日本中國學會

The Sinological Society of Japan

『日本中国学会便り』2005年第2号

 

第57回大会もめでたく終了した。開催校の北海道大学では、伊東倫厚準備会委員長を中心にずいぶん周到な準備をされ、図像・映像による中国探求という意欲的なシンポジウムも会場いっぱいの参加者の耳目を集め、その雰囲気も集中度の高いものだった。伊東さんは来年度で定年をむかえられるが、そういうこともあって、北大の皆さんが大会を引受けられたものと思う。伊東さんはもともと精悍な方で、釣りを趣味とし、時間を見つけては北海道の山野を跋渉しておられた。ところが40代の前半に胃の全摘手術を受けられ、それ以来ずっと節制をつづけてこられた。私はそのころ同僚であったので、中哲の研究室にお邪魔して、時ならぬ時にせんべいなどで補食する伊東さんと雑談することがあった。したがって今回の大会は個人的にも感慨深いものだった。伊東さんがますますお元気で活躍され、そのために十分に自愛されることをねがっている。

私が初めて日本中国学会の大会に参加したのは九州大学で開かれた第25回大会(1973年)だった。当時飛行機での出張はまだ認められていなかったので、札幌から福岡まで青函連絡船をはさんで列車による列島縦断の旅だった。このときつよい印象を受けたのは、2日目午後に組まれた近現代文学の研究発表に30人ぐらいしか参加者がなかったことだ。古典文学の研究者も近現代文学研究の動向にある程度の関心をもって、耳学問の機会として生かされればよいのにと思い、一抹の寂しさを禁じ得なかった。ただ病気から回復された小野忍先生が参加され、発表が終わったあとの会場でしばらく先生を囲んで座談会のようになった。これがたいへん楽しいものだった。私がのちに北海道大学での大会(1981年)の機会に「前夜祭」と称して中国現代文学研究者の集いをやろうと思ったのは、このときの経験があったからであった。

大会参加はこのときが初めてだったが、その前70・71年度の学会展望の哲学・文学の部を北大が担当することになったので、文学の部の責任者である伊藤漱平先生に命じられて両年とも数日東京に出張し、東洋文庫、東大東洋文化研究所で調査にあたったことがあり、これが日本中国学会の活動を直接体験した最初だった。

初めて研究発表をしたのは、1979年東北大学で開催された第31回大会だった。この学会便り前号に掲載されている金文京さんの文章「学会、学界と個人研究」によると、金さんもこの東北大での大会で初めて研究発表をされたという。私はようやく自分の研究の中心を魯迅に置くようになっていたので、魯迅ゆかりの仙台で研究発表し、私なりに魯迅を記念しようとした。「魯迅と想像力の問題」という題で発表原稿を作り、何回か朗読して時間をはかり、鉛筆で息を切るところに印をつけてのぞんだが、それは上がりやすい自分に対する対策であった。ある人からこれはそのまま論文になりますねと批評され、私は自分につごうのよいようにそれをほめ言葉と受け取ったのであるが、実際に論文にまとめるときに大いに苦労した。このときつくづく口頭発表と論文のちがいを思い知らされた。よほど気をつけて削らないと、どうしても間のびしたものになるのである。また私の発表は初期魯迅の文学論と劉〓『文心雕龍』「神思」篇との関連にも触れるものであったが、興膳宏さんに「破悪声論」中の一文が「物色」篇を下敷きにしていることを教えていただいたのも忘れることができない。

1981年の第33回大会は北海道大学が引き受けることになった。準備会委員長は佐藤一郎先生で、このとき私は事務局の仕事を命じられた。当時の理事長は金谷治先生で、内藤幹治、井手元両幹事とともに一足先に札幌入りされ、北大に来られたときの印象がどういうわけか今でも鮮明にのこっている。ただ私たちは一つの難問をかかえていた。二松学舎大学で開かれた昨年の大会は台風の直撃を受け、新幹線が遅れて研究発表にも影響を与えただけでなく(これは発表の順序を換えることできりぬけられた)、両日とも豪雨の中の大会だった。理事長の興膳宏さんは、杜甫の「茅屋秋風の破る所と為る歌」を引き、「風雨にも動かず安きこと山の如き」二松学舎の新校舎を讃えられた。私たちが遭遇していた難問もやはり台風によるものだった。北大では夏休みに日を定めて全学の電気を一斉に停め、電気系統の総点検を行っていたが、その日が台風のために日延べになり、大会初日がその代替日にあたってしまった。そのため民間の会社に頼んで自家発電機を用意せねばならなかった。したがって参加者の数によっては相当の赤字を出す恐れがあった。しかしこれは参加者の懇親会への参加率が高く、北大生協が低廉な価格で活きのいい魚介類を準備してくれたおかげで無事に切りぬけることができた。このときの懇親会の料理のことは、その後しばしば参加された会員から好意ある批評をいただいたが、会計担当者の宮本勝さんの功績であった。

ここで先に触れた「前夜祭」について述べると、これはこの年ちょうど魯迅生誕百年にあたったので、大会を機会にその前夜に記念のシンポジウムをやろうと、中野美代子、須藤洋一、野沢俊敬さんらとはかって実施したものである。その後不慮の事故で亡くなられた新村徹さんに司会を、丸山昇、飯倉照平、林田慎之助の三氏に報告をおねがいした。なかなかの盛会であったが、ただ林田さんが避けられない事情で参加できなくなり、中野さんの命で急遽私が報告の代打に立つことになった。私はやむを得ず1、2年考えていた阿Quei(阿Q)というのは「阿鬼」ではないかという仮説を発表した。そしてのちにこれを「阿Q人名考」と題する論文にして発表した。

この「前夜祭」そのものはその後たくさんの方々の手でひきつがれて、第26回になる今年も北大で開かれた。きわめてルースな開催形態をとってきたが、それがかえって一部の人に与える負担も大きく、来年から「中国現代文学懇話会」という名称とし、常設の運営委員会が設置されることになったが、これまでのように古典文学研究者も気軽に参加されるような会であってほしいとねがっている。なお「前夜祭」については学会便り2003年度第1号に宇野木洋さんが「『中国現代文学研究者の集い』をめぐる断想」という一文を寄せておられる。

ちょうど昭和60年(1985)にあたるが、第37回大会は京都大学で開かれた。哲学思想・文学語学部会合同行事として「中国における鬼神」と題するシンポジウムが企画され、三浦國雄さんの「朱子の鬼神論」、小林正美さんの「六朝の仏道・巫術における鬼神観」と並んで、私にも「魯迅における“鬼”」について報告するよう大会準備会の興膳宏さんから要請があった。私は魯迅の小説「祝福」は中国伝統社会における“鬼”の問題を、祥林嫂という一人の寡婦の運命を通して描き出した作品であるという立場から報告をまとめてのぞんだが、私の鬼神の学は他のお二人に比して素人学問の域を出るものではなかった。私は会場から述べられた加地伸行さんの意見の中のケイシという語がわからず、しばらくして、ああ継嗣のことかと、中国人との会話でしばしばやるように音から漢字を類推することによってようやく理解するようなぐあいだった。しかしこのシンポジウムはいろんな形で私に学習と研究を強い、「祝福と救済──魯迅における“鬼”」と題する論文にまとめ、さらに著書『魯迅「人」「鬼」の葛藤』に収めるさいの改稿を通して、少しはましなものになったのではないかと思う。三浦さんの朱子鬼神論などに学びながら、中国の伝統的な宗教観念の中に強固に存在する「幽明一理」や「神道設教」等の問題にまで踏みこむことができたのは、魯迅文学の現実を捉える力の発見でもあった。とにかく私のささやかな研究史において、このシンポジウムが決定的な位置を占めていることは確かで、このような機会を与えてくれた日本中国学会への感謝の思いは深い。

16世紀以降のヨーロッパの宣教師をその主要な担い手とする「西学東漸」という一つの大きな文化事象とそれに伴う東西の「言語文化接触」に関わる研究は近年盛んに行われるようになってきた。それに関わる国際シンポジュームも、筆者がこれまで参加したものだけでも、たとえば、以下のようなものがある。

1997年2月 「中国近代学術用語の形成と変遷」シンポジューム(中国科学院自然科学史研究所)
1997年8月 「西学東漸と言語交流」シンポジューム(上海社会科学院歴史研究所)
1998年9月 「近現代漢語学術用語」国際シンポジューム」(ドイツ・ゲッティンゲン大学)
1999年12月 「TRANSLATING WESTERN KNOWLEDGE INTO LATE IMPERIAL CHINA」国際シンポジューム(ドイツ・ゲッティンゲン大学主催)
2000年8月 「言語接触國際圓卓会議」(香港城市大學)
2000年9月 「The second conference of the European Association of Chinese Linguistics」(イタリア・ローマ大学)
2003年9月 「西洋漢語研究国際研討会」(北京外国語大学)
2004年7月 「世界漢語教育史国際学術研討会」(マカオ理工大学)
2005年7月 「海外漢学学術研討会」(北京外研社)

このほか、「漢字文化圏近代語研究会国際シンポジューム」も2001年より中国(北京外国語大学・上海同済大学)、韓国(高麗大学)、日本(関西大学)と毎年輪番で開催されている。
このような状況をうけて、近代東西言語文化接触研究会は2000年10月に成立した。機関誌として『或問』(図1)を年2回発行(現在までにすでに第10号を発行済み)するとともに、年2回から3回の研究例会(図2)を開催している。
ちなみに、最新の第10号(図3)の目次を以下に掲げておく。

〈第10号〉(2005.11)
(論文)
新漢語「大統領」の成立孫 建軍
清末の新聞に見る日本汽船の活動松浦 章
中華文明上に組み込まれる西洋医学松本秀士
初期中国語文法用語の成立朱  鳳
和字「腺」の語構成における位置王 敏東
清末における西安・咸陽事情張 新芸
ルイ・バザン『中国語口語の一般原理に関する覚え書』を読む小野 文
范約翰主編的《小孩月報》首期新探李 暁傑
(翻訳)
『中国キリスト教美術の起源(1583~1640年)』(〓)
柏木 治 訳
プレマール『中国語文注解』(〓)千葉謙悟 訳
中国語口語の一般原理に関する覚え書』(〓)
小野 文 訳
(研究と資料)
如何認定 Chinese pidgin English周 振鶴
再論Pidgin English――周振鶴氏への回答内田慶市
表紙絵解題:中国人の描いた「ロードス島の巨人像」
内田慶市
内田〓〓的抄本《〓毛番〓》――解〓与〓解
周 振鶴
(情報の泉)
奧地利國家圖書館藏近代漢譯西書沈 国威
New Publications in Western LanguagesJoachim Kurtz
西学東漸研究の中文・日文文献情報沈 国威

本研究会では特に16世紀以降の「東西の言語文化接触」に関わるものであれば、分野を限定せずあらゆる問題を取り扱うものとし、言語学、社会学、歴史学、地理学、天文学、物理学、化学等々、種々の領域にまたがる「綜合的」「学際的」な視野をめざしている。もちろんその中心は「中国」におくが、ヨーロッパや朝鮮、日本といった「周縁」からのアプローチも当然その中には含まれている。すなわち、私たちがめざす研究の内容、目的は「伝統的支那学」が追い求めたものと本質的な部分では一致するものと考えている。
具体的な研究課題としては以下のようなものとなる。

1.西洋文明の伝来とそれに伴う言語接触の諸問題に関する研究
2.西洋の概念の東洋化と漢字文化圏における新語彙の交流と普及に関する研究
3.近代学術用語の成立・普及、およびその過程に関する研究
4.欧米人の中国語学研究(語法、語彙、音韻、文体、官話、方言等々)に関する研究
5.中国人の英語学習史に関わる研究
6.宣教師による教育文化事業の諸問題(教育事業、出版事業、医療事業など)に関する研究
7.漢訳聖書等の翻訳に関する研究
8.その他の文化交流の諸問題(布教と近代文明の啓蒙、近代印刷技術の導入とその影響など)に関する研究

また、『或問』発行以外にも、語彙索引や影印等の資料集(『或問資料叢書』)の発行、インターネットを通じての各種コーパス(語料庫)および語彙検索サービスの提供を行うほか、内外の研究機関や研究者との積極的な学術交流を行うこととしている。

特に、海外の研究機関との連携ということでは、現在までに、中国の北京外国語大学国際交流学院、復旦大学歴史地理研究所、ローマ大学東方学研究院、ドイツ・エアランゲン大学との交流を深めている。なお、2004年にマカオ理工学院と北京外国語学院が中心となって設立された「世界漢語教育史研究学会」にも、本研究会の世話人である内田が副会長、沈が秘書長としてメンバーに加わっている。

本研究会への参加、および機関誌『或問』への投稿に関して言えば、『或問』創刊号の「発刊にあたって」に示してあるように、年齢、学歴、職歴等は一切問わないものとする。ただし、私たちがとる唯一の基本的立場を了解の上でのことを前提としている。その基本的立場とは、
「学問(真理)の前では何人も平等である」
ということである。つまり、「通説を鵜呑みにしないこと」「権威に盲從しないこと」ということであり、何よりも「先ずは疑え」が大前提となる。「なぜ?」という問いかけがなければいかなる問題意識も生まれては来ない。機関誌を『或問』と命名した所以でもある。

何はともあれ、本研究会の趣旨に賛同される多くの研究者、とりわけ若き学究の参加を期待するものである。



近代東西言語文化接触研究会世話人:
内田慶市@関西大学

去る2005年6月2日から7日まで、筆者は台湾高雄市で開催された「東方詩話学会第四届国際学術研討会」に出席してきた。日本中国学会の会員諸氏にはあまり馴染みが無いとも思われる本学会の歴史・現状および私どもの発案について、ここで紹介させていただきたいと思う。

東方詩話学会は1998年韓国の著名な学者趙鍾業先生の提議によって創設されたものである。『中韓日詩話比較研究』および『韓国詩話叢編』など多くの詩話に関する業績をお持ちの趙先生は、さらに東アジア漢字文化圏の国々の同好者と協力して、もっと広い視野から「詩話学」の研究を進めていこうと呼びかけられ、中国・香港などの研究者の賛同を得て、初めての東アジア全体の漢文学に関する学会が誕生した。研究発表大会は二年に一回開催され、一回目は1999年7月韓国大田にある忠南大学で、二回目は2001年1月香港浸会大学で、三回目は2003年1月上海大学で開催された。今回は四回目、台湾高雄にある中山大学で行われたが、次回は2007年夏に韓国で開催されることになっている。筆者は四回とも出席してきたが、ほかの日本側の出席者を列挙すると(敬称略)、一回目は豊福健二(武庫川女子大学)、二回目は日野龍夫・川合康三(京都大学)、三回目は日野龍夫・川合康三・豊福健二・愛甲弘志(京都女子大学)、四回目は和田英信(お茶の水女子大学)。平均毎回50名以上の発表者数からみれば明らかに少数派に属するものだが、ともかく東アジアの一翼としてその存在感を示しており、また第二回大会では日野龍夫先生が副会長に選出された。ちなみに、学会の本部は韓国にあり、学会誌『詩話学』も韓国で編集・出版されるので(今までの大会の発表論文を中心にすでに4冊発行されており、大会口頭発表は主に中国語を使うが、書面使用言語は自由)、会長は韓国の研究者から選任されるのが慣例になっており、初代会長は趙鍾業先生(忠南大学名誉教授)、二代会長は李炳漢先生(ソウル大学名誉教授)、今回の台湾学会では柳晟俊先生(韓国外国語大学教授)が新会長に就任した。なお、副会長は日本、中国大陸、台湾、香港から各一名選任されている。大変残念なことに日野先生は一昨年6月にお亡くなりになり、後任の副会長は興膳宏先生にお引き受けいただくこととなった。興膳先生の副会長就任が台湾学会において発表された際、参加者たちから大きな歓迎を受けたことは我々の光栄とするところである。
さて、東方詩話学会はどのような性格を持つ学会なのだろうか。筆者個人の経験と印象によれば、次の二点をあげることができると思う。

一、斯界唯一の本格的な国際学会。

東アジア文化圏の歴史において、漢文、中国語で言えば「文言文」は長い間共通語として、この地域の国々の文化・文学の発展に大きな役割を果たしてきたのは周知の通りである。しかし、この学会の誕生までは、韓国および日本では、中国古典文学研究と自国の漢文学研究のそれぞれが別個の学会組織に分かれ、各分野間の交流は必ずしも十分ではなかった。たとえば日本では中国古典文学と日本漢文学の両者を貫く研究はまだ乏しいと言わざるを得ない。まして東アジア漢文学の全体像を把握しようという試みはほとんどなかったのではないだろうか。この現状にはもちろん様々な原因があったが、視野の広がりが十分でなかったこと、交流の場が足りなかったこともその要因と言えるだろう。東方詩話学会はまさにこうした隔たりを乗り越えようという発想から生まれたものである。今まで四回の大会で発表された論文の内容から見れば、各国それぞれの詩話研究が当然ながら主流ではあるが、他の国の詩話についての研究、比較・交流の角度からの研究も徐々に増えていて、一種の方向性を示しているとも見られる。特に発表の際における、発表者とは異なる国のコメンテーターの講評および参加者の間の活発な議論は、この学会の貴重さを端的に表しているのである。川合康三先生が上海学会での「主題講演」で本学会について「家族のような雰囲気」と発言されたが、この言葉は筆者を含め多くの参加者の共感を引き起こすものであった。要するに、東アジアの国々を跨いできちんとした組織機能を果たしている漢文学関係の国際学会は、現時点では東方詩話学会が唯一のものであると言えよう。

二、「詩話」から漢文学全般への視点。

この学会の名称は「詩話」をうたっているが、実は詩話に限らず、詩話研究に立脚し、東アジア漢字文化圏の全体に目を向け、漢文学理論ないし漢文学全般を取り扱うのがこの学会の趣旨と言ってよかろう。すでに出版された4冊の『詩話学』を概観すれば、詩話のみならず、関連の文学理論の研究も少なからず含まれているので、中国古典文学研究者にはもちろん、日本・朝鮮半島の漢文学を専門とする研究者にとっても大いに参考になると思われる。いろいろな原因があったとはいえ、日本の学界においては、中国古典文学および日本漢文学の作家・作品などの研究は盛んだが、その文学理論への関心はまだそれほど高くないようなので、この学会がある意味ではこういう弱点を少しでも補うことができるかもしれないと筆者は考える。

以上述べた現状を踏まえながら、ここに「東方詩話学会日本支部」の発足を日本中国学会会員の皆様にお知らせしたい。基本的な趣旨は上述の通りで、詩話学から中国文学全般へ視野を広げ、有志が集って斯学の研究を推進するものだが、条件が整えば、まず国内で研究発表会を開き、さらには将来、日本でも大会を主催し、よく言われている「国際学会の収支不均衡」を少しでも解消しようということも考えている。ご興味のある方はぜひ下記までアクセスしていただきたい。とりあえずはE‐mail、ホームページを利用して会員のネットワークを拡げることから始めていく(会費は不要です)。僭越ながら、筆者は本学会の事情を比較的よく承知しており、かつ中国などの研究者とのネットワークも使いやすいので、興膳先生・川合先生および現会員たちの支持を得て、とりあえず事務連絡の任に当たらせていただきます。

〒466―8673
名古屋市昭和区山里町18南山大学外国語学部
TEL 052―832―3111 内線512
FAX 052―832―5330
www.nanzan‐u.ac.jp/~caiyi/tohoshiwagakkai/index.html

皆様のご賛同・ご支援をお待ちしています。

今回の研討会の会期は平成17年7月14日~16日の3日間の予定であったが、14日は入住賓館、16日は学術参観及び自由活動であり、研討会自体は下に記す通り実質15日一日に集中して行われた。場所は香港沙田の香港中文大學科學館東座二樓中醫中藥研究所會議室で、合弁機構は香港中文大學中國語言及文學系・中醫中藥研究所・中醫學院であった。ここで今回と言うのは、1月5日~10日にも一度、この研討会を行うための組織会議が行われており、今回が二度目の参加となるからである。(前回の会議にも、日本から下記の三名が出席している。)
今回の参加者は、主席:張光裕(香港中文大學中國語言及文學系教授)、委員:馮國培(中醫中藥研究所副主席・香港中文大學生化系教授)、車鎭濤(香港中文大學中醫學院院長)、林志秀(香港中文大學中醫學院助理教授・中醫師)、張明遠(香港中文大學訊息工程學系副教授)、楊傳智(香港中文大學系統工程與工程管理學系副教授)、黄耀〓(香港中文大學中國語言及文學系教授)、樊善標(香港中文大學中國語言及文學系助理教授)、黎明〓(香港中文大學歴史系副教授)、海外支援成員:蔡璧名(國立臺灣大學中國文學系副教授・中醫典籍研究社指導老師)、袁國華(臺北中央研究院歴史語言研究所助理研究員)、陳偉武(廣州中山大學中文系教授・古文字研究所所長)、鄭剛(廣州中山大學中文系副教授)、徐志成(美國南加州大學附屬醫院神經放射科主任)、池田知久(大東文化大學文學部教授)、大西克也(東京大學大學院人文社會學系研究科助教授)、名和敏光(山梨県立大學國際政策學部助教授)、郭錦〔Laura
A.Skosey〕(美國芝加哥大學東亞語言及文化系講師)、張連航(新加坡南洋理工大學教育學院亞洲語言及文化系助理教授)の19名に、陳雄根(香港中文大學中國語言及文學系主任教授)、馬堪〓(英國倫敦大學教授)、蘇奕彰(臺灣中國醫藥大學科主任教授)、姜良鐸(北京中醫藥大學東直門醫院主任醫師)の4名が加わり、全部で23名であった。

研討会の趣旨としては、現在までに多数の簡帛医薬文献が出土している(甘粛敦煌及蒲昌海地区出土漢簡医薬文献、甘粛居延地区出土漢簡医薬文献、1965年湖北江陵望山出土戦国楚簡医薬文献、1972年甘粛武威旱灘坡出土漢簡医薬文献、1973年湖南長沙馬王堆漢墓出土簡帛医薬文献、1883―84年湖北江陵張家山出土漢簡医薬文献、1987年湖北江陵包山出土戦国楚簡医薬文献、1993年湖北〓州周家台秦簡医薬文献、等)が、これらは新発見の資料であるばかりでなく伝世文献の解釈を助けたり誤りを正したりできる非常に価値の高いものである。また、内容が医薬に関わるものであるため、中医学・中医薬学の専門家と古典研究の専門家の知識を結集してこの研究に取り組んで行く必要がある。そこで、この研究組織としては、「簡帛医薬文献資料の蒐集と分類整理」「簡帛医薬文献資料の電子テキスト化」「相関研究資料のデーターベース化と検索ソフトの開発」「簡帛医薬文献資料の通用字表・難字字表・薬名異名表・古今方剤名対照表などの作成とデーターベース化」などを行い(作成したデーターベースは今後ネット上で公開の予定である。)、更に実際の中医学・中医薬学の方面では「古今薬名注釈」「古今の病名と避けるべき薬の用法の研究」「養生のための古方古薬の開発と薬膳の開発」「現在香港に存在する中草薬の溯源」などを行ってゆこうとするものである。このように、単に古典研究を行うだけでなく、実用方面にも応用して行こうとし、専門分野を超えた非常に大きな視野を持った研究組織となっている。

研討会は、15日の午前9時から午後6時まで昼食をはさんで報告と討論が行われた。まず、最初に陳雄根教授、馮國培教授、車鎭濤教授、張光裕教授の挨拶で幕を開けた。次いで、「計画簡介及資料庫應用示範」として張光裕教授によるこの計画の内容の紹介、鄭剛副教授による「新出土簡帛醫藥文獻」のデーターベース化の説明及びその使用方法の実演が行われた。そして伝世及び出土医薬文献に関する各国の研究状況について、馬堪〓教授「中國大陸中醫藥文獻研究概況」、蔡璧名女史「臺灣傳世及簡帛醫藥文獻研究概況(1949―2005)」、名和敏光「日本における新出簡帛醫藥文獻について」、郭錦女史「二十幾年來西方學界對中醫所進行之人科社科研究」として報告された。更に、昼食をはさんだ後、「(一)專題報告及討論」として、陳偉武教授「戰國楚簡所見病名輯證」(張光裕教授と共著)、池田知久教授「馬王堆帛書「陰陽十一脈灸經」之人體觀與先秦諸子之氣論」、大西克也助教授「秦漢出土醫藥文獻中的「V1(+NP)+令+V2」式使令句考察」、袁國華博士「「包山楚簡」「望山楚簡」所見疾病及相關字詞考釋」、張連航助理教授(題名未録)、姜良鐸教授「《武威漢代醫簡》方藥臨床應用價値初探」の報告と質疑応答が行われ、「(二)特約討論:前瞻與發展」として馬堪〓教授、蘇奕彰教授、姜良鐸教授、蔡璧名副教授らからそれぞれテーマが出され討論が行われた。

最後に、この研討会の成果として、鄭剛氏の著書『出土醫藥文獻語言研究集』(張光裕主編:新出土簡帛醫藥文獻綜理及應用研究系列之一、2005年7月第1版第1次印刷、廣東:汕頭大學出版社、印數:1000册、定價20元、全112頁。)が配布された。また、張光裕・陳偉武著「簡帛醫藥文獻考釋拾遺」が『漢字研究 第一輯』(中國文字學會・河北大學漢字研究中心編、2005年6月北京第1版第1次印刷、北京:學苑出版社發行、印數:1400册、定價100元、全617頁。)に掲載されたことが紹介され、コピーが配布された。
この研討会に参加して実感したことは、一つに日本における簡帛医薬文献資料研究がそれ程多くなくまた系統的でないということ、一つに日本においては出土医薬文献資料を中医薬学に応用して行こうという意識があまり高くないということである。今回のこの研討会について簡単ではあるが紹介することによって、日本における出土医薬文献資料研究がより盛んになり、ネットワーク化されることなどを期待したい。

最後になるが、この研討会で「日本における新出簡帛醫藥文獻について」の報告をするにあたり、白杉悦雄氏、浦山きか氏、小林健二氏から貴重な資料と多くの助言を賜った。記して感謝の意を表す次第である。


●本年度『学会便り』第一号発行以降、12月1日現在の物故会員は以下の通りです。(五十音順敬称略)

伊藤 文定  今井宇三郎  日下  翠
藤原 高男  前川  晶  三上  順

●総会員数2,019名(2005年12月1現在)

●退会会員
○退会申し出会員  計28名
伊賀上 武  岩間  孝  榎本 英雄
奥田  寛  小野寺 淳  葛城 明子
木村 光徳  栗山  明  慶谷 壽信
蔡  海雲  坂出 祥伸  谷川 英則
沈  国威  橋元 栄治  濱崎 俊次
深澤 一幸  藤井 倫明  古田 博司
前山 禮次  牧田 英二  村上 謙蔵
李  国棟

○四年分会費未納による退会会員  計34名

 

●住所不明会員
荒木ラン子  伊藤 美晴  林  泰弘
岩見 輝彦  王   廸  緒方 賢一
岡本 慎弥  笠井 幸博  金川 朋絵
川島さおり  川出 深雪  菊森 大治
金  敬雄  工藤 明美  胡  山林
高  秀華  上妻 宗周  小寺 春水
小林 和良  小林 忠輝  佐伯 真也
佐藤奈津子  島津 京淳  清水  篤
周  先民  薛  羅軍  竹内 良雄
谷津 康介  杜   栄  陳   捷
長村 美慧  二宮美那子  野崎 元華
馬場 久佳  馮  曰珍  堀田 洋子
本田千恵子  松下 愛理  翠川 信人
森 由利亜  李   〓  林  松涛
和賀井 聡  若松 信爾

※上記会員の連絡先をご存知の方は、お手数ですが事務局までご一報ください。
10月7日に開催された評議員会で入会を承認されたのは、以下の通りです。

○一般会員 計41名
阿部 光磨 有馬 みち 上原 究一
内山喜代成 大河内孝史 大場 一央
大東 和重 小方 伴子 岡本 秀夫
奥〓 裕司 鎌倉 敬三 神谷まり子
河尻 和也 河本 美紀 重信あゆみ
洲脇 武志 関村 博道 〓  雪艶
千野 拓政 傍島 史奈 竹村 英二
田村  将 千葉 謙悟 張  文朝
張   莉 泊   功 鳥谷まゆみ
中村  貴 中安 真理 成田健太郎
鳴海 雅哉 西尾 和子 福田 素子
福永 美佳 藤井 敦子 藤岡由布子
保坂 律子 槇 美貴江 松浦 智子
好並  晶 李  丹丹


2005年度第1回委員会議事要録

日 時:2005年4月23日(土)13:00~16:00
場 所:学士会館分館
出席者:池田知久、堀池信夫、佐藤錬太郎、
山口久和、渡部英喜、久保田知敏、
大上正美、宮本徹

議 題
審議事項
(〓)会則改正案の検討
(A)逐条審議
2004年度第2回委員会(10月9日開催)において決定された会則改正案(第3次案)について更なる検討を加え、以下の文言を再修正することとした(第4次案)。
(1) 会則第10条第8項:第3次案に「各種委員会委員」とあるのを、「各種委員会委員・幹事」に改める。
(2) 会則第11条第6項:第3次案に「幹事および各種委員会委員は理事長の委嘱による。」とあるのを、「幹事及び各種委員会の委員・幹事は理事長の委嘱による。」に改める。
(3) 会則第12条第8項:第3次案に「…ただし、委員会および委員については別に定める。」とあるのを、「…ただし、委員会および委員・幹事については別に定める。」に改める。
(4) 会則付則:第3次案に「平成17年4月1日改正(予定)」とあるのを、「平成18年4月1日改正(予定)」に改める。
(5) 選挙規約第1条:選挙規約中の評議員定数・選出方法については、従来から最も議論が集中したところであるが、まず地方選出の評議員数について、現行規約に「各地区の会員2名を含むこととし」とあるのを、地方の声をより適切に学会運営に反映させるとの趣旨から、これを「3名」に改める。また女性評議員数については、前年度、女性評議員に対して行ったアンケートの結果等に基づき、現行規約に「しばらくの間女性会員最高得票者から第5位得票者まで5名を評議員に加える。」とあるのを、「女性会員最高得票者から第12位得票者まで12名を評議員に加える。」に改める。これは女性会員数の増加に伴う恒久的措置である。
(6) 評議員会・監事会規約第2条第3項:現行規約に「監事は、当分の間、3名とするが、…」とあるのを、「当分の間」の文言を削除し、「監事は3名とし、…」に改める。
(7) 委員会規約:設置が検討されていたデータベース管理委員会・ホームページ管理委員会については、今後の会員間での議論の推移を見守り、当面は委員会規約中に関連規定を設けないこととした。

2005年度第2回委員会議事要録
日 時:2005年10月8日(土)12:30~13:15
場 所:北海道大学人文・社会科学総合研究棟
出席者:池田知久、佐藤錬太郎、野間文史、
久保田知敏、大上正美、宮本徹
議 題
審議事項
(〓)前回議事要録の確認
(〓)会則改正案について
池田委員長より、前日開催された理事会及び評議員会において、会則改正案(第5次案。各種規約も含む)が原案通り了承された旨報告があった。併せて委員長より、この改正案を明年1月に全会員投票にかけ、4月の「学会便り」にて結果を報告するというスケジュールが示された。
(〓)顧問推薦の内規について
委員長より、本委員会の今後の検討課題として、顧問推薦にかかる内規の整備に取り組みたいとの方針が示され、各委員もこれを了承した。とりあえずは、明年3月に第3回委員会を開催し、現任顧問へのアンケート結果を踏まえ、現状とその問題点を精査することとした。
[将来計画特別委員会]
10月8日(土)、北海道大学において第一回選挙管理委員会を開催し、会則変更の是非を問う会員投票に関る作業の日程・場所・手順などの確認を行いました。会員投票の日程は以下の通りです。

投票用紙発送:2006年1月7日(土)
於二松学舎大学
投票締め切り:2006年1月25日(水)
※消印有効
開    票:2006年1月29日(日)
於斯文会館(湯島)
投票結果報告:2006年「日本中国学会便り」
第1号(4月下旬に発送)に掲載
[選挙管理委員会]

竹下 悦子


日本学術会議と人文学中国学の将来

第20期日本学術会議会員 藤井 省三(東京大学)
日本学術会議の新体制、及びFISP(哲学諸学会国際連合)への対応を図るために、「日本哲学諸学会連合」を結成することになり、そのための準備委員会を立ち上げることが決定した。準備委員会のメンバーは、前田専学FISP運営委員、日本学術会議哲学委員会所属の会員4名、それに6学会の会長。日本中国学会からは丸尾理事長が加わることになる。また哲学研究連絡委員会が毎年開催してきたシンポジウムの提題レジュメ集が発行される運びとなった。
日本学術会議哲学研究連絡委員会報告

土田 健次郎(早稲田大学)
第19期の主な活動の目的は、新体制に移行する2005年10月以降に何らかの形で、東洋学を日本学術会議の内に残すことであった。これが成功したのか失敗したのか、よく分からないが、東洋学研連として東洋学・アジア研究の将来のために相当の努力を行ったことは確かである。いわゆる研連はこの10月よりすべて消えてしまったが、中国研究者の一人として、学術会議という国家機関の中に、東洋学を存続させ、さらにできれば発展させてもらいたいと切望している。
東洋学・アジア研究連絡協議会というゆるやかな連絡協議体を、2004年12月創立し、2005年6月第1回総会を開催した。合計39学会が参加している。今後は、これに依拠しつつ、日本中国学会などが中心となって、民間の力で東洋学・アジア研究を盛り上げていかなければならない。
また、2010年8月、第39回国際東洋学者会議(略称ICANAS)が順番で、日本、東京にやって来る。1983年8月の同じ国際会議(当時は略称CISHAAN)の時は日本中国学会は他の数団体とともに幹事学会を引き受けたが、第39回でも重要な役割を演ずることが期待されている。会員の皆様のご理解とご支持を心よりお願い申し上げるものである。
第19期東洋学研究連絡委員会のこと
前日本学術会議会員・東洋学研連委員長
池田 知久(大東文化大学)
今年10月1日に新体制の日本学術会議が発足し、これまでの日本学術会議は1949年成立以来の歴史を閉じた。会員は今後会員自身が選ぶことになり、今回だけは諸学協会、各大学等から提出された候補者名簿の中から有識者からなる選考委員会が210名を選んだ。新会員の中に日本中国学会会員の中からはただ1人藤井省三氏が選出されている。そこで藤井氏からは新学術会議の動向について「日本学術会議と人文学中国学の将来」という一文をお寄せいただいた。ここでは2,000名といわれる連携委員の選出がまだ行われない段階でやや不確定な要素を含むけれども、これまでの分野別研究連絡委員会について、10月7日開催の本学会評議員会での報告にもとづき、その近況の概略をお知らせすることにしたい。
(文責 理事長 丸尾 常喜)

(1)旧東洋学研究連絡委員会について
これまでの日本学術会議東洋学連絡委員会は本年9月末日をもって廃止されたが、これに替る民間レベルでの学協会の連携を目的とする団体として「東洋学・アジア研究連絡協議会」が昨年12月11日に設立され、その第1回総会が本年6月11日に東方学会会議室において開催され、会則を制定した。参加団体は37団体、日本中国学会、東方学会、日本印度仏教学会、東南アジア史学会が幹事学会となり、初代会長に池田知久氏が選出され(任期2年)、事務局は東方学会が担当することになった。本協議会は今後わが国における東洋学・アジア研究の連絡母体として、また2010年に日本で開かれるICANAS―39への対応機関としての役割をはたしていくことが確認された。年会費2,000円。これらのことは先の本学会評議員会(10月7日開催)で報告され、承認された。また本年9月24日に旧東洋学研究連絡委員会の最後の公開シンポジウムが「アジア人間科学への道――東洋学とアジア研究」と題して東京大学で開催された。

(2)旧哲学研究連絡委員会について
旧哲学研究連絡委員会は、本年9月20日に日本学術会議第4部会議室において最後の委員会を開催した。この委員会にはオブザーバーとして幹事団体(日本中国学会、日本哲学会、日本印度仏教学会、日本倫理学会、美学会、日本宗教学会)の会長・理事長も招待された。
委員会では、哲研連解消後も、哲学研究の社会への還元や国際交流を促進するため、哲研連を構成する6学会は、6学会の連合体である「日本哲学系諸学会連合」(仮称)の結成を目指し、そのために準備委員会を結成することを決定した。準備委員会のメンバーは、委員長を前田専学FISP(哲学諸学会国際連合)委員とし、日本学術会議哲学委員会所属の会員4名に6学会会長・理事長が加わることになった。他に、「日本哲学系諸学会連合」設立後の各団体の拠出金を2万円、FIPS会費の分担金を1~2万円程度とすることが決定された。この会議には日本中国学会を母体とする日本学術会議(旧)会員溝口雄三氏、哲研連委員土田健次郎氏が出席した。日本中国学会理事長は中国出張のために欠席した。
以上の経過につき、10月7日開催の本学会評議員会は土田理事の文書による報告を受け、これを承認した。