在を手掛かりとして- 國學院雑誌106-11
千野 万里子 「没」について(Ⅰ)-唐詩に見える用例を中心に- 杏林大学外国語学部紀要17
陳 菊 江戸時代の代表的な漢詩の一つ「九州三絶」と李白の詩歌 秋田中国学会50周年記念論集
陳 明姿 『源氏物語』と『白氏文集』賢木巻・花散里巻・須磨巻・明石四巻を中心にして 和漢比較文学35
董乃斌・愛甲弘志訳 中国における唐代文学研究におけるいくつかの状況について 中国文学報69
中尾 一成 陳子昂 垂拱二年出征考(七) 千里山文学論集74(関西大学大学院文学研究科)
中尾 一成 陳子昂 垂拱二年出征考(六) 千里山文学論集73(関西大学大学院文学研究科)
中尾健一郎 白居易の長安新昌里邸について 九州中国学会報43
中木 愛 白居易の「枕」 日本中国学会報57
二宮 俊博 津坂東陽『杜律詳解』訳注稿(六) 椙山女学園大学文化情報学部紀要5
長谷部 剛 『全唐詩』所収韋元甫「木蘭歌」の形成と伝承 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
波戸岡 旭 白居易閑適詩考序説-初期作品に見える詩境を中心に- 國學院雑誌106-11
波戸岡 旭 白居易閑適詩について 國學院中国学会報51
伴 俊典 人物関係に見る『唐闕史』成立について 早稲田大学大学院文学研究科紀要51-2
樋口 泰裕 キーワードで読む「酒」 漢文教室191
樋口 泰裕 李白と杜甫の評価をめぐって 漢文教室191
松浦 典弘 (書評)松原朗『中国離別詩の成立』 唐代史研究8
松岡 英明 唐代の「陳情」の詩について 人文自然科学論集120(東京経済大学人文自然科学研究会)
松原 朗 「杜甫厳武反目説話」の構造 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
松本 肇 孟郊の文学 文芸言語研究 文芸篇47
丸山 茂 (書評)赤井益久著『中唐詩壇の研究』 國學院雑誌106-3
岑參研究会 岑參文訳注 中国学論集39(安田女子大学中国文学研究会)
宮下 聖俊 『河嶽英霊集』の編纂意図 大東文化大学漢学会誌44
向嶋 成美 李白と杜甫の時代-全盛と喪乱- 漢文教室191
村田 和弘 キーワードで読む「旅」 漢文教室191
村田 和弘 特集李白と杜甫キーワードで読む「旅」 漢文教室191(大修館書店)
森野 繁夫 杜甫「哀江南」詩について 中国学論集39(安田女子大学中国文学研究会)
矢嶋美都子 杜甫の詩に見る六朝詩人観 六朝学術学会報6
柳川 順子 (書評)佐竹保子著『西晋文学論-玄学の影と形似の曙-』 集刊東洋学93
渡部 英喜 李白「蛾眉山月歌」詩再考 秋田中国学会50周年記念論集
渡辺 英喜 南朝四百八十寺の訓読について 日本文学会誌17
五、宋
浅見 洋二 衣若芬著『観看・叙述・審美-唐宋題画文学論集』 中国文学報69
井澤 耕一 王安石『詩義』に關する一考察-朱熹の『詩』解釋との關わりにおいて 詩経研究29
石塚 敬大 蘇轍と屈原と-制科を中心として- 國學院雑誌106-11
内山 精也 宋代士大夫の詩歌観-「蘇黄」から江湖派へ- 橄欖13(宋代詩文研究会)
宇野 直人 (書評)魂の対話の記録『陸放翁鑑賞』 東方290
王水照著・松尾幸忠訳 『宋詩選注』の栄辱と浮沈 橄欖13(宋代詩文研究会)
王友勝著・山口若菜訳 蘇詩の受容史に関する幾つかの問題 橄欖13(宋代詩文研究会)
岡本不二明 唐宋の社会と戯劇-参軍劇、宋雑劇および禅の関係をめぐって- 東洋古典学研究19(広島大学東洋古典学研究会)
河村 晃太郎 蘇東坡にとっての絵画と詩文 東西学術研究所紀要38(関西大学東西学術研究所)
木村 直子 王安石詩訳注(二) 中国学研究論集15(広島中国学学会)
金 文京 『事林広記』の編者、陳元靚について 汲古47
栗田 陽介 王安石の「超然」について 國學院雑誌106-11
呉 熊和 周邦彦瑣考 慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション35
洪本健著・東英寿訳 欧陽脩葬地考-欧陽脩はなぜ故郷江西に葬られなかったのか- 橄欖13(宋代詩文研究会)
後藤 淳一 『南岳倡酬集』成書攷 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
後藤 英明 中国近世の文芸批評に関する一考察-「化工」を中心として- 都留文科大学研究紀要62
小松 英生 漢詩歳時記(5) 漢文教育30(中国中世文学会 )
齋木 哲郎 蘇洵と『春秋』-史論の『春秋』化- 鳴門教育大学研究紀要20(人文・社会科学編)
査屏球著・坂井多穂子訳 王荊公『唐百家詩選』の宋における伝播と受容-時少章『唐百家詩選』評点の詩学的淵源について- 橄欖13(宋代詩文研究会)
志野 好伸 北宋初における韓愈の継承 明治大学教養論集396
澁澤 尚 「菰」の本草学-陸游詩所詠菰草考序説- 福島大学研究年報創刊号
承 春先 南宋の書家と書の研究(一)陸游 学苑772(昭和女子大学)
李 怡静 李清照と朱淑真、周邦彦詞における色彩表現の比較-李清照を中心に 中国学論集23
宋詞研究会編 施蟄存著『詞學名詞釋義』譯注稿(一) 風絮1
宋詞研究会編 龍楡生編選『唐宋名家詞選』譯注稿(一) 風絮1
太平広記研究会 『太平広記』訳注(六)-巻一百九十二「驍勇」(二)- 中国学研究論集15(広島中国学学会)
種村 和史 訓詁を綴るもの-陳奐『詩毛氏伝疏』に見られる欧陽脩『詩本義』の影響- 橄欖13(宋代詩文研究会)
張海欧著・高橋幸吉訳 北宋「話」体詩学について 橄欖13(宋代詩文研究会)
董 上徳 柳永文学形象的形成及其深層意義 文学研究102(九州大学大学院人文科学研究院)
長尾 直茂 換骨奪胎考 漢文学 解釈与研究8
中尾 彌継 陳与義の南渡 中国言語文化研究5
中原 健二 陳宓の詞について 文学部論集89(仏教大学文学部)
中村 孝子 陸游の茶詩について 橄欖13(宋代詩文研究会)
韋 海英 洪朋洪炎考 福岡大学人文論叢37-1
韋 海英 洪芻行年考 福岡大学人文論叢37-2
西上 勝 蘇軾の史論について 東北大学中国語学文学論集10(志村良治教授記念号)
沼尻 俊裕 『韓文考異』における朱熹の校勘方法 大東文化大学漢学会誌44
保苅 佳昭 蘇軾の開封で作られた詞について 総合文化研究11-2(日本大学商学研究会)
保苅 佳昭 蘇軾の蘇轍に関する詩詞について 橄欖13(宋代詩文研究会)
三野 豊浩 『宋詩選注』に収録された陸游の作品について 橄欖13(宋代詩文研究会)
三野 豊浩 『剣南詩鈔』に収録された陸游の絶句 言語と文化13(愛知大学語学教育研究室)
森 博行 司馬光・邵雍交友録(下の上) 大谷女子大国文35
森 博行 邵雍の詩に現れた白居易(後)-受容と批判- 大谷女子大学紀要39
諸田 龍美 北宋「蝶恋歌詞」の主題と風流-「長恨歌」を視座として- 東方学110
矢田 博士 秋の糸を吐く青蟲-秦観「秋日」「青蟲」辨- 橄欖13(宋代詩文研究会)
吉井 和夫 蘇東坡と写経(三)-『円覚経』『楞厳経』『楞伽経』- 西山学報50(京都西山短期大学)
六、金・元・明
青木 隆 従明末儒家修養論看金聖嘆文学理論 研究紀要69(日本大学文理学部人文科学研究所)
赤松 紀彦・金 文京・小松 謙・佐藤 晴彦・高橋 繁樹・高橋 文治・竹内 誠・土屋 育子・松浦 恒雄 元刊雑劇の研究(二)「漢高皇濯足気英布」全訳校注 京都府立大学学術報告 人文・社会57
浅見 洋二 衣若芬著『観看・叙述・審美-唐宋題画文学論集』 中国文学報69
荒木 典子 起点を表す“在”-『西遊記』の用例を中心に 開篇24
磯部 彰 世徳堂刊本西遊記の版本研究-明代における完成体『西遊記』の登場- 東北大学中国語学文学論集10(志村良治教授記念号)
岩田 和子 白娘子故事演変考-「四川の白蛇」からみた売薬風俗の影響- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
植田 渥雄 元散曲の話 桜美林大学紀要 日中言語文化3
上田 望 『三国演義』の言葉と文体-中国古典小説への計量的アプローチ- 金沢大学文学部論集 言語・文学篇25
植田 均 現代方言に継承された《醒世姻縁伝》の同音仮借の語-単音節語の場合(上) 中国語研究47
氏岡 真士 大頭仙人と『西遊記』 人文科学論集 文化コミュニケーション学科編39(信州大学人文学部)
海野 一隆 世界民族図譜としての明代日用類書 汲古47
王 周明 『三言』における「V有NP/V得有(NP)」 開篇24
小川 陽一 日用類書と明清文学-『風月機関』をめぐって- 汲古47
小田切 文洋 白話小説語彙辞典(三) 国際関係学部研究年報26(日本大学国際関係学部)
角野 聰 『三国志演義』における英雄描写-『太平広記』驍勇部との比較を通して 中国中世文学研究48
勝山 稔 明代短編白話小説に見える「相識」について-縁故機能に関する覚書 中国古典小説研究10
川島 優子 李瓶児論 九州中国学会報43
河内 利治 陳壽祺編『明漳浦黄忠端公全集』目次(前) 漢学紀要7(国士舘大学漢学会)
川村 治夫 『西遊記』の妖怪 アジア遊学71
靳 炎 『紅楼夢』中の茶文化について-『紅楼夢』を背景として明、清両朝における茶文化の形成と発展を検討する- 文学部紀要19-1(文教大学文学部)
邢 文柱 『三国演義』における待遇表現についての研究(四)-名詞・四字熟語による謙譲表現を中心に- 久留米大学大学院比較文化研究論集17
後藤 英明 中国近世の文芸批評に関する一考察-「化工」を中心として- 都留文科大学研究紀要62
酒井 忠夫 「中国日用類書集成(汲古書院出版)」の完結に当って 汲古47
坂出 祥伸 中国日用類書解題の再補遺-大谷大学所蔵「明代日用類書」三種など- 汲古47
坂出 祥伸 日用類書にもとづく明代文化研究と今後の展開への期待 汲古47
戚 暁杰 《金瓶梅詞話》“比”字句研究 中国語研究47
田中 智行 『金瓶梅』の感情観 日本中国学会報57
玉木 尚之 曹宗璠「駁声無哀楽論」を読む-「声無哀楽論」をめぐって(一)- 東洋古典学研究20(広島大学東洋古典学研究会)
張 軼欧 『三言』に見られる馮夢龍の思想における両面性-『三言』における女性の“貞節”を中心に 大阪産業大学人間環境論集4
張 渭涛 従〈三国演義〉看中国人的時空美感 専修人文論集76
土屋 育子 「淨」考-中国古典演劇の悪役について 中国古典小説研究10
董 紹克 《金瓶梅》誤字挙例 中国語研究47
董明・鶴島俊一郎 陳元贇其詩其人 復刊東洋文化94
土肥 克己 楊朝英と楽府新編陽春白雪に介在する江西の文化背景 未名23
平塚 順良 猪八戒の武器とその訳語をめぐって 学林41
福永 美佳 『拝月亭』における女性像の変容 九州中国学会報43
福本 雅一 白翎雀(下) 國學院雑誌106-11
福本雅一監修・尤侗研究会訳注 『擬明史楽府』訳注(四) 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
堀 誠 「小説莫坡寺佛肚」考 國學院雑誌106-11
堀 誠 「丈夫隻手把呉鉤」詞篇考 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
松浦 智子 「楊家将演義」における比武招親について-その祖型と伝承の一端をめぐって- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
宮 紀子 徽州文書にのこる衍聖公の命令書 史林88-6
宮 紀子 徽州文書新探-『新安忠烈廟神紀実』より 東方学報77
宮 紀子 幻の『全室藁』 漢字と情報11
宮坂 智美 『西遊記』評点本の研究 金沢大学中国語学中国文学教室紀要 8
村田 和弘 筑波大学附属図書館蔵本『水滸後伝』の「識語」について 北陸大学紀要28
要木 純一 楊維楨『小楽府』について 島大言語文化19
鷲尾 正明 明代「古澹派」について(二) 漢学紀要7(国士舘大学漢学会)
鷲野 正明 「寒花」と「如蘭」-帰有光の文学と「花」- 国士舘大学人文学会紀要38
七、清
浅沼かおり 清代の女性像と社会-女性の再嫁をめぐって- 総合文化研究所紀要(共立女子大学総合文化研究所)11
石井 周 丘逢甲詩中にみる「滄海」 環日本海研究年報12(新潟大学大学院現代文化研究科日本海研究室)
岩田 和子 白娘子故事演変考-「四川の白蛇」からみた売薬風俗の影響- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
植田 均 現代方言に継承された《醒世姻縁伝》の同音仮借の語-単音節語の場合(上) 中国語研究47
江尻 徹誠 陳啓源『毛詩稽古編』における詩序論について 日本中国学会報57
袁 進 近代偵探小説的高潮從何而來 清末小説28(清末小説研究会)
歐陽 縈雪 百年是非、如何評説?(3)劉鶚與山西鉱事新論 清末小説から78(清末小説研究会)
歐陽 縈雪 百年是非、如何評説?(4・完)劉鶚與山西鉱事新論 清末小説から79(清末小説研究会)
歐陽 縈雪 百年是非、如何評説?(1)劉鶚與山西鉱事新論 清末小説から76(清末小説研究会)
歐陽 縈雪 百年是非、如何評説?(2)劉鶚與山西鉱事新論 清末小説から77(清末小説研究会)
大木 康 中国明清文人たちの楽園-江南の園林をめぐって アジア遊学82
大平 桂一 戴名世と『憂庵集』 国際文化6(大阪女子大学人文社会学部人文学科国際文化専攻研究室)
岡 晴夫 (シンポジウム)中国文学における“遊び”-李漁を中心に 芸文研究88(慶應義塾大学芸文学会)
緒方 昭 『儒林外史』「楔子」の一考察-「借名流隠括全文」とは- 國學院雑誌106-11
岡田 充博 呑馬呑牛の術 横浜国立大国語研究23
小川 恒夫 黄遵憲「人境廬雑詩」について(上) (中国古典研究) 中国古典文学研究3
小田切 文洋 白話小説語彙辞典(三) 国際関係学部研究年報26(日本大学国際関係学部)
顔 延亮 從奥中名門望族末世走出的一代英才-黄世仲的家世和早歳生活 清末小説28(清末小説研究会)
筧 久美子 〈紹介〉問わず語り 北京「黄遵憲学会」行 二十一世紀の「若い友人たち」に 未名23
河内 利治 陳壽祺編『明漳浦黄忠端公全集』目次(前) 漢学紀要7(国士舘大学漢学会)
菅野 智明 陶濬宣『稷山論書絶句』誕生の背景 墨175
靳 炎 『紅楼夢』中の茶文化について-『紅楼夢』を背景として明、清両朝における茶文化の形成と発展を検討する- 文学部紀要19-1(文教大学文学部)
寇 振鋒 清末『新小説』誌における『歴史小説洪水禍』-明治政治小説『経国美談』からの受容を中心に 名古屋大学中国語学文学論集17
後藤 英明 中国近世の文芸批評に関する一考察-「化工」を中心として- 都留文科大学研究紀要62
齋藤聡・荒井禮・安西孝行・大久保裕一郎・都築康子 帯経堂詩話注釈(三) 漢学紀要7(国士舘大学漢学会)
佐藤 一郎 乾隆帝左右の文臣の役割-御選『唐宋詩醇』と沈徳潜の場合- 國學院雑誌106-11
沢本 郁馬 商務印書館関係資料いくつか 清末小説28(清末小説研究会)
柴田 幹夫 康有為と青島 環日本海研究年報12(新潟大学大学院現代文化研究科日本海研究室)
鈴木 敏雄 王船山「和白沙」詩考 中国中世文学研究48
李 慶國 中國近代小説研究的重要收獲-讀≪中國近代小説的興起≫ 清末小説28(清末小説研究会)
平良 妙子 冊封使節来琉時における詩文交流-『渡琉日記』を中心に 集刊東洋学94
武 禧 晩清小説作者掃描(1) 清末小説から76(清末小説研究会)
武 禧 晩清小説作者掃描(2) 清末小説から77(清末小説研究会)
武 禧 晩清小説作者掃描(3) 清末小説から78(清末小説研究会)
武 禧 晩清小説作者掃描(4) 清末小説から79(清末小説研究会)
竹之内 美樹香 『紅楼夢』と五行思想-薛宝釵・林黛玉の人物像における「金」・「木」について 九州中国学会報43
竹村 則行 『長生殿』訳注(十一) 文学研究102(九州大学大学院人文科学研究院)
玉木 尚之 曹宗璠「駁声無哀楽論」を読む-「声無哀楽論」をめぐって(一)- 東洋古典学研究20(広島大学東洋古典学研究会)
樽本 照雄 「天方夜譚」小考 清末小説から76(清末小説研究会)
樽本 照雄 『迦因小伝』に関する魯迅の誤解-漢訳ハガード小考(2・下) 清末小説から79(清末小説研究会)
樽本 照雄 『迦因小伝』に関する魯迅の誤解-漢訳ハガード小考(2・上) 清末小説から78(清末小説研究会)
樽本 照雄 林紓を罵る快楽(1) 清末小説28(清末小説研究会)
樽本 照雄 漢訳アラビアン・ナイト(11) 清末小説から77(清末小説研究会)
樽本 照雄 漢訳アラビアン・ナイト(12) 清末小説から78(清末小説研究会)
樽本 照雄 漢訳アラビアン・ナイト(13) 清末小説から79(清末小説研究会)
樽本 照雄 漢訳ハガード小考-『血泊鴛鴦』の原作 清末小説から77(清末小説研究会)
樽本 照雄 中国におけるコナン・ドイル(5) 清末小説28(清末小説研究会)
張 元卿 韓國所見清末民國通俗小説書目(初稿) 清末小説から78(清末小説研究会)
土屋 育子 「淨」考-中国古典演劇の悪役について 中国古典小説研究10
土屋 英明 中国の性愛文献(100)『隔簾花影』 東方294
土屋 英明 中国の性愛文献(101)『檮杌閑評』五〇卷 東方295
土屋 英明 中国の性愛文献(102)『一片情』四卷 東方296
土屋 英明 中国の性愛文献(103)『五鳳吟』 東方297
土屋 英明 中国の性愛文献(104)『梧桐影』 東方298
土屋 英明 中国の性愛文献(93)「板橋雑記」上・中・下巻 東方287
土屋 英明 中国の性愛文献(94)『大姑娘十八摸』 東方288
土屋 英明 中国の性愛文献(95)『無声戯』一二回 東方289
土屋 英明 中国の性愛文献(96)『肉蒲団』四卷 東方290
土屋 英明 中国の性愛文献(97)『載花船』 東方291
土屋 英明 中国の性愛文献(98)『勿薬元詮』/『養病庸言』 東方292
土屋 英明 中国の性愛文献(99)『続金瓶梅』十二卷 東方293
杜 筆恩 『新小説』の発行遅延 清末小説から77(清末小説研究会)
杜 筆恩 『新編増補清末民初小説目録』の『小説海』掲載作品正誤 清末小説から79(清末小説研究会)
杜 筆恩 『大共和日報附張』スクラップ 清末小説から78(清末小説研究会)
杜筆恩 『小説海』掲載の「老残遊記」記事 清末小説28(清末小説研究会)
中野 清 袁枚『子不語』の増補 中国詩文論叢24(中国詩文研究会)
何 宏玲 ≪消閑報≫與呉趼人的≪海上名妓四大金剛奇書≫ 清末小説28(清末小説研究会)
野寄 勉 小説家が好きな『聊斎志異』 アジア遊学71
張 英 鄺富灼及其編纂的商務印書館英語教科書 清末小説から77(清末小説研究会)
伴 俊典 『豆棚閑話』の体裁について 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
笵 伯羣 1909年發表的一篇”狂人日記”-介紹陳景韓的《催醒術》 清末小説から76(清末小説研究会)
水上 雅晴 『全上古三代秦漢三国六朝文』の編纂について 日本中国学会報57
三津田信三 『聊斎志異』の無意味な十三の話 アジア遊学71
三野 豊浩 姚鼐『今体詩鈔』に収録された陸游の七言律詩 愛知大学文学論叢132
孟子敏・増野仁 明清期白話作品における「奴」についての考察 言語文化研究25-1(松山大学)
山田 忠司 陳士和講述『評書「聊齋誌異」』言語についての報告 中国語研究47
吉川 榮一 秋瑾詩詞全訳(その一) 文学部論叢(熊本大学文学部)
李 伯元 李伯元遺稿(7)李錫奇『南亭回憶録』より 清末小説28(清末小説研究会)
劉 徳隆 劉鐵雲・”救濟善會”・≪中外日報≫ 清末小説28(清末小説研究会)
冷 資料 催醒術 清末小説から76(清末小説研究会)
輪田 直子 弾詞『何必西廂』の文体-メタフィクションにおける「議論」 石巻専修大学研究紀要16
八、近、現代
相馬佐地子 〈断片化〉された上海-穆時英の小説に見る技巧- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
青野 繁治 中国文学あれこれ70作家たちとの食卓 季刊中国81
赤羽 陽子 性愛から透視する文革批判-王小波「黄金時代」を読む 日本中国当代文学研究会会報19
池田 靖 「出関」私論-「譬如同是一双鞋子罢,我的是走流沙,他的是上朝廷的」の考察 中国言語文化研究5
池田 智恵 心の中のもうひとつの世界-老舎「微神」とアルジャノン・ブラックウッド“The Strenger”- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
石田 肇 仙台の魯迅之碑をめぐって-碑形・建碑の事情、魯迅と金石学- 復刊東洋文化95
磯部 武秀 老舎の「不伝の世界」考 東北大学中国語学文学論集10(志村良治教授記念号)
伊藤 敬一 中国文学あれこれ69『水辺のアテイリヤ』 季刊中国80
伊藤 徳也 近代中国における文学言語 『漢字圏の近代-ことばと国家』東京大学出版会
伊藤 徳也 周作人の日本-「生活の芸術」と倫理的主体 『日本を意識する』講談社選書メチエ
稲畑 耕一郎 陳夢家の彷徨-キリスト者としての自覚の中で- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
岩佐 昌暲 「朦朧詩の発見」-「論争」から「批判」へ- 言語科学40(九州大学言語研究会)
岩佐 昌暲 関于『日本郭沫若研究会』 郭沫若学刊3(四川郭沫若研究学会)
岩佐 昌暲 虚構的風景 中国詩学研究4(安徽師範大学中国詩学研究中心)
岩佐 昌暲 謝冤 新中国と共に歌う-建国三十年詩歌創作の回顧(その1) 文学言語学論集11-2・12-1(熊本学園大学)
岩佐 昌暲 謝冤 新中国と共に歌う-建国三十年詩歌創作の回顧(その2) 文学言語学論集12-2(熊本学園大学)
岩佐 昌暲 探討中国大陸「文革時期文学」(蔡長江訳) 中共研究39-460(中共研究雑誌社[台北])
岩佐 昌暲 中国現代文学に見る女性像-「女性」「婦女」「女人」をキーワードとして- 言語と文化のジェンダー(言語文化叢書)15(九州大学言語文化研究院)
岩佐 昌暲 青島郭沫若学会参加記 郭沫若研究7(日本郭沫若研究会)
岩佐 昌暲 文革期の地方文学雑誌について 言語文化論究20(九州大学言語文化研究院)
岩佐 昌暲 文革期の地方文芸雑誌について ナオ・デ・ラ・チーナ8
岩佐 昌暲 民主化運動期の非公然出版物の文学資料-《沃土》を中心に- (磯部彰編)東アジア出版文化の研究-学問領域として書誌・出版の研究を確立するために(平成12年度~16年度科学研究費補助金特定領域研究研究成果報告書)
岩佐 昌暲 馮乃超における日本象徴詩の受容-「蒼白」という詩語を手がかりに 香坂順一先生追悼記念論文集(光生館)
岩佐 昌暲 朦朧詩 の発見-「論争」から「批判」へ 言語科学40(九州大学大学院言語文化研究院言語研究会 )
上野 千鶴子 (書評)李昂の新しい冒険『自伝の小説』 東方293
上原 かおり 王晋康のSF-科学のセンス・オブ・ワンダーはいかに物語に実を結んだか 日本中国当代文学研究会会報19
大河原 敦子 『上海ベイビー』の衛慧に聞く 季刊中国80
小笠原洽嘉 「大堰河-我的保姆」分析ノオト 中国言語文化研究5
小川 利康 映画「緑茶」を読む(上)-金仁順「水辺的阿狄麗雅」が映像になるまで- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
虞 萍 大学時代の冰心のめざす文学者-青年の自殺問題を中心に 名古屋大学中国語学文学論集17
夏 嵐 中国話劇史上の翻案現象について-1949年までの場合 富山大学人文学部紀要43
顧 蕾 母親の反逆-張愛玲「沈香屑-第二炉香」と「金鎖記」- 野草76
加藤 阿幸 徐志摩のギリシャ回帰願望に見える唯美主義の系譜 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
加藤 徹 (書評)アカデニズムの枠を超えた中国演劇論集『中国の芝居の見方』 東方288
釜野 修 中国文芸界の組織と管理構造(4・完)-めまぐるしい転換/文聯規約 日本中国当代文学研究会会報19
日下 恒夫 老舎のアメリカ時代-『鼓書芸人』覚え書き 関西大学中国文学会紀要26
楠原 俊代 韋君宜著『韋君宜回想録』(8) 言語文化8-2(同志社大学言語文化学会)
工藤 千夏子 蕭紅作品の文章技巧-情景描写の特徴について- 中国言語文化研究5
景 慧 魯迅の小説「傷逝」について-物語論からの一考察- 中国-社会と文化20(中国)社会文化学会
呉暁東著・濱田麻矢訳 中国文学におけるユートピア-廃名の『橋』から閻連科の『受活』まで 未名23
小島 久代 日本における沈従文研究(1926年~1986年) 明海大学外国語学部論集17
古丁・ 岡田英樹訳 「満洲国」時代の中国人作家の創作(4)小説 山海外経 植民地文化研究4
坂田 愛美 田漢の京劇『白蛇伝』の改作について 東京大学中国語中国文学研究室紀要8
佐藤 普美子 魯迅「一覚」をめぐる考察 お茶の水女子大学中国文学会報24
柴田 哲雄 雷鳴著『汪精衛先生伝』(3) 愛知学院大学教養部紀要53-1
柴田 哲雄 雷鳴著『汪精衛先生伝』(2) 愛知学院大学教養部紀要52-4
柴田 幹夫 康有為と青島 環日本海研究年報12(新潟大学大学院現代文化研究科日本海研究室)
柴田哲雄・手塚利彰 雷鳴著『汪精衛先生伝』(1) 愛知学院大学教養部紀要52-3
朱 園園 纏足-自伝による「20世紀中国の少女時代」描写の試み 花園大学文学部研究紀要37
植民地文化研究会 『作文』(第4輯~55輯 33・6~42・12)の主要作品・記事 植民地文化研究4
杉野 元子 (書評)四半世紀に亘る老舎研究の精華『日中戦記 老舎と文藝界統一戦線』 東方292
鈴木 直子 民国元年における新劇同志会の演劇活動 中国文化-研究と教育-63
鈴木 義昭 『学文』-最後の文芸雑誌- 神話と詩4(日本聞一多学会)
鈴木長十郎 瞿秋白評価の変遷-政治と文学のはざまで- 秋田中国学会50周年記念論集
銭 暁波 劉吶欧と中国新感覚派文学のはじまり-日本小説翻訳集『色情文化』についての一考察- 杏林大学研究報告-教養部門22
田川 めぐみ 謝氷心と小説「惆悵」について お茶の水女子大学中国文学会報24
竹田 晃 文学作品と言語教育-魯迅「故郷」をモデルケースとして 応用言語学研究7(明海大学大学院応用言語学研究科紀要)
舘 けさみ 90年代中国映画の試み-『流浪北京-最後的夢想者』と媽媽の比較を手がかりにして 中国文化-研究と教育-63
谷本 澄子 満洲芸文聯盟機関誌 『芸文』(全16冊)細目(上)自 1944年1月 至 1944年4月 植民地文化研究4
垂水 千恵 (書評)台湾文学研究充実のための必読文献『台湾新文学運動四〇年』 東方296
張 競 (書評)半世紀近く続けてきた思索の結晶『魯迅・文学・歴史』 東方291
張 建明 穆時英の「プロレタリア体験」について 野草76
張 新民 劉吶鴎の『都市風景線』について 人文研究56(大阪市立大大学院文学研究科)
張 文菁 ティアスポラとしての主人公-金庸の武侠小説『鹿鼎記』からみる文化的超越- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
張 寛敏 台湾文学と私(下) 植民地文化研究4
陳 朝輝 中国における片上伸受容史試論-プロレタリア文学の様式と内容を探求する人- 東京大学中国語中国文学研究室紀要8
辻田 正雄 老舎『茶館』札記 文学部論集89(仏教大学文学部)
寺田 守 教材解釈に内包される学習者像の検討-「故郷」(魯迅)の場合 大分大学教育福祉科学研究紀要27-1
董 大中 透視文学評論界的潜規則-答記者問 日本中国当代文学研究会会報19
鄧 捷 (書評)世紀末に描かれた飢餓意識『飢餓の娘』 東方291
鄧 捷 他者としてのまなざし-江文也の詩を読む- 東京大学中国語中国文学研究室紀要8
徳間 佳信 受け渡される生命の感受-石舒清の「小青驢」 日本中国当代文学研究会会報19
内藤 忠和 趙樹理文学における文芸大衆化-1930年代太原を舞台に 島大言語文化18
永井 英美 魯迅作品の「離婚」論 日本中国学会報57
長堀 祐造 魯迅と陳独秀-魯迅の陳独秀観と陳独秀の魯迅観- 慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション34
長堀 祐造 永久革命者の悲哀-「もし魯迅が生きていたら」論争覚書-上 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
西原和海・ 岡田英樹・ 西田勝 座談会 「満洲文学」での雑誌『作文』の比重 植民地文化研究4
野村 和弘 王国維の詩経研究 神話と詩4(日本聞一多学会)
白 永吉 馮至『伍子胥』における「怨恨」の叙事構造 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
白 先勇 小説 国葬〔含 台湾「外省人」文学史の視点から〕 植民地文化研究4
日下 恒夫 老舎のアメリカ時代─『鼓書芸人』覚え書き─ 中国文学会紀要26
福嶋 亮大 「不朽」の修辞学-新文学の起源について- 中国文学報69
藤井 省三 『東アジア文学史』の構想と魯迅・村上春樹 アジア遊学72
藤田 梨那 台湾作家司馬桑敦の「芸妓小江」について 漢学紀要7(国士舘大学漢学会)
牧角 悦子 中国近代の文人と学術-魯迅・郭沫若・聞一多- 神話と詩4(日本聞一多学会)
松村 茂樹 研究ノート:『ターンレフト ターンライト(向左走向右走)』私感 コミュニケーション文化論集3
丸尾 常喜 走的人多了,也便成了路─魯迅「故郷」末尾の一文について 東方288
丸中 靖子 一九四〇年代の駱賓基短編小説について 中国文史論叢創刊号
丸山 昇 魯迅の日本観 國學院雑誌106-11
丸山 昇 林守仁(山上正義)作「鉄砲記」について 野草76
三須 祐介 滬劇の「導演」-『羅漢銭』とその周辺- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
武 継平 郭沫若の自己批判の懸案 言語文化論究20(九州大学大学院言語文化研究院)
森 雅子 或る女性の影-周作人の文学的出発- 中国文学報69
山本 明 …小説における「段落」…蔡智恒…ネット文学の文体… 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
楊 暁文 豊子愷と厨川白村 日本中国学会報57
与小田隆一 民国期の天津における新文学結社とその活動 久留米大学文学部紀要国際文化学科編22
横打 理奈 民国期の『詩経』研究-胡適と古史辨派の場合- 神話と詩4(日本聞一多学会)
頼 端琴 日本統治期の台湾文学における留学体験 中国言語文化研究5
李 慶国 郭沫若と文求堂主人田中慶太郎-重ねて『郭沫若致文求堂書簡』の誤りを訂正する- アジア文化学科年報8(追手門学院大学文学部アジア文化学科)
劉 岩 文学訳本語言変遷初探-従魯迅訳文談起 中国語研究47
渡辺 武秀 老舎『火車集』試論─戦争表現を巡って─ 八戸工業大学紀要24
渡邊 晴夫 孫犁と短い小説-初心の志気から晩年の苦渋へ- 國學院雑誌106-4
渡邊 晴夫 孫犁にとっての抗日戦争 國學院中国学会報51
渡邊 晴夫 孫犁と外国文学 國學院雑誌106-11
九、民間文学・習俗
稲葉 明子 済南皮影戯採訪録-孔府の藝から都市の藝へ- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
内野 花 中国西南地区伝承の卵生型人祖誕生説話 千里山文学論集74
繁原 央 中国の小鳥前世譚(四)-追加資料3- 常葉学園短期大学紀要36
田村 容子 「中国演劇におけるジェンダーの表象」座談会記録-楊小青氏報告「私と越劇」を中心に- 女性史学15(女性史総合研究会)
千田 大介 冀東皮影劇のレパートリーをめぐって 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
辻本 久子 中国の水神説話・伝説-斬龍護国型説話の発生と形成に関する一考察 和漢語文研究3
角谷 聰 「三国志物語」の形成-蜀地方に伝わる張飛廟説話を中心に 中国古典小説研究10
鄭 高咏 虎のイメージに関する一考察-中国のことばと文化 言語と文化12(愛知大学語学教育研究室)
古川 末喜 中国越劇「追魚」訳稿 佐賀大学文化教育学部研究論文集10-1
松田 稔 『山海経』の怪異 アジア遊学71
十、日本漢文学
朝倉 尚 義堂周信『空華集』をめぐって-禅林文学研究者の憂鬱- 国文学攷185(広島大学国語国文学会)
朝倉 尚 五山版『新撰貞和分類古今尊宿偈頌集』『重刊貞和類聚祖苑聯芳集』の刊行をめぐって–義堂周信の存在証明 国語国文74(6) (通号 850)(京都大学文学部国語学国文学研究室)
朝倉 和 「少年老い易く学成り難し」詩の作者は観中中諦か 国文学攷185(広島大学国語国文学会)
朝倉 和 絶津中津の評価について-文学活動を中心に- 広島商船高等専門学校紀要27
朝倉 和 伝絶海中津作「題太寧寺六首」について 汲古47
朝倉 和 絶海中津『蕉堅藁』の伝本について(下)諸本間の関係 禪學研究83
新井 洋子 森春濤『清三家絶句』について 二松19
有澤晶子 依田学海の漢文小説 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
池澤 一郎 岡本綺堂の漢詩と俳句 國學院雑誌106-11
一海 知義 『草枕』の中の漢詩(一) 図書671
一海 知義 『草枕』の中の漢詩(二) 図書673
一海 知義 『草枕』の中の漢詩(三) 図書675
今浜 通隆 『本朝麗藻』全釈(65)-作品(上の19)について其の一- 武蔵野大学文学部紀要6
内山 知也 越柏新誌と関栄太郎 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
王 京鈺 五山句題詩の特徴 日本中国学会報57
王 国良 漢文笑話集奇談新編 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
太田 亨 日本禅林における杜詩解釈-「賛上人に別る」詩について- 中国中世文学研究48
小串 信正 漢詩概論『詩轍』の評価と研究-詩人・文学者としての三浦梅園 曙光2-3
奥村 佳代子 江戸時代における唐話資料と「白話風」小説-『訳家必備』『忠臣蔵演義』と『海外奇談』- 中国文学会紀要26
尾本 優輝 広瀬淡窓「歳暮」による授業実践報告 漢文教育30(中国中世文学会)
加固理一郎 石川鴻斎と怪異小説夜窓鬼談東斉諧 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
加藤 国安 近藤篤山と別子銅山 愛媛大学地域創成研究年報1
高 兵兵 菅原道真の交友と源能有 和漢比較文学35
合山 林太郎 (書評)『漢詩文集』(新日本古典文学大系・明治編 第二巻) 和漢比較文学34
合山 林太郎 野口寧斎の前半期-明治期における漢詩と小説- 復刊東洋文化95
小山 順子 藤原良経の漢詩文摂取-初学期から「二夜百首」へ 国語国文74-9(京都大学文学部国語学国文学研究室編 )
齋藤 聡 江戸文人の足跡を訪ねて-谷中霊園・向島- 漢学紀要7(国士舘大学漢学会)
坂口 筑毋 明治漢詩文と翻訳文学の「近代性」-重野桜西の場合- 復刊東洋文化95
佐藤 道生 江註と私註-『和漢朗詠集』注釈の視点- 国語と国文学82-5(東京大学国語国文学会)
佐藤浩一 山本北山笑堂福爺について 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
蒋 義喬 詠物詩から句題詩へ-句題詩詠法の生成をめぐって- 和漢比較文学35
高橋 博巳 (書評)杉下元明著『江戸漢詩 影響と変容の系譜』 和漢比較文学35
高橋 未来 柳橋新誌について 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
滝川 幸司 宮廷詩宴雑考 奈良大学紀要33
池 秀清 漱石漢詩研究-律詩の格律から見た漱石律詩の詩型様相- 文明の科学4(城西国際大学大学院)
陳 菊 江戸時代の代表的な漢詩の一つ「九州三絶」と李白の詩歌 秋田中国学会50周年記念論集
陳 慶浩 古本漢文小説識別試論 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
土田 健次郎 仁斎先生の漢文修行 新しい漢文教育40
冨田 康之 紀海音と『和漢朗詠集』 北海道大学文学研究科紀要117
鳥羽田 重直 漱石と子規と漢詩 和洋国文研究40
直井 文子 海外異伝の執筆異識 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
直井 文子 斎藤拙堂の海外異傳とその匡謬書 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
長尾 直茂 諸葛孔明批判論とその本邦における受容をめぐる一考察 斯文113
萩原 正樹 森川竹磎家世考 學林42
林田 愼之助 茶山の黄葉夕陽村舎 創文475(特集・六朝文学への思索)
日野 俊彦 幕末期の森春濤 二松19
藤崎 生雲 人見蕉雨の「秋藩八景」 秋田中国学会50周年記念論集
藤田 智章 漱石詩における「白雲」のイメージについて 二松19
細矢 和夫 菅茶山を読む 秋田中国学会50周年記念論集
前川 正名 西村天囚の楚辞学 國學院雑誌106-11
前川 幸雄 芥川丹邱作「有馬八勝」小考 國學院中国学会報51
前川 幸雄 橋本左内作「鷹巣山懐古、弔畑将軍」小考 国語国文学44(福井大学言語文化学会)
前川 幸雄 橋本左内作「謁新田墓、弔源左将公」考 國學院雑誌106-11
村山 吉廣 安積艮齋撰文「北林先生墓表」解題・訳注 中国古典研究50
柳川 順子 大江千里における「句題和歌」制作の意図 広島女子大学国際文化学部紀要13
鷲野正明 『忠臣庫』と漢詩 日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』
渡辺さゆり 訓点資料として見た金沢文庫本白氏文集所収「長恨歌」について 比較文化論叢15(札幌大学文化学部紀要15)
十一、比較文学
青山 克彌 剪灯新話と牡丹灯籠 アジア遊学71
浅野 純一 (書評)地域と中国『中国現代文学と九州』 東方296
朝比奈英夫 古代人と楽園-『風土記』・『万葉集』・『新撰万葉集』にみえる理想郷 アジア遊学82
磯田 一雄 台湾歌人に詠まれた「辞世」の歌-台湾日本語文芸の意味- 東アジア研究42(大阪経済法科大学アジア研究所)
磯部 祐子 東アジアにおける中国才子佳人小説の影響-『二度梅』と『好逑伝』を中心に- 東北大学中国語学文学論集10(志村良治教授記念号)
伊藤 徳也 周作人の日本-「生活の芸術」と倫理的主体 『日本を意識する』講談社選書メチエ
岩井 宏子 貫之の「老い」を鏡に映し見る歌-白詩との関係を探る- 和漢比較文学35
于 暁平 日本文学の「もののあわれ」と中国文学の「悲哀」 秋田中国学会50周年記念論集
榎本 福寿 神祇から天神、そして皇祖へ-日本書紀の神祇、その(二)- 國學院雑誌106-11
太田 亨 日本禅林における杜詩受容-中期禅僧の目録に見られる杜詩の浸透 広島商船高等専門学校紀要27
太田 亨 日本中世禅林における陶淵明受容(2)初期における杜甫受容と比較して (六朝詩の語彙および表現技巧の研究) 中国古典文学研究3
大津山国夫 (新刊紹介)楊英華『武者小路実篤と魯迅の比較研究』 学苑779(昭和女子大学)
岡 晴夫 李笠翁と風来山人 新しい漢文教育40
奥村 佳代子 江戸時代における唐話資料と「白話風」小説-『訳家必備』,『忠臣蔵演義』と『海外奇談』 関西大学中国文学会紀要26
斧原 孝守 書評 繁原央著『日中説話の比較研究』 常葉国文28
郭 偉 武田泰淳における「翻訳」-中国東北関連作品の翻訳にふれつつ- 野草76
加藤 国安 子規のインターフェースの世界-自作漢詩と俳句(24) 子規新報1-113
加藤 国安 子規のインターフェースの世界-自作漢詩と俳句(25) 子規新報1-114
門澤 功成 『異本紫明抄』編者周辺の文献とその引用のあり方-「長恨歌」「長恨歌伝」本文の検討から- 白居易研究年報6
金原 理 (書評)田中隆昭著『交流する平安朝文学』 和漢比較文学35
川 浩二 『通俗皇明英烈伝』の「英烈」-歴史小説《英烈伝》の日本における受容から- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
金卿東・富福健二訳 高麗期の詩人李奎報における白詩受容 和漢比較文学35
金卿東・富福健二訳 高麗期の詩人李奎報における白詩受容 和漢比較文学35
呉 毓華 『宇津保物語』における琴の描写と中国の古典 横浜国大国語研究23
寇 振鋒 清末『新小説』誌における『歴史小説洪水禍』─明治政治小説『経国美談』からの受容を中心に 名古屋大学中国語学文学論集17
高 兵兵 菅原道真の住まいと白居易─平安京宣風坊邸と洛陽道履里邸─ 白居易研究年報6
興膳 宏 落語と中国の笑話 東方291
河野 貴美子 善珠撰述仏典注釈書における老荘関係書の引用 アジア遊学73
後藤 昭雄 平安朝漢文学における神仙思想の受容 アジア遊学73
後藤 秋正 蕪村「菜の花や月は東に日は西に」と漢詩 語学文学43(北海道教育大学語学文学会)
曹 元春 杜甫への共感-芭蕉における杜詩「遊龍門奉先寺」の受容をめぐって 総合文化研究所紀要(共立女子大学総合文化研究所)11
園山 延枝 中国に於ける村上春樹「受容」-翻訳者・林少華の評価を中心にした考察- 野草76
孫 佩霞 『紅楼夢』と『源氏物語』における恋愛-尚会鵬著『中国人与日本人』より- 日本女子大学紀要文学部54
高屋 亜紀 李修文『泣きぼくろ』に見る村上春樹の一端-SMをめぐる綺想- 中国文学研究31(杉山達夫教授退職記念)
辰巳 正明 芭蕉と野ざらし紀行-いわゆる〈天〉と〈性〉の理学について- 國學院雑誌106-11
立石 展大 日中「猿の生き肝」の比較研究 國學院雑誌106-11
田中 尚子 関羽顕聖譚の受容『碧山日録』を端緒として- 国語と国文学82-9(東京大学国語国文学会)
趙冬梅・宋志明 中国新文学与日本文学掠影 亜細亜大学学術文化紀要8
陳 菊 江戸時代の代表的な漢詩の一つ「九州三絶」と李白の詩歌 秋田中国学会50周年記念論集
陳 炳崑 王禎和『玫瑰玫瑰我愛爾』-中国語、台湾語、英語、日本語等の複数言語による小説表現 曙光2-3
塚越 義幸 『おくのほそ道』と漢詩文(六)─その引用と解釈をめぐって─ 野州国文学75
塚越 義幸 『俳諧類船集』と中国古典-『古文真宝』を中心に- 國學院雑誌106-11
丁 国旗 中日隠遁の異質性を発生学から考える-陶淵明と西行を中心に- 神戸女学院大学論集52-1
鄭 墡謨 高麗期における杜詩受容-李奎報を中心として- 中国文学報69
寺窪 健志 大伴家持における「蘭亭集」の受容 解釈51(3・4) (通号 600・601)
十重田 裕一 新感覚派文学の中国における受容の一側面-『色情文化』を中心に 曙光2-3
都丸 敦生 『捜神記』の怪奇-日本の説話との関係から- アジア遊学71
富原 カンナ 「方丈」考 和漢比較文学35
中村 佳文 和漢比較教材の有用性–古文・漢文の均衡と国際化対応への配慮として 早稲田大学大学院教育学研究科紀要13-1
西岡 淳 市川寛斎『寛斎遺稿』と唐宋の詩人たち 南山大学日本文化学科論集5
袴田 光康 『源氏物語』における「長恨歌伝」の研究-「桐壺」巻其の三- 文芸研究97(明治大学文学部紀要)
フォーリ・ジュリアン 老病死と詩人-大江匡房の晩年 アジア遊学79
フランソワ・ラショー 反魂香と李婦人の幻影 アジア遊学79
堀川 貴司 こぼれ咲きの花-禅林ゆかりの小作品群- 国文学 解釈と教材の研究50-10
堀川 貴司 懐古詩歌帖 翻刻と解題 松尾葦江編『海王宮-壇之浦と平家物語』(三弥井書店)
堀川 貴司 書評と紹介 今泉淑夫著『日本中世禅籍の研究』 日本歴史680
堀川 貴司 中世から近世へ-漢詩文、漢籍をめぐって- 中世文学50
本間 洋一 筧(かけひ)の見える風景覚書-漢詩と和歌と- 同志社女子大学日本語日本文学17
松村 茂樹 呉昌碩と高島屋 中国近現代文化研究8
三木 雅博 (書評)新間一美著『源氏物語と白居易の文学』『平安朝文学と漢詩文』 白居易研究年報6
三木 雅博 中国晩唐期の唐代詩受容と平安中期の佳句選-顧陶撰『唐詩類選』と『千載佳句』『和漢朗詠集』- 国語と国文学82-5(東京大学国語国文学会)
安野 博之 我が国における「長恨歌」享受の周辺─ライデン本系統「長恨歌前文」を中心に─ 白居易研究年報6
山田 尚子 伍子胥と範増-『太平記』巻二十八所引漢楚合戦譚をめぐって 芸文研究88(慶應義塾大学芸文学会)
尤 海燕 「風」から「そへ歌」へ-『古今集』仮名序の「そへ歌」を中心に- 和漢比較文学35
好 並晶 戦中合作映画の舞台裏-『狼火は上海に揚る』における日中映画人- 野草76
吉田 公平 夏目漱石と心学-『門』に登場する『菜根譚』を手がかりに- 東洋古典学研究20(広島大学東洋古典学研究会)
李 燕 蚕神説話に関する中日比較研究-「蚕女」言動を中心に- 駿河台大学論叢31
李 銘敬 日本における『三寶感応要略録』の受容について 中国古典研究50
李 慶国 梁啓超的《新中国未来記》与日本明治時代的未来記小説 追手門学院大学文学部紀要41
劉 玲 『三体詩幻雲抄』における漢籍の引用(2) 国語国文学44(福井大学言語文化学会)
十二、書誌
荒木 猛 北京大学図書館蔵馬氏不登大雅文庫旧抄戯曲「金瓶梅」についての一所見 文学部論集89(仏教大学文学部)
臼田 真佐子 狩谷棭斎『説文検字篇』所載の字書 お茶の水女子大学中国文学会報24
佐藤 晴彦 国家図書館蔵『水滸伝』残卷について 日本中国学会報57
佐藤 道生 日本漢籍の国外流出-明治前期の概観 芸文研究88(慶應義塾大学芸文学会)
静永 健 十三世紀の『白氏文集』-藤原定家と高麗文人李奎報とにおける書誌的考察- 中国文学論集34
中川 諭 継志堂刊『三国英雄志伝』について 中国-社会と文化20(中国)社会文化学会
中川 諭 上海図書館蔵「三国英雄志伝」二種について 新大国語30
成瀬 哲生 抽禁処分と『虞初新志』-異本新考- 新しい漢文教育40
野原 康宏 〈紹介〉官板李長吉歌詩・至元刊本唐李長吉歌詩・足利本唐李長吉歌詩 未名23
弊旗 佐江子 『狐媚叢談』と『狐媚鈔』をめぐって(1) 久留米大学大学院比較文化研究論集18
和田 浩平 敦煌学と白居易詩抄本文の研究─王重民を中心として─ 白居易研究年報6
渡瀬英仁・神鷹徳治 『伝小野道風法帖』翻字と本文の系統について 白居易研究年報6
十三、前集の訂正
鷲野 正明 「漢詩文作法」授業報告 皇學館大学社会福祉学部紀要6
鷲野 正明 漢詩と「ことば」(一) 国士館大学漢学紀要6
荻野 友範 『墨子』引詩考 中国文学研究30
興膳 宏 子が描く母の肖像-『金楼子』后妃篇について- 東洋-比較文化論集-(宮沢正順博士古稀記念)
高橋 大輔 曹植の賦における「遊」と「独」 筑波中国文化論叢24
李沢厚著・河内利治訳 魏晋の風度-文の自覚・阮籍と陶潜- 国士館大学漢学紀要6
金子 修一 大唐元陵儀注試釈(4) 山梨大学教育人間科学部紀要6(2) (通号 12)
丸山 茂 白氏交遊録-元稹・劉禹錫-(中) 研究紀要67(日本大学文理学部人文科学研究所)
荊木 美行 『太平御覧』所引の図経逸文について 皇學館大学社会福祉学部紀要7
中原 健二 李義山「楽遊原」と宋人-「只是」をめぐって 中国学志 臨号(19)
保苅 佳昭 蘇軾の「一斛珠」、「漁家傲」、「如夢令」の詞について 総合研究10-2・3(日本大学商学部創設100周年記念号)
青木 隆 李贄の格物説と読書論 研究紀要68(日本大学文理学部人文科学研究所)
荒木 典子 『金瓶梅詞話』兼語式と処置式-“VO在L”と“把OV在L”を中心に 中国文学研究30
川 浩二 一矢、睛を貫く-史書『皇明通紀』と歴史小説『英烈伝』の語り 中国文学研究30
鷲野 正明 明代「古澹派」について(一) 国士館大学漢学紀要6
荒井 禮 帯経堂詩話注釈(二) 国士館大学漢学紀要6
北村 眞由美 金聖嘆の『水滸伝』改作-七十回本における銘々伝の接合について 中国文学研究30
辻 リン 道楽と改心-岐路に立つ『岐路燈』の文学 中国文学研究30
池田 智恵 『近代侠義英雄伝』と『国技大観』 中国文学研究30
高屋 亜希 劉弢『難爲情』に見る「考X」言説-「実現されない私」というトポス 中国文学研究30
劉 軍 『新青年』時代の周作人と日本-「貞操論』を中心に- 人文研究所報37
丹羽 博之 乃木希典「金州城下作」と唐代詩文-付、歌曲「花」・唱歌「仰げば尊し」と古典- 大手前大学人文科学論集5
松村 茂樹 呉昌碩と日本人士-田口米舫 中国近現代文化研究7
南 海 中日近代文学に於ける主題走向について-その密閉と開放- 鈴鹿国際大学紀要11
コメント
はじめに
我々が調査した限りでは、二〇〇五年に出版され公表された中国文学に関係する著書はほぼ二一〇点、論文は六八〇点ほどになる。著書の数は昨年とほぼ同数、論文の数はやや少ないが、今年は重複記載をしていないので、ほぼ同じと言えるものと思う。
さて、これらの著書、論文を、時代による分類別に見てみた場合、その数における特徴は、昨年ほどではないものの、やはり「⑧ 近現代」の著作論文が比較的に多いということであろう。著書においては、それぞれの時代に一〇点~三〇点の著書が出版されている。「② 先秦」および「⑦ 清代」が三点と少ないことを例外として、これらの分類間にあまり大きな違いはない。それに対して、「⑧ 近現代」には四四冊の著書が出版されている。
また、論文は、「⑧ 近現代」にほぼ一〇五本書かれている。昨年の約三分の二に過ぎない。しかし、例年、他の時代に比べて数の多い「③ 漢魏晋南北朝」には七〇本、また「④ 隋唐五代」には九四本しかなく、ともに昨年の三分の二ほどである。したがって、「⑧ 近現代」の一〇五という数はやはり相対的に多いと言って良いだろう。昨年も述べたが、この十数年、近現代文学の研究が盛んに行なわれてきていることは歓迎すべきことである。
昨年述べたのは、近現代文学の研究を志す者の中に、古典に対してまったく興味を示さない者が増加する傾向にあることであった。そして、そのような傾向を是正するためにも、中学高校の授業において「漢文」が復活することを期待したいと述べた。 一方、古典の研究を志す者が現代中国に興味を示さないことはほとんどない。それは現代中国語の学習を通過しているからだという主旨のことを述べた。これは近現代文学の研究を志している者の中に古典に全く興味を示さない者がいることに対して苦言を述べようとしたものであった。
しかし、いささか勇み足であった。実際には古典の研究を志している者の中に、逆に、現代中国語の学習をあくまで古典読解の一つの手段としてしか捉えていない者が相当の割合でいる。
今年は、古典研究の方の問題について述べたい。
数年前から社会は大学に対して露骨に「実学」を求めるようになった。このような傾向は「虚学」の場である文学部の存在意義に関わるものである。そのような状況の中で文学部に進学してくる学生は、法学部や経済学部に進学する者に比べて、やはりその心性においてすでに幾分か異なったものを持っている。それは「反実学志向」とまではいかなくとも「非実学性向」と言ってよい。そして彼らの中には古典の世界に素朴な興味を示す者がかなりいる。
古典への関心そのものは、勿論、いささかも問題ではない。問題なのはその世界に入り込んでまるで骨董を愛玩するように「漢詩」を玩んだり、パソコンの中のバーチャルな空間にみずから生きているかのように「三国志」の世界に閉じこもることである。
それは定年退職者が中国の古典に興味を抱き、熱心に大学のオープンキャンパスに通うことと、一見するところまったく反対の傾向のようである。しかし、その本質は何も変わらない。彼らにとって中国の古典は現実の中国とは無関係に存在しているのである。二十代にしてすでに「余生」のヒマつぶしになってしまっているのだ。「漢詩」を骨董趣味の玩物の対象に堕しめてはならないし、「三国志」をパソコンの中に閉じこめてもならない。すべて閉ざされた世界において自己目的化しているからである。
もちろん、現役の研究者がそうだというのではない。しかし、いま古典を学習する者の中に、まったく現代中国に興味を示さない者が相当数いるところを見ると、この先ますますそのようになっていくのではないかと懸念される。そして、現役の研究者が彼らを導くものを持っていないのではないか、そのように危惧されるのである。
今となってはもう二十年以上も前のことであるが、浅田彰氏は『構造と力―記号論を超えて―』の「序に代えて」において次のように述べた。
知のための知などという安手なスローガンに今もって心を動かされる者がいようとは、とても思えない。あくまでも虚学だと意識しているうちはいいとして、そのうち祭司の如き情熱をもって自己目的化した知に拝跪するとなると、傍で見ていて肩をすくめてみたくなるのも無理はない。しかも、そのようにして肥大した知が、しらずしらずのうちに社会の中で宗教的機能を果たし始めるという逆説にも、あなたは気付いているはずだ。それくらいなら、後者のように「たかが手段なのだから」と、いって知を相対化しうる方がましだろう。
現代中国語の学習など「たかが手段」にすぎないとして、結局は古典の世界に閉じこもる。それは「知のための知」にさえなっていない。そのような現在の学生や院生の傾向に対して、もっと現代とコミットしなければならない、そう叫んでみてもおそらくは何も始まらない。ただ、その原因を古典研究のあり方の中に探っておくことは古典研究者として自己を反省するためにも無駄ではあるまい。
では、なぜそうなってしまうのか。古典研究に足を踏み入れたばかりの段階に限定すれば、次のようなことが言えるのではないか。古典研究にはさまざまな基礎学、さらには古典を読解するための基礎的訓練が不可欠であり、それを身につけるために努力を重ねているうちに現実から切り離され、古典世界に埋没していくのだ、と。
古典を研究するには書誌学・目録学などの基礎学が必要あり、古典研究を志す者はそれについて一通りの知識を持っていなければならない。どれ一つを取ってみても容易なものではない。数年にわたる不断の努力が不可欠である。また、古典は、言うまでもなく、現代語とは異なった「ことば」で書かれている。古典を研究する者にとって現代中国語を身につけることは現在においてはすでに必要にしてかつ不可欠なことである。とは言え、現代中国語をマスターすれば古典が読めるようになるわけではない。文字学・音韻学・訓詁学などのいわゆる「小学」の知識がなければならない。
基礎的な知識を身につけ読解の訓練をすることはたしかに困難をともなう。しかし、困難さは往々にして一種の面白さをもたらす。基礎学の学習の困難さもその例外ではない。その困難さと面白さ、そのような一見相反することがらが、ともすれば古典の世界に人を沈潜させ、現代中国に対する関心を失わせていく。いつのまにか手段が目的化され、やがて「知のための知」になっていくのである。
そのことは明清の白話文学の研究にも言えることである。近世白話を読み解くためには現代中国語の修得は不可欠であるものの、それだけで読めるようになるわけではない。たしかな辞書さえ十分には備わっていないこの時代の言語を読解するためには並々ならぬ努力が必要である。そして、この時代には唐宋以前とは比較にならないほどの厖大な文献が存在している。文献探索には書誌学、目録学などに関する基礎知識がなくてはならない。その作業はこの時代のいかなる研究にも不可欠である。
もちろん、現代文学の研究にそのような困難がないと言うのではない。古典のそれに勝るとも劣らない努力が必要であることを否定しはしない。言いたいのは次のようなことである。現代文学を研究するには、その基礎となるものの学習が如何に困難なものであろうとも、現代中国の研究につながっていることである。現代中国を考えずに現代文学を研究することは不可能であるし、おそらく意味を持たない。また、それがそのまま「いま」「ここ」に生きる自らの存在への反省をもたらすはずである。
それに対して古典を読解するための基礎学の学習は、それがどのようなものであろうとも、現代中国に、そして「いま」「ここ」に生きる自分という存在に直に関わることはない。その結果、古典の世界に埋没することとなり、古典研究は「知のための知」となってしまうのである。古典を研究することと今の時代に生きること、その間に乖離が生じ、そして、細分化された「タコツボ」の中に閉じこもる。
その一方で、「古典」を現代に活かす、そのような言い方が訳知り風に語られることがある。『論語』の言葉を会社経営に利用し、『孫子』の兵法を経営戦略に用いる、また『三国志』の知恵を社会に生きる知恵として学ぶ。いかにも古典を現代に活かすことのように思える。そして、そのような本が書店のビジネスコーナーに溢れんばかりに並んでいる。
しかし、ここで問うている「いま」「ここ」に生きることとの関係というのはそのようなことではない。むしろ絶対に避けなければならないのはこのような安直な活かし方である。もっとも今そのように語る古典研究者がいるとは思えないけれども。
それは論外だとしても、一方に古典に関心を示さない現代文学研究志望者がおり、もう一方に現代中国に興味をもたないで古典の世界に埋没している者がいる。そして、お互いがお互いに対して無関心である。そこにはすでに覆うことのできない断絶があり、そして、その傾向は無意識のうちに推し進められている。そのように思われるのである。
古典研究者の立場から言えば、そこに求められるのは、当然のことだが、「古典」に沈潜しつつ現代ともコミットする、そういうスタンスであろう。しかし、どうすればそれは可能なのか。おそらく、中国の古典を中国のものだけでなく、アジアの中の古典、さらには世界の古典として捉えることであろう。
そのようなスタンスで語られる論考が無いわけではない。溝口雄三氏の『方法としての中国』(一九八九年)や『中国の衝撃』(二〇〇四年)に収められた諸論文、さらにはそれに関する一連の論考が手本として存在している。ただ、それらは近代そのものを直接の検討対象としており、そのようなスタンスで語られるのは当然と言えば当然のことである。
また、二〇〇二年に出版された川合康三氏の編になる『中国の文学史観』に収められた諸論考も一つのヒントを与えてくれる。この書は当たり前のように考えられている「文学史」という考え方の相対化を試みたものである。「文学史」という考え方は西洋近代の思考に基づくものであるが、西洋近代の基準によって中国の文学史を記述するという従来の方法を、中国の伝統的な思考に沿って再検討する必要があるとしている。
これらの論考の問題意識は本欄で言う現代的課題から生じたものではないかも知れない。しかし、現代の日本において中国の古典を研究することの意義を問うていることは確かである。「いま」「ここ」に生きる自己にとって古典研究とは何か。その問いに答えるためには、現在の学生・院生のありようを批判する前に、研究者自身が自己を省みる必要があるのではないか。
それでは、古典研究の現代的意義とは何か。それはひとまず、自己を相対化する視点の獲得と言えるのではないか。中国の古典を研究することは、まずは自文化ではなく他文化を対象とするという点で自文化が相対化される。これは言わば空間軸における相対化である。さらに現代ではなく過去の文化を対象とする点でもう一度相対化される。こちらは時間軸における相対化である。空間軸・時間軸という二つの座標軸において同時になされるという点で、言わば「二重」の自己相対化だと言うことができる。
ただ、このような相対化は西洋の古典を研究する際にもなされることであって、中国の古典に限ったことではない。中国の古典を研究することには、西洋の古典を研究することとは異なった特殊性がある。それは中国の古典は我々日本人の文化を深いところで形成してきたという側面である。
日本の文化は、その最も根元的なところで中国古典の影響を受けている。そして、我々日本人はすでに無意識裡に中国の伝統文化を身につけてしまっている。身につけていることすら気がつかないほどに。「漢字」がその代表例であろう。日本の文化は「漢字」を切りはなしては存在し得ない。しかし、それ自体はもとは他文化のものであった。そして、そのことが意識されることはほとんどない。
したがって従来の「漢文訓読」という方法を用いていたのではそのような自己=日本文化が相対化されることことはない。漢文訓読法はあくまで自文化の範疇に含まれるものでしかないからである。
しかし、そのような自己を相対化するのは、実は、他でもない「漢文」、そして「漢文訓読」という存在ではないか。それに対する再認識ではないか。他言語であると同時に自言語でもあるという「漢文」「漢文訓読」、それはまるでヌエのような存在である。そしてそれは日本人である「自己」そのものでもある。そのような自己を自覚し再検討することによって、もう一つの相対化が可能になるものと思う。
中国古典を研究することは、そのような意味で「三重」の相対化の視点をもたらすものと言えよう。そのことが、「いま」「ここ」に生きる我々日本人が中国の古典を研究する意義である。ひとまずはそのように言えるものと思う。そこには「相対化」の「絶対化」という泥沼が待っていることは明らかであるが、その泥沼から抜け出すためにも、一旦は「相対化」を徹底する他はないのではないか。一見、迂遠なことに思える。直に現代にコミットすることができないだけに歯がゆいことでもある。しかし「虚学」である文学研究がなし得るのはこのようなことでしかない。しかし、それこそが「虚学」の中の「虚学」である中国古典の研究の存在意義であり、それがひとまず我々が取り得る一つの態度であると思う。そのような意味で、二〇〇五年年出版の齋藤希史氏『漢文脈の近代 清末=明治の文学圏』と田部井文雄氏編『漢文教育の諸相―研究と教育の視座から―』は注目される。本欄の最後に取り上げたい。
さて、昨年同様、二〇〇五年一年間の文学関係の著書や論文のリストをながめ、あるいは著書、論文そのものを読んでみて、そこから得られた学界の大まかな動きをここに報告したい。この一年間では次のような特徴を挙げることができる。
一、近現代文学の多様な翻訳書、研究書の刊行
二、学位論文の刊行
三、論文集の刊行
四、著作集の刊行
五、再版書の刊行
六、漢文関係の書の刊行
これより以降、これらについて順次述べていきたい。
一、近現代文学の多様な翻訳書、研究書の刊行
中国の現代小説でもっともよく売れているのは武侠小説とのことである。その翻訳もこの十年ほど盛んになされてきた。二〇〇五年においては梁羽生の『七剣下天山』(土屋文子監訳)や台湾の人気女流作家瓊瑤の『還珠姫』(阿部敦子訳)の翻訳がその代表と言って良いだろう。また、武侠小説の最も著名な作家は言うまでもなく金庸であろうが、その『射鵰英雄伝』(金海南訳)が徳間書房から出版されたのは一九九九年である。二〇〇五年には、それが文庫本版として再版された。それほどに日本でも読まれているということであろうか。
この分野の研究書、あるいはそれに準ずるものとしては、神奈川大学で行われたシンポジウムをまとめた『歴史と文学の境界―「金庸」の武侠小説をめぐって』(神奈川大学人文学研究所・二〇〇三年出版)や鈴木陽一氏の『金庸は語る―中国武侠小説の魅力』(御茶の水書房・同右)であろうが、この分野の研究がもっと進められることを『射鵰英雄伝』の再版を機に期待したい。なぜなら、このような武侠小説が中国や日本、あるいはアジアの諸国に普遍的に受容されるということ自体に、この地域の大衆文化の、非アジア文化圏のそれに対する特徴を見いだすことができると考えるからである。一九九九年に出版された金海南(金文京)氏の『水戸黄門「漫遊」考』はそのような研究の先駆けであるが、それに続くものを期待したいということである。
その他の現代小説の翻訳としては衛慧の『ブッダと結婚』(泉京鹿訳)、高纓の『海辺の貝』(田中須磨子訳・王敏監修)、張平の『十面埋伏』(荒岡啓子訳)、ノーベル賞作家高行健の『母』(飯塚容訳)、呉民民の『シー・ウルフ 海狼』(金子わこ訳)などがこの年に出版された。いずれも一九九〇年以前には想像することもできなかった作品であり、それをほぼ同時代に翻訳して出版することは、近年において顕著に認められることであるが、高く評価しなければならない。台湾現代青春小説である大頭春の『ワイルド・キッド』(岸田登美子訳)の翻訳、さらには、楊煉の詩集の翻訳『幸福なる魂の手記』(浅見洋二編訳)もそれらと同様の成果に数えられる。
しかし、それらの現代小説、現代詩に関する研究論文となると必ずしも多くはない。先に挙げた金庸に関する研究書も本格的な研究書ではない。近現代文学についての論文は依然として、魯迅や老舎、謝冰心などの作家論、作品論が中心である。それらの論文は一定の水準以上にあり、評価するに値すると判断されるが、九〇年代以降の文学についてもこのような研究がなされることを大いに期待したい。
その他の注目すべき翻訳として、若き日の郭沫若が母国の両親に宛てた書簡の翻訳『桜花書簡―中国人留学生が見た大正時代』(大高順雄訳)がある。また、上海戯劇学院院長、上海創作学会会長を歴任した余秋雨の、世界の文明のふるさとを訪ねた紀行文二書の翻訳『余秋雨の千年一嘆 古代から現代の文明を思考する』(楊晶・加藤優子訳)、『余秋雨の文化苦旅 古代から現代の中国を思考する』(楊晶訳)がある。また、異色なものとして残雪の批評書の翻訳『魂の城 カフカ解読』(近藤直子訳)がある。これは、厳密に言えば中国の文学のものではないが、残雪の文学を読み解く上で重要な資料となるにちがいない。中国文学の成果として評価したい。
近現代文学の研究書としては、まず、『沈従文「辺城」の校勘』が挙げられる。沈従文の代表作「辺城」の二十四種にもおよぶ版本を比較、校勘したもので、城谷武男、角田篤信の両氏の編になるものである。この書は今後の沈従文研究の基礎となるであろう。
また、一九二〇年代における三人の文学者の文芸批評論を取り上げてその内容を検討したものに中井政喜氏の『一九二〇年代中国文芸批評論 郭沫若・成仿吾・茅盾』がある。魯迅の論敵であった創造社の郭沫若・成仿吾、さらには彼らと激しく対立した文学研究会の茅盾を取りあげ、一九二〇年代の文学者が当時の情況の中でなぜ熾烈な論争を繰りひろげざるを得なかったのか、その経緯を確認している。
台湾の新文学運動の歴史について論じた彭瑞金氏の翻訳『台湾新文学運動四〇年』は、終戦から国民党の来台、二二八事件、政治的恐怖、高度成長と安定、民主化運動の高揚、激動の時代の中でいかに発展してきたかを論じたものである。原書は一九九一年に出版されたものであるが、翻訳者である中島利郎・澤井律の両氏によって全四六〇頁中一六〇頁にも及ぶ詳細な訳注が施された。この訳注が加わることによってこの年の重要な成果の一つとなった。
その他に藤井省三氏の『二〇世紀の中国文学』がある。「中国文学」は中国における近代的国民国家の建設とともに誕生したが、この書は、上海・北京という南北の都市を手がかりに近代中国と二〇世紀の中国文学を読み解こうとしたものである。その際のキーワードを藤井氏は「メディア=知の媒体」と「都市の社会学」としている。さらに、中国大陸だけでなく香港、台湾、日本、東アジアを視野に入れて論じている。二〇世紀の中国の文学を概観する上で興味深い視点を提供していると言える。
また、台湾文学の小辞典として中島利郎氏編著の『日本統治期台湾文学小事典』が出版された。日本統治期の台湾文学の事項を調べるのに有用な事典である。「日本統治期台湾文学小事典」「写真で見る日本統治期台湾文学小史」からなっている。
以上のものはいずれも文学に関するものであるが、中国の現代における戯曲や芸術について書かれたものがある。孫玄齢氏の『中国芝居の人間模様―お前が引っ込みゃおれの番』と、王凱氏の『中国芸術の光と闇―波瀾万丈の百年芸術史―』である。
『中国芝居の人間模様―お前が引っ込みゃおれの番』(田畑佐和子訳)は孫玄齢氏の著であるが、氏は一九四四年生まれで、元中国芸術研究院の助教授、現在は麗沢大学の教授である。中国古典演劇音楽理論、中国音楽史を専門としている。日本人が中国文化を理解できるように「中国人がどのように芝居を観ているか」という角度から中国戯曲の世界を随筆風に紹介している。
『中国芸術の光と闇―波瀾万丈の百年芸術史―』の著者である王氏は中国杭州市の出身の画家で、現在は武蔵野美術大学の教壇に立っている。日本人にとっての中国の美術と言えば伝統的な水墨画や書道あるいは工芸品である。しかし、現代中国ではそれらとは全く異なった作品が作られ続けてきた。この書は清国滅亡から現代までの中国の美術の歴史を辿った「真実のドキュメント」であり、この百年の中国美術史を概観するには簡にして要を得たものであると言える。なお、この書は翻訳書ではない。岡倉天心が英語で『THE BOOK OF TEA』を書いたことにならい王氏自身が日本語で書いたものである。
二、学位論文の刊行
この年の課程博士の学位論文を出版したものに三枝秀子氏の『たのしみを詠う陶淵明』と船越達志『『紅楼夢』成立の研究』がある。 三枝秀子氏の『たのしみを詠う陶淵明』は、大東文化大学に提出した学位請求論文「陶淵明文学研究―「たのしみ」の表現を中心にして―」を出版したものである。陶淵明の詩文における「たのしみ」を表す言葉に焦点を当て、それらを丹念に読み解くことによって、陶淵明の「たのしみ」の表現の独自性と、その文学的世界の特徴を明らかにしている。
船越達志氏の『『紅楼夢』成立の研究』は、広島大学に提出した同名の学位請求論文を出版したものである。「紅学」と称される『紅楼夢』研究は、専門の研究雑誌が幾種類も刊行されているほど盛んであることは周知のことであろう。そのように盛んである理由として、まず曹雪芹の『紅楼夢』が未完であること、またテキストの伝承過程に謎が多く、さらには創作意図についても様々な憶測が可能であることなどがあげられる。この書は、これらの問題を解明のために、曹雪芹の原書と言われる八十回本を取りあげ、そこでの人物形象とストーリー展開の矛盾点、および脂硯斎の評語を考察し、八十回本の成立過程に対して一つの仮説を提示している。
論文博士の学位論文の刊行としては、詹満江氏の『李商隠研究』、瀬戸宏氏の『中国話劇成立史研究』、門脇廣文の『文心雕龍の研究』などが挙げられる。
詹満江氏の『李商隠研究』は、慶應義塾大学に提出した学位請求論文に加筆修正を施し、新たに二篇の論文を加えて出版したものである。第一部「李商隠恋愛詩成立攷―女性と文学という視点から―」、第二部「李商隠の隠喩と諷刺」からなる。第一部は、李商隠の恋愛詩を中国古典詩における閨怨詩や宮怨詩の継承と変化の過程の中に位置づけようと試みたものである。詹氏は、無題詩には作詩状況の隠匿という側面だけでなく、匿名性という側面さえ包含されているかもしれないとの問題を提起している。興味深い指摘であると言える。第二部は、副論文であるが、政治的に不遇だった李商隠の諧謔を弄する詩作を扱っている。李商隠は政治的には弱者であったが、その弱者の立場で展開される文学にこそ、その人間くさい肉声が込められ、言語芸術に魅せられた詩人の真摯な姿があるとしている。こちらも今後検討するに値する問題を提起していると言えよう。
瀬戸宏氏の『中国話劇成立史研究』は、早稲田大学に提出した同名の学位請求論文を全面的に改稿し出版したものである。話劇という演劇形態が中国でいかにして成立したかを考察し、近現代精神が中国演劇という場でどのようにして確立したか、その実現過程を解明している。氏は、この書の独自性は文明戯と五四以後の話劇の成立過程を同一論文の中で同じ比重で扱っていることだと言う。これまでの研究の多くは文明戯研究と五四以後の話劇研究がそれぞれ自己完結していた。中国で刊行された中国話劇史も多くは文明戯と五四話劇が別の執筆者によって書かれている。それは文明戯と五四運動以後の話劇はその質が異なっているという認識があったからである。しかし、この書はこの両者を同列に論ずるという構成をとることによって、より体系的に中国話劇成立史を検討できている。
門脇廣文の『文心雕龍の研究』は、東北大学に提出した学位請求論文「『文心雕龍』研究序説」を修正し出版したものである。『文心雕龍』は中国文学史上稀有な体系的文学理論の書である。しかし、それには儒道仏三思想が混在しており、一貫した論理に欠けるとされてきた。門脇は、この書を一貫して支える論理を思考を運用するときの思考の様式と捉え、それをもとに全書の論理的構造を明らかにした。
三、論文集の刊行
論文集としては、高木重俊氏の『初唐文学論』、植木久行氏の『詩人たちの生と死 唐詩人伝叢考』、井上泰山氏の『中国近世戯曲小説論集』、小川陽一氏の『中国の肖像画文学』が挙げられる。
高木重俊氏の『初唐文学論』は、王績、初唐四傑、張説などを取り上げた論考を収録している。氏は、韻文作品だけでなく、多様な文体の散文作品をも視野に入れ、官人としての意識・生き方を重ね合わせて、初唐文人の個性的な像を総合的に描き出している。これまであまり論じられることのなかった初唐の主な詩人をトータルに論じていること、そのことによってこの書は評価されよう。
植木久行氏の『詩人たちの生と死 唐詩人伝叢考』は、唐代の詩人の中から生没年について問題のあった重要な詩人二十三名を取りあげ、精緻な考証を加えてそれを確定したものである。氏によれば、一九八〇年代以降、中国では唐代詩人の伝記研究が進展し、近年ようやく一段落したとのことである。『唐才子伝校箋』全五冊、『中国文学家大辞典(唐五代巻)』全一冊、『唐五代文学編年史』全四冊はその成果の集大成である。そして、氏は中国の学界で最高水準に位置するこの三書中に記される生没年に充分な補訂を加えている。その論証はきわめて精確であり、今後の唐代詩人の伝記的研究の基礎資料となることはまちがいない。
井上泰山氏の『中国近世戯曲小説論集』は四部からなる。第一部は「戯曲論考」で元の雑劇に関する論考十一篇からなる。第二部「白話小説論考」は、『三国志演義』『金瓶梅』に関する論考四篇から、第三部「白話語彙論考」は、『元曲釈詞』についてなされた問題提起、そしてそれに対して寄せられた中国の研究者からの反論に対する再反論、「水滸伝」補語に関する考察など四篇の論考からなっている。さらに、第四部「付論(書評・改題)」は四つの書評と二つの改題からなる。もっとも古い論考は一九八〇年のものであり、最も新しいものが二〇〇四年のものである。したがって二十五年にわたる研究の成果がここにまとめられたことになる。それぞれの部に収められた論考の一つ一つが重要なものであるが、それがこのような形にまとめられ一度に通覧できるようになったことで、今後のこの分野の研究がより一層発展することが期待される。
小川陽一氏の『中国の肖像画文学』は、「肖像画文学」について論じたものである。「肖像画文学」とは肖像画がないと作品そのものが成立しなかったり、あるいは迫力が減少してしまう作品のことである。氏の造語である。肖像画は明清時代に流行し大衆化し、小説や戯曲に影響を与え、魅力的な文学世界の構築に大きな役割を果たした。この書は、その源流、肖像画の小説・戯曲、像賛と題像詩、明清社会と肖像画などについて考察している。文学をこのような面から考察することは中国でも日本でも前例がない。その意味で注目に値する。明清小説研究に新たな切り口を提供した点は高く評価されるべきであろう。また、この書は「ことば」と「もの」との関係をどう捉えるかという文学研究の本質に関わる問題を考える上でも一つのヒントを与えてくれる。
四、著作集の刊行
研究者の集大成の書として、三種の著作集が刊行された。[松浦友久著作選][石川忠久著作選][伊藤漱平著作集]である。 昨年も紹介したように、この「松浦友久著作選」は松浦氏の未収の論文を集めたもので、この年に出版された第Ⅳ巻は『中国古典詩学への道』と題されている。第Ⅲ巻と同じく門下生が編集したもので、五十四篇の論考を選び、それらを「中国古典詩学とその周辺」「李白論」「書評」「研究余滴」の四つに分けている。このようなことからして、この書について述べることはそのまま松浦氏の学問の全体について述べることとなる。氏の学問のもっとも重要な特徴は何か。それは「方法」の探求とその確立であった。詩の言葉は「かたち」を持っている。詩は「かたち」をもった言葉が有機的に関係しつつ一つの統一体となったものである。氏は、そのような言葉を研究するには「方法」がなければならないとの明確な意識を持っていた。「中国古典詩学とその周辺」にはそのことを読み取れる文章が含まれている。
[石川忠久著作選]は全五巻・別巻一からなる。氏の永年にわたる論考・随筆・講演などを中心に著書未収録の文章を収めている。そのうち第二巻と第四巻が出版された。第二巻『長安の春秋―中国文学論考』は、魏の曹操から魯迅まで、とくに李白、杜甫、王維、白居易、杜牧など唐代の詩人について「新しい見方」を提出したものである。第四巻『岳堂 詩の旅』は中国の名勝旧跡を訪ねた紀行文で、自身の漢詩百五十首を交じえている。
[伊藤漱平著作集]全五巻は、長年、中国文学を研究してきた氏の業績をまとめたものである。第一巻は「紅楼夢編(上)「版本論」」、第二巻は「紅楼夢編(中)「作家論、作品論」」、第三巻は「紅楼夢編(下)「読者論、比較文化・比較文学的研究」」、第四巻は「中国近世文学論」、第五巻は、「中国近現代文学・日本文学論、著者自訂年譜、著訳論文目録」となっている。そのうち第一巻「紅楼夢編(上)「版本論」」が出版された。ここには「紅楼夢」についての版本論(書誌学・文献学)的研究が収録されている。
この三氏のものとはいささか趣きを異にするが、もう一つ『白雲遙遙 回想の志村良治』がある。志村氏は東北大学文学部中国文学講座の教授であったが、一九八四年に五十七歳で急逝した。氏の業績には没後まもなく出版された『中国中世語法史研究』の他、『志村良治博士著作集』Ⅰ・Ⅱの諸論考がある。この『白雲遙遙』には先の二書には未収のものが収められた。なお、主要な大学、研究所の図書館には寄贈されたが一般の書店には流通していない。
五、再版書の刊行
二〇〇五年には数多くの重要な書が再版された。 岩波書店からは、鈴木虎雄・黒川洋一訳注『杜詩(全八冊)』、小川環樹著『唐詩概説』[岩波文庫]、創文社からは、林田愼之助著『中国中世文学批評論史』[東洋学叢書]、筑摩書房からは、一海知義・興膳宏訳『陶淵明 文心雕龍』、今鷹真・井波律子・小南一郎訳『三国志Ⅰ』『三国志Ⅱ』『三国志Ⅲ』、小川環樹他訳『史記列伝』、清水茂訳『韓愈Ⅰ・Ⅱ』、武部利男訳『李白』、吉川幸次郎訳『杜甫Ⅰ・Ⅱ』[世界古典文学全集]が出版された。長らく絶版になっていたものだけに、古典研究に携わる者にはありがたいことである。
また、右の書とは少し異なったものとして、桂五十郎の『漢籍解題』が挙げられる。明治三十八年の復刻版である。改めて言うまでもなく代表的な約千五百点の漢籍を解説したもので、そのすべてを刊行年代順に題名・作者・伝来などを記すほか、書名の解釈・異版・本文の異同などについても詳しく記している。古典研究の基礎学である書誌学・目録学を学習する上での基本書として長年にわたって参考にされてきた。その書が手に入れ易くなったことは古典研究を志す者には喜ばしいことである。
六、漢文関係の書の刊行
この年は、漢文関係の書としていくつかの興味深い書が刊行された。池澤一郎等校注『漢文小説集(新日本古典文学大系 明治編)』、日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』、斎藤希史著『漢文脈の近代 清末=明治の文学圏』、田部井文雄氏編『漢文教育の諸相―研究と教育の視座から―』がそれである。
池澤一郎等校注の『漢文小説集』は[新日本古典文学大系 明治編]の一冊である。明治前期の青年知識人は、白話体、文言体の差異に係わらず、中国の小説を好んだ。この書は市井の人物の伝記読物として歓迎された菊地三渓の『本朝虞初新誌』と依田学海の『譚海』、志怪小説の流れを汲む石川鴻斎の『夜窓鬼談』、才子佳人の運命を白話で描いた三木愛花の『情天比翼縁』という四篇の漢文小説に訳注を施したものである。
日本漢文小説研究会編『日本漢文小説の世界―紹介と研究』は研究が遅れている「日本漢文小説」についての論文集であり、日本漢文小説研究会の五年間の研究成果をまとめたものである。日本人は古くから「漢文」で小説を書いてきた。その文章は中国のそれに沿ってなされている。しかし、その内容は日本的な色彩が濃い。この書には、そのような日本の漢文小説についての論考十篇が収録されており、それぞれが興味深いものとなっている。論者はいずれも中国文学の研究者である。日本文学の面からではなく、中国文学からの研究がこの書をきっかけにして今後さらに発展していくことが期待される。
以上の書はともに日本人によって書かれた「漢文」を扱ったものだが、「漢文」というものを、異なった視点から検討したものに齋藤希史氏の『漢文脈の近代 清末=明治の文学圏』がある。氏は「漢文」を「近代以前の中国を起点に東アジア全体に流通した漢字による文語文」と捉え、「それを原点として展開したecriture―書かれたことば―の圏域を、「漢文脈」として捉え」直している。
氏の言う「漢文」とはもちろん日本語の普通の意味での「漢文」ではない。それを「中国古典文」と呼ぶことも可能なものである。しかし、そのように呼ばずにあえて「漢文」と呼んだのは、「漢文」という「書かれたことば」の可能性は、東アジアにおけるそれぞれの地域の「話されることば」の差異を越えて展開したからだとする。そして、「漢文」は日本語なのか中国語なのかなどと議論することは、「書かれたことば」が「書かれたことば」として持つ可能性を、統一された国家の「音声」によって扼殺しようとすることになるとするのである。それゆえ「中華世界の礎石たることをそのまま示す「中国古典文」なる呼称よりも、その世界の辺境において流通した「漢文」の呼称を敢えて選んだ、ということ」である。「漢文」という呼び方の「越境性」に重心を置いているのである。その意味で言えば、先の二書で扱っている「日本漢文小説」も「書かれたことば」としての「漢文」ということになる。また、時代的には、近代以前と近代以降の結節点である「清末=明治」を問題としている。なぜならこの時代は氏の言う「漢文」が変容し、その枠組みが壊れていく時代であったからである。そしてその「変容」とは「書かれたことばの個別の変化であると同時に、そのしくみの変化、さらには、書かれたことばに対する認識の変化」ということである。
この書全体で問われているのは「清末=明治の文学圏」において「近代」とは何であったかということでもある。したがって、この書は古典文学の研究者にその現代的な意義を問うものであるとも捉えることができる。本年の学界展望の文脈に即して言えば、中国の古典研究の現代的意義を新たに構築するための理論展開の枠組みに変更をもたらす可能性があるものと評価できるではないか。 齋藤氏の書の問題提起とは別に「漢文」の新たな可能性を模索したものに田部井文雄氏編の『漢文教育の諸相―研究と教育の視座から―』がある。中学高校で教えられる「漢文」とその教育について、その現代的な可能性を探ろうとしたものである。刊行委員会の「あとがき」に、表現の手段としてはすでに過去のものなってしまい、古典としての価値しか持っていない「漢文」と、それに基づいた「漢文教育」について、それは現代の我々にとってどのような意味があるのか、それを問うことは漢文教育や中国古典研究に携わる者にとって避けて通ることができないものだと述べている。
このような問題意識は確かなものである。前年すでに述べたように、今こそ問われなければならない問題であろう。そしてこの書の問題意識は、そのまま、近代以前の文学の研究を志す者に対しては古典研究の意味を問うことともなるはずである。
また、いわゆる「漢文訓読」についてのこの書の基本的な認識は安藤信廣氏の「漢文訓読の現在」に集約されている。氏は「漢文」を「漢文訓読のイデオロギー」にしたがって読んではならないとしている。「漢文訓読のイデオロギー」とは子安宣邦氏のことばであるが、「他言語に、あるいは他者に直面することの意識なしに自言語を、あるいは自己を前提にして他言語文を読んでしまう」ことを言う。そして安藤氏は「漢文の持つ異質さを日本側の心性に同一視せず、その他者性を、むしろ異言語・異文化理解の積極的な契機としたい」と述べている。
このような認識は妥当なものであると言える。しかし、氏は「漢文」を読むということはそれだけではないとして次のように述べる。
中国の古典が日本人にとって単純な他者ではなく、日本の文化的土壌の重要な一部であったことを軽視することはできない。日本人は、中国の古典を単なる外国語の地位に置いたままにせず、日本の古典として、日本語の文脈で読もうとした。訓読は、漢語という異質な言語を体験しつつ、それを日本語として内面化してゆく過程である。(中略) 訓読とは、何よりも異質な他者との出会いであり、同時にそれを内部世界にとらえなおし、深化させてゆく行為である。また日本語を外に向かって開いてゆく契機でもある。訓読という方法は、中国の言語を他者として受けとめながら、それを日本語の文脈で読むことによって内面化しようとする、先人たちが採用した独特な言語行為だった。先人たちは、その漢文訓読を通して新たな日本語を創造してきたとさえ言えるのである。/漢文を読むことは、中国と日本の言語文化の根本に同時に触れることに他ならない。それは決して若い人々にとって迂遠なことなのではなく、現代の言葉の状況を揺り動かす大きな可能性を持った行為なのである。
「漢文」や「漢文訓読」についてのこのような認識は、再度、確認されて良いことだろう。あらためて言うまでもないが、それはもちろん、単に「漢文訓読」を復活させよ、ということではない。安藤氏も言うように安直な「漢文訓読」復活論は厳に戒めなければならない。それはあくまで「漢文の持つ異質さを日本側の心性に同一視せず、その他者性」を前提にしてのことでなければならない。その上で、齋藤氏によってもたらされた「書かれたことば」としての「漢文」という概念を導入するとき、古典研究の現代的意義について新たな展望が開かれるのではないか、そのように期待されるのである。
さて、二年間にわたる本欄の担当はこれで終わるが、担当を承諾したとき、出来うる限りその年に公表された論文、ことに若い研究者の最新の問題意識に基づいた最先端のものを取りあげたいと考えていた。しかし、その一年間のトータルの展望となると筆者の力量では及びがたく、ほとんど著書のみに限定せざるを得なかった。反省点である。また、はたしてこのような「展望」で良かったのかどうか、本来の主旨に合っていたのかどうか心許ない限りである。大方のご批判をお願いしたい。
(門脇廣文)