2004年(平成16年)12月20日発行
- 新体制の四年間
- 理事長 興膳 宏
- 二松学舎大学21世紀COEプログラム「日本漢文学研究の世界的拠点の構築」について
- 佐藤 保(二松学舎大学)
- 中国当世学会事情
―「中国中世文学国際学術研討会」に参加して―
- 内山 精也(早稲田大学))
- アメリカの中国文学研究瞥見
- 浅見 洋二(大阪大学)
- 読陶詩会
- 稀代 麻也子(青山学院大学・非)
- 「R25」のつぶやき――大学院生から――
- 関 清孝(大東文化大学大学院)
- 「日本中国学会会則」の改正について
- 将来計画特別委員会委員長 池田 知久
―「中国中世文学国際学術研討会」に参加して―
彙 報
10月8日の評議員会における報告及び決定事項は次の通り。
[報告事項]
(1) 平成17・18年度役員(理事長・評議員・監事)選挙の
結果について
(2) 平成17・18年度副理事・理事の委嘱について
→役員一覧は12頁参照
(3) 次年度大会開催校は、北海道大学に決定
(平成17年10月8日・9日)
[議決事項]
(1) 平成15年度決算及び平成16年度予算案承認
(2) 会員動向の確認及び新入会員の承認
(3) 平成16年度日本中国学会賞決定
太田 亨 「日本禪林における中國の杜詩注釋書受容――『集千家註分類杜工部詩』から『集千家註批點杜工部詩集』へ――」
(『学会報』第55集に掲載)
翌10月9日の総会において、評議員会の議決事項が報告され、了承されました。
◎会費納入について
会費未納の方は、至急ご送金願います。4年間滞納されますと除名になりますので、ご注意ください。
郵便振替口座:00160-9-89927
◎『学会報』送付停止について
平成15年度会費未納の方には、本年度の『学会報』を送付いたしておりません。会費納入が確認され次第、送付いたします。会費納入の際には、振替用紙通信欄に未送付の『学会報』号数をご記入ください。
◎退会の通知、住所変更について
退会ならびに住所・所属機関等の変更の際には、速やかに事務局へご通知ください。通知は書面かFAX、もしくは振替用紙の通信欄にてお願いします。
新体制の四年間
理事長 興膳 宏
4年前に東京大学で開催された第52回大会の前日に、新規約による最初の評議員会が招集され、その場で私が理事長に選出された。何しろ突然のことで、心の準備もなく、とまどった。規約によれば、副理事長と理事は理事長が指名して、翌日開かれることになっている評議員会の承認を得なければならない。人選に時間をかける余裕は全くない。私はただちに出席した評議員の間を駆けまわって、副理事長・理事への就任をお願いした。
後で考えてみれば、よくまあむちゃな人事ができたものだと思う。私が当惑したのと同様に、私から頼まれた方々もいきなり決断を迫られて、驚きためらわれたに違いない。事情は、幹事の任を依頼した3人の少壮研究者に関しても変わらない。しかし、私にとっては幸いなことに、お願いした人はすべてみな就任を引き受けて下さった。こうして、やみくも状態ながら、ともかく日本中国学会の新体制をスタートさせることができた。その後、再選をはさんで4年近く会の運営に当たってきたわけだが、第56回の二松学舎大学大会を無事終えた時点で、ひとまずこれまでの期間を振り返ってみることにしたい。
学会創立50周年を記念して運営体制を大幅に改革することになった趣旨は、すでに以前にもこの欄で書いたように、「会員がすでに2,000人を超えた現在の状況をふまえながら、できるだけ多くの会員の協力を得て、学会の活動を各会員が少しでも身近に感じられるようなものにしていきたい」というに尽きる。その目的を遂行するために、評議員の数を増やし(現在は50人)、その中から執行機関の理事会を構成して、会の運営に当たる。旧体制では運営の任務が理事長一人に集中していたが、新体制では六つの委員会が任務を分掌して、理事は各委員会の責任者となり、広く会員中から選ばれた委員によって委員会が構成されるという仕組みである。そして、その会務全体を理事長が統括し、副理事長がそれを補佐することになる。
スタートに当たって、私はまず理事長としていくつかの会運営の基本方針を考え、理事会の承認を得た上で、具体的な執行の方法を各委員会での検討に委ねた。そして、委員会で諮られた事項が再び理事会の議を経て、執行に移される。このようにして今日まで実行してきた主要な事項と問題点を挙げてみれば、およそ以下のようなことになる。
(1)大会開催について。
大会は、これまで東京と地方で隔年に開催してきたが、開催校の条件を優先して、必ずしも東京・地方の隔年開催にこだわらない。これは、大学ごとに、再来年なら開催できるが、来年は難しいといったさまざまな条件があるためで、その事情を優先的に考慮することにより、多少ともフリーハンドの余地を広げたいと考えたからである。その結果、第53回の福岡大学のあと、第54回は東北大学、第55回は筑波大学、第56回は二松学舎大学、そして来年の第57回は北海道大学で開催される運びとなった。ただ、首都圏に大学が集中している状況を考慮すれば、平均的には従来のような東京・地方の隔年開催が理にかなっているとはいえるだろう。
(2)論文審査と学会賞選定について。
毎年の学会報に掲載する論文の審査は、これまで学術専門委員会が担当してきたが、これからは論文審査委員会がその任に当たることになった。規約によれば、委員は論文の査読者を決定・依頼するだけで、自身では査読を行なわないので、応募論文の内容を知らずに採否を決定することにはやはり問題がある。検討の結果、委員も査読委員とは別にそれぞれ応募論文を読んで、論文採択に資することとした。また、学会賞銓衡については、あらかじめ全評議員に推薦のアンケートをお願いすることになった。ただ、これまでのところ、アンケートに応じて下さる委員は極めて少なく、この方針が十分に生かされているとはいいかねる状況である。
(3)『日本中国学会報』と『日本中国学会便り』について。
私が特に強く希望したのは、「学界展望」の充実であり、文献目録だけでなく、ずっと以前になされていたような文章による展望記事を掲載することだった。これは、出版委員会でも方針として認められ、各学界展望執筆担当校の熱心な協力によって、各年度の研究動向が具体的にうかがえるような充実した内容になってきている。また、年二回発行されてきた『日本中国学会会報』は、名称が『日本中国学会報』と紛らわしいため、2002年以降『日本中国学会便り』と名を改めて発行されるようになった。そして、これも出版委員会の工夫によって、各種の研究会や国際学会そして新しい研究動向の紹介など、会員相互のコミュニケーションに役立つような記事が毎号載っている。
(4)学会ホームページについて。
2001年の福岡大会を機に、日本中国学会のホームページを立ち上げた。いまやどこの学会でも行なわれているサービスといってしまえばそれまでだが、当学会としては画期的な試みだった。現在までのところ、『日本中国学会報』バックナンバーの論文目録、毎年の大会案内、各委員会からの報告などが掲載されている。古い情報が更新されぬままになっているものもあり、管理が行きとどいているとはいいかねる状態だが、今後の改善と充実が望まれる。今年の大会は台風の直撃を受けて、開催そのものが危ぶまれる状態だったが、ホームページを開いて開催状況を知ろうとした会員もあったと仄聞する。いずれは、そうした臨機の措置にも対応できるような体制を作る必要があろう。
(5)事務局体制の刷新について。
これについては、すでに『便り』2003年第1号で詳しく述べたので、ここではくり返さない。要は、2,000人以上の会員を抱えて、事務量が手に余るほど厖大なものになったという事実に帰する。2003年度からの新体制は、幸い今のところうまく機能している。
(6)会則の見直しについて。
4年前に発効した新会則は、学会の運営に当たって、不備なところや必ずしも機能的といえないところがあり、将来計画特別委員会において継続的に問題点を検討した上で、現在すでにその改正案が『便り』やホームページを通じて会員に示されている。会員各位の周知を得た上で、来年度中に改正のための会員投票を実施する運びとなろう。
全般的な問題点としては、これまでもいわれてきたように、評議員選挙の投票率の低さがあり、今年行なわれた選挙でも依然として事態は改善されていない。会費の納入率は80パーセントを常時超えており、大会への参加者や『日本中国学会報』への応募論文はかなりの数に上るなど、一概に会員が学会運営に非協力的だというつもりはないのだが、投票率の向上が引きつづき今後の大きな課題として残されていることは特に指摘しておきたい。
ともあれ、学会の運営に多少とも新機軸を加えるべく努めてきたつもりではあるが、結果は会員各位の判断に待ちたい。終わりに、これまでさまざまな面で労を共にしてきた役員・幹事諸氏に厚く感謝の意を表したい。
2004.11.1
二松学舎大学21世紀COEプログラム
「日本漢文学研究の世界的拠点の構築」について
佐藤 保(二松学舎大学)
周知のように、21世紀COEプログラムは、文部科学省が平成14年度に始めた特別事業である。「我が国の大学に世界最高水準の研究教育拠点を学問分野別に形成し、研究水準の向上と世界をリードする創造的な人材育成をはかるため、重点的な支援を行い、もって、国際競争力のある個性輝く大学づくりを推進することを目的」とするとうたわれた本事業は、事業1件につき年間1億円から5億円の範囲で補助金を交付し、しかも5年間にわたって支援を行うという、きわめて魅力的な内容をもつプログラムである。また、支援内容のほかにも、当初この事業が、我が国の国公私立大学の中から世界的な研究教育拠点となりうる「トップ30」の大学を選び出すためと喧伝されたこともあって、各大学はそれぞれの威信と大学の将来をかけて申請を行うことになった。募集は平成14年度と15年度に、各年5分野ずつ、2年で10の学問分野で行われた。本学会の会員諸氏のなかにも、この21世紀COEプログラムの応募に関係された方が決して少なくないであろう。
二松学舎大学は、第1回の平成14年度、「人文科学」の分野に「日本漢学研究教育法及び文献センターの構築」のプログラムで応募したが、その時は残念ながら採択には至らなかった。幸い、再度挑戦した平成16年度の募集には「日本漢文学研究の世界的拠点の構築」で採択されることになり、現在、拠点形成のための諸事業を推進中である。そこで、本欄を借りて、本学のプログラムが採択に至った経緯と事業の内容などを、多少内輪話を交えながら、紹介してみようと思う。
そもそも私が二松のCOEプログラムに関わったのは、まだ二松学舎大学に正式に着任する前のことで、文科省から21世紀COEプログラム募集計画が公表されて間もない頃の平成14年の2月、学長の石川忠久さんに呼ばれて二松のCOE準備会に出席したのが最初である。二松には戸川芳郎さんと石川忠久さんの両先輩に誘われて、その年の4月から大学院文学研究科の専任教員として働くことになってはいたが、まさか辞令をもらう前から会議に呼びだされるとは思ってもいなかった。
ともかく、学内事情もよく分からないままに、いわば強引に押しつけられた形でCOEプログラムの申請に関与することになったが、二松のプログラム・テーマについては初めから迷いはなかった。私のようにそれまで外から二松をみていた者にとって、二松のイメージは、「国漢の二松」「漢文の二松」の言葉どおり国語と漢文の教員を養成する大学といったもので、明治10年に漢学塾として出発した二松学舎の特色は日本漢学と漢文教育以外なにも考えつかなかった。そこで日本漢学の研究教育を前面に推しだして計画をまとめたのが、上記の「日本漢学研究教育法及び文献センターの構築」である。
21世紀COEプログラムには上述の目的のほか、大学院教育の充実と活性化、そして後継者養成が重要な課題とされているため、申請の準備は大学院文学研究科中国学専攻が中心となって進めることになった。二松の場合、文学研究科は国文学専攻と中国学専攻の2専攻で構成されているが、中国学専攻が主になったのは、本プログラムの事業に日本漢学の研究教育のほか、日本漢学の基礎とも言うべき漢籍や国書などの漢字文献の整理とデータベースづくりを入れていたからである。また、中国学専攻には、日本学術会議や日本中国学会でなが年にわたって国内の漢字文献調査とデータベースづくりのプロジェクトを推進してきた戸川さんや石川さんが所属していたのも、日本漢学の研究を中国学の立場から進める大きな理由となった。
申請書をまとめる段階で、「日本漢学」をどう定義するか、日本漢学と大学院の研究・教育をどう関連づけるか、それらと文献センター構想をどう結びつけるか等々、我々は熱のこもった議論を重ねた。そして、平成14年7月に申請書を出すと同時に、日本漢学の研究教育拠点づくりを開始した。
行動の一つは、同年秋に国際漢字文献センターを立ち上げて専任教員を配置し、若手研究者等の養成のための漢籍目録学・書誌学に関する公開講座・講習会を開き、漢籍データベースの作成に取りかかったことである。この年の3月、九段の旧校舎が全面改築のためにとり壊されたため、同センターは学外のビルを借りて活動することになった。
二つには、平成15年度から文学研究科中国学専攻のカリキュラムを改編したことである。従来はただ授業科目によって中国文学・中国語学・中国思想などの区別をつけるだけであったが、日本漢学を明確に位置づけるために、専攻を中国学・日本漢学・総合文化学の三講座に分け、中国学と日本漢学の関連、あるいは総合文化学に含まれる朝鮮学と日本漢学との関わりを明確に打ち出した。
三つには、平成16年度に開催する国際シンポジウムの準備に取りかかり、シンポジウムのテーマを「東アジアの漢字文化活用の現状と将来~日本・中国・台湾・韓国の漢文教育と漢文教科書をめぐって」と決めて、各国の研究者に基調報告を依頼したことである。
しかしながら、平成15年の春に届いた審査結果は、前述のように不採択であった。審査結果通知書に記された「不採択の理由」には、おおよそ、文献データベースの作成の重要性は認めるものの、事業推進担当者の構成及び計画全体の緻密性に問題がある旨が指摘されていた。確かに後から考えると、プログラム名ひとつを見ても、曖昧で正確さに欠ける点があったと思う。我々は、21世紀COEプログラムは隔年で同一分野の募集が繰り返されると聞いていたので、2年後の平成16年に再び申請する予定で、上の三つの活動を着実に進めて実績を積むことにした。
ところが、平成16年度の21世紀COEプログラムは、前年度までの学問分野別とは一転して、「革新的な学術分野」ひとつに絞った募集となり、人文系・社会系・自然系のすべての分野が横一線に並んで競うことになった。我々が最もとまどい且つ苦心したのは、日本漢文・日本漢学の研究をどのように進めれば「革新的」といえるかという点であったが、前回にもまして中国学専攻と国文学専攻の連携を深め、それに平成16年度から学内既存の研究所・センターを統合改組して発足した東アジア学術総合研究所を加えた三者が、従来の日本漢文学研究の枠にとらわれない広い視野からの研究を行うことで十分説明できると確信して計画全体の見直しを行った。因みに、旧国際漢字文献研究センターは東アジア学術総合研究所の一部門に統合吸収されたのである。
このように、前回の反省とこれまで準備してきたことを十分に踏まえて、平成16年度の募集には「日本漢文学研究の世界的拠点の構築」を新たなプログラムとして申請した。
今回の申請は全体で320件にのぼったが、本学のプログラムは44件のヒアリング対象に選ばれて6月15日に文科省の21世紀COEプログラム委員会のヒアリングを受け、7月22日、正式に採択の通知が届いた。「採択理由」として示された委員会のコメントは、「日本学として漢文研究を振興するために、本拠点形成計画は極めて重要である」と、本事業の目的と意義、及び本学の伝統を高く評価するものであった。また、我々が説明に苦心した「革新的な学術分野」である点に関しても、同委員会のコメントは、「従来の中国学及び日本学では、日本で伝承されている豊かな漢字漢文文献資料の価値を認識してこなかったがこれを中心軸として本格的に研究しようとする点で、新しい学問分野の確立を目指す革新的な拠点形成計画である。」と、我々の意図を正確に汲み取ってもらったと思っている。つまり、我々のプログラムのポイントは、現在、京都大学人文科学研究所や東京大学東洋文化研究所等で大規模に行われている漢籍(中国書)のデータベースづくりからは漏れている部分、すなわち日本人の漢文による著作物を対象にしている点で、正しく中国学と日本学の狭間に属する部分を埋めたいと考えているのである。
本プログラムが計画している事業は、次の四点にまとめることができる。
(一) 日本人の手になる漢字漢文文献、すなわち、文学のみならず広く諸分野にまたがる日本人の漢文著作物、和刻本漢籍、日本人の注釈・解説を付す準漢籍を、世界規模でそれらの所在調査を実施し、データベース化して、世界に情報発信の基地をつくる。
まず手始めに、日本国内の国公私立の図書館・資料館など約4600カ所に関連文献の所蔵についてアンケート調査を実施した。今後、必要に応じて逐次実地調査を行う予定である。
(二) 国際シンポジウムや共同研究などを通じて、日本漢文学研究者の世界的な交流のネットワークをつくる。
今夏の国際シンポジウム「東アジアにおける漢字文化活用の現状と将来」(上述)を皮切りに毎年国際シンポジウムを開催するほか、国内外の日本漢文学研究者を招聘して講演会や研究会を行う。今年度は11月から来年1月にかけて、台湾・中国・ベルギーから研究者を迎える予定になっている。
(三) 若手研究者及び書誌的調査の専門家を養成するために、講演会や講習会等を定期的に開催する。
従来国際漢字文献センター主催で行われてきた講演会と講習会をさらに充実した形で実施する計画である。
(四) 漢文教育の充実と振興のために、漢文教育の歴史を研究し、実際に大学で使用する漢文教科書の編纂を行う。
これらの事業は、5年(実際には、今から4年半)と限られた時間内ですべてをやり終えることは到底不可能である。また簡単に終わりにすべきものでもない。21世紀COEプログラムに採択されたということは、とりもなおさず本事業が二松の任務として社会的に公認されたことであり、本学としては今後永く本事業を続けて行く責任を負わされたことを意味するであろう。5年間は将来の持続のための基礎づくりの期間と考えているが、願わくば日本中国学会会員諸氏の協力をも仰ぎつつ、可能な限りしっかりとした拠点形成を行いたいと思う。
中国当世学会事情
―「中国中世文学国際学術研討会」に参加して―
内山 精也(早稲田大学)
さる8月26~28日、「中国中世文学国際学術研討会」(以下「中世学会」と略称)が、北京大学古文献研究中心、成功大学文学院、復旦大学中国古代文学研究中心の共催により、復旦大学を会場に開催された。参加者は約90名。うち、海外からの参加者は計26名(台湾10名、日本8名、韓国5名、香港2名、米国1名)であった。ちなみに日本からは、林田慎之助(神戸女子大学名誉教授。敬称略。以下同じ)、岡晴夫(慶應義塾大学)、磯部彰(東北大学)、李慶(金沢大学)、古川末喜(佐賀大学)、胡志昂(埼玉学園大学)、池沢滋子(中央大学)の各氏と私が参加した。私は勤務校の在外研究制度を利用し、この四月より復旦大学にお世話になっており、その関係でお声がかかり、末席に連なることになった。
上海の残暑は厳しい。中国三大火炉(重慶、武漢、南京)の汚名こそ免れてはいるものの、三大火炉と同じく長江流域にあり、しかもその一つ南京から列車でせいぜい二三時間しか離れていないのだから、推して知るべしである。日本は今年、記録的な残暑であったようだが、上海も負けず劣らず高温多湿の日々が続いた。会議の終了後、28日に嘉興の烏鎮まで日帰りの観光旅行が用意されていたが、その日も茹だるような暑さで、参加者はみな疲労困憊してホテルに帰ってきていた(私は現地の飛び入り参加であったため、「幸運にも」旅行には参加しなかった)。学会運営担当の知友が、「みなが日帰り旅行を期待しているけれど、たいていの人は上海に何度も来たことがあるし、この時期、どこへ行っても蒸し暑いから、いったいどこへ案内すればよいのだろう…」と会議の二ヶ月前、困り果てていたことを思い出した。
とはいえ、会議自体は実にクールかつスマートに運営されていた。開幕、閉幕等の式典も極めて簡素かつ短時間の中に行われ、その分、研究発表や討論により多くの時間が割り当てられ、三つの会議室それぞれで、実り多き活発な議論が重ねられていた。会議の主題「中世」は、日本の中国史学で一般的な、魏晋六朝~唐という範囲に止まらず、上は秦漢、下は明代中期までの可能性を含みもつ旨の説明が、事前に主催者側によって参加予定者に通知されていたため、参加者の提出論文も自ずとこの範囲の全時代、全領域に散らばり多岐にわたった。これを過不足なく紹介することは、そもそも私の能力を遥かに超えているし、しかも会議の論文集が近い将来に刊行されるそうなので、各論文の具体的内容については本稿では一切割愛する。以下、この学会の最中およびその前後に、私が見聞した昨今の中国における学会事情について、紙幅の許す限りレポートしたい。
中国の同業者仲間と日常的に交流する環境にわが身を置いてみて、まず実感したのは、各地で開催される国際会議の数の多さである。私の専攻領域(唐宋文学)に関係するものに限っても、今年10を超える比較的大規模な「国際学術研討会」が開催された。わが国や欧米で開催される国際会議がせいぜい年に一二回ということを考えれば、文字通り桁違いの数である。私の印象では、数年前まではこれほど頻繁に国際会議は開かれていなかったように思う。
主催、共催の機関や団体に着目すると、増加の原因がうっすら見えてくる。数年前まで中国の国際学会は主として二つの形態によって開催されることが多かった。一つは全国規模の基幹学会が定期的に各地の大学と合同開催する形態(「文選学会」「唐代文学学会」「宋代文学学会」等々)、他の一つは個別の詩人や作品を対象とする学会組織が、その詩人や作品と縁ある土地の地方政府や大学と合同開催する形態(「李白学会」「蘇軾学会」「三国演義学会」等々)である。近年の特徴は、上記の二形態に加えて、研究所や大学の一セクション、または「研究中心」が、単独もしくは合同で開催する会議が急増していることである。今年開催の国際会議の約半数がこの第三の形態によるものである。かつて、中国の大学や研究機関、とりわけ古典文学関連のそれは、貧乏の代名詞であった。それが今や、国際会議ラッシュの一大要因となっている。この豹変ぶりは一体何に由来するのであろうか。
この素朴な疑問を、「中世学会」に集まった旧知の学者に投げかけてみた。誰もが異口同音に答えたのは、中央の政策変化によるものだという。世界第一級水準の研究教育の実現こそが急務と、1995年に教育部が「211工程」という施策を打ち出し、全国重点大学の再編成が実施された。これによって新たに選定された95の大学には予算が重点的に配分されるようになった。さらに、1999年前後から、学科レベルの重点化も図られ、全国の重点大学の下に「重点研究基地」がつくられ始めた。その一つが、「中世学会」の主催機関、復旦大学中国古代文学研究中心であり、北京大学古文献研究中心である。教育部公認の「(国家級)重点研究基地」には、毎年多額の研究活動資金が配分される代わり、三年に一度、専門家チームよる厳格な評定審査が課せられ、そこで芳しくない評価が下されると、その研究中心は「(国家級)重点研究基地」の看板を下ろさねばならない。
このような、お上の施策に連動して、目下、大学間の新たなる序列が急速に作られつつある。様々な外部評価機関が設立され、そのそれぞれが毎年、全国大学のランキングを公表し始めた。評価項目は多岐にわたるが、「重点研究基地」の数、博士点(博士課程)の数、外部の研究資金をどれだけ獲得し、対外的な学術活動をどれほど積極的に行い、どれだけ多く良質の著書や研究論文を公刊したか等々が数値化されて、ランキングに反映される。
すでに「重点研究基地」のお墨付きを獲得した機関はそれを保持するために、またこれからそのお墨付きを得ようとする機関は、それぞれお家の事情に応じて、学科の得意分野を対外的に宣伝し実績を作るために、一定規模の国際学会を開催することがその有効な手段となる。従って、数々の国際会議は、それぞれの主催機関が目下進行中の序列競争の中で自らの浮沈を賭けた、重要な投資の一つ一つなのであった。
しかし、裏の事情はどうであれ、現実にこれだけ多くの国際会議が開催されれば、主役の学者たちも自ずと慌ただしくなる。中には、毎月のように、学会出張で東奔西走している学者もいると聞く。中国の学会は参加者全員が論文提出を義務づけられるのがふつうだから、参加する会議数が増えればそれだけ多く論文を用意しなければならない。よって、通常ならば参加する学会を選別し、参加回数を限定せざるを得なくなる。さもなければ粗製濫造の懸念も生まれてこよう。中国の学者たちはこの問題にどう対処しているのだろうか。
何人かの知友に尋ねてみたところ、ほぼ全員がプラス思考でこの問題をとらえていた。まず、会議の多さについては、自分の関心の所在に応じて自ら選別している、という。選別の基準は、人的要素(知人が熱心に参加を求めてきた場合等)を除けば、概ね以下の三点に集約できるようだ。第一に自分の研究テーマと直結する会議、第二にグレードの高い会議、第三に開催地の如何(まだ行ったことがない都市や別の用向きのある都市が優先される)である。それに反して、地方政府が出資する形態の学会は、彼らの間では、はなはだ評判が芳しくない。役人が前面に出てきて、町の宣伝を延々と続け、肝心の学術討論会がなおざりにされるケースが多いからだ、という。
粗製濫造の問題については、すでにそういう現象が現れていると厳しく指摘する学者もいたが、こう答えた知友もいる。たとえ論文が完成していなくても、同業者の前で、己の研究内容の一部を公表すれば、プライオリティーを主張できる。中国は学者の数が多いから、自分と類似の発想をする人も多いので、いち早くプライオリティーを主張する必要がある。けれども、もし会議の絶対数が少ないと、そういうことはとてもできない、と。また、会議の増加に伴い、同世代研究者仲間のネットワークがより広く、より緊密になった、という人もいた。
さて、「中世学会」に話を戻そう。参加者の多くは、参加の理由として第二の基準、つまりグレードの高さを挙げていた。「〈古代文学〉全体をフォローする〈国家級重点研究基地〉は現在、復旦大学にしかないから、彼らの主催会議も全国的注目度が高い」「著名な学者が数多く招聘されるので会議の質が保証されている」「国際会議の開催経験が豊富で、運営や進行に隙がない」等々の理由がにわかに挙がった。
だが、その主催機関の側近くに身を置き、知友たちの奮闘ぶりを垣間見る私は、素直にそれを祝福する気にはなれなかった。なぜなら、彼らは年に最低二回の全国規模の会議を開催し、無数の書類を書き、様々なプレッシャーの中で、日々苦闘している。すでにもう来年の会議に向けて、彼らは準備を始めているのである。――時間がなくてろくな研究ができない、と彼らに向かって愚痴をこぼすことも、どうやらこれからは極力慎まなければならないようだ。
上海にて
アメリカの中国文学研究瞥見
浅見 洋二(大阪大学)
2003年8月末から一年間、わたしはハーバード・イエンチン研究所(Harvard‐Yenching Institute)の客員研究員(Visiting Scholar)として海外研修を行った。ハーバード・イエンチンには、東アジア地域の人文・社会科学を専門とする若手研究者(42歳以下)を一年間(費用の支給期間は11ヶ月)招いて研究させるというプログラムがある。わたしの研究員資格も、このプログラムによる。2003―2004年度は、中国大陸から15名、香港2名、台湾2名、韓国3名、ベトナム2名、そして日本2名、合わせて26名の客員研究員が採用された。このほかにも、別のプログラムで来ている研究者も十数名いて、なかなかにぎやかだった。研究者たちの研究分野は、中国学とは限らない。むしろ、中国の歴史、思想、文学を専門とする者は少数派である。わたしと同じく唐宋文学を専門とする研究者は他に一人もいなかった。この点は少し期待はずれだった。
イエンチンの客員研究員には、ほとんど何の義務もないと言ってよい。「君たちには一年という時間を与える。自由に、自分自身の研究を行えばよい」――研究所長の杜維明教授は、9月初めの客員研究員を集めての食事会でそのようにわれわれを励まして下さった。「自分自身の研究」とは、ひとまずはわれわれが応募時に研究計画書に記して提出した研究を指していよう。わたしの場合、それは「宋代を中心とする中国の別集編纂に関する文学論的・社会文化論的研究」というものだった。だが、これについて一年という短い期間で果たしてどれほどのことができるというのか、そのように考えると、ただちに「自分自身の研究」に没頭しようという気持ちにはなれなかった。
「自分自身の研究」に取りかかるよりも、まずはアメリカの中国文学の研究・教育の現状、論文等を通してはうかがい知ることのできない現場の様子を少しでも多く観察してみたい。このような気持ちのほうが強かった。そのためには、各地の大学を訪ねてみる必要もあるだろう。だが、一年間ではそれもたかが知れている。そこで、次のように考えた。せめて、ハーバード大学の東アジア言語文化学科(Department of East Asian Languages and Civilizations)で開講される大学院生対象の講義・セミナーには時間の許す限り出席しよう、と。そうして、わたしは他の研究者から「そんなに授業に出て、自分の研究はどうするのか」とからかわれるほどの数の授業に出席することになった。次にあげるのは、ほぼ休むことなく出席した授業の一覧である。なお、題目は逐語訳ではない。わかりやすく言い換えた所や説明を補った所もある。
秋学期(前期)
「唐代文学の諸問題(李商隠詩を読む)」 S. Owen
「中国前近代文学プロセミナー」 S. Owen
「中国近世社会史の諸問題(ローカル・ヒストリー)」 P. Bol
「中国白話短編小説研究」 W. Idema
「中国史研究法」 E. Wilkinson 春学期(後期)
「唐代文学の諸問題(初盛唐詩を読む)」 S. Owen
「宋代思想史の諸問題」 P. Bol
「敦煌変文(講経文)を読む」W. Idema & R. Gimello
このほかにも、杜維明教授の「儒教倫理学」セミナー、更には全学部学生対象のいわゆるコアカリキュラムとして開講されていたP. Bol教授の中国史概説、S. Owen教授の中国文学概説の講義などにも出席した。こんなにまじめに授業に出るのは高校卒業以来ではないかと自分でも感心するくらいだった。
このように書いてくると、それなりの英語を駆使して、教授や大学院生たちと議論を交わしていたかのように聞こえるかもしれないが、実態は惨憺たるものである。教室に坐ってはいるものの、そこで交わされている議論のほとんどは理解できない。また、特に発言を求められることもない。授業に参加しているとはとても言えない状態だった。(ただE. Wilkinson教授のセミナーだけは、かろうじて参加したと言えるかもしれない。この授業では正規の受講生と同じ扱いを受け、毎回、短いレポートの提出とそれに関連する簡単なプレゼンテーションを求められた。)しかし「山重水複疑無路、柳暗花明又一村」、どのようなときにも何らかの手だてはあるものである。ハーバードの東アジア言語文化学科には、中国からの留学生や研究者をはじめ、中国語を母語とする者の比率がきわめて高い。わたしが出席した授業にも、出席者のほとんどが中国人もしくは中国系米国人というケースが少なくなかった。中国語ならば、英語よりは話が通じやすい。授業の前後や休憩時間に、彼らにいろいろと訊ねることで、授業のおおまかな内容をつかむことができたのは幸いだった。
わたしが出席した授業はいずれも興味深いものであったが、なかでも特に興味深く感じられたのはS. Owen教授の「中国前近代文学プロセミナー」(Proseminar in Pre‐modern Chinese Literary Studies)であった。これは一言で言うと、中国古典文学を専攻する博士課程の大学院生を対象に、文学研究の各種方法論について考えさせようとするセミナーである。インターネット上にも公開されたシラバスによれば、全12回の題目は次の通り。部分的に原語を補って記す。
(1) 中国および西洋における文学研究――機構・制度(Institution)
(2) 西洋における中国学
*ゲストスピーカー:W. Idema
(3) 文献資料活用法
(4) テクストおよびテクスト研究
(5) 文献考証学と解釈
(6) 文学史、正典(Canon)、そして歴史的文脈(Historical Context)
(7) 「理論」
(8) 「文学と……」――領域横断的研究、ジェンダー研究、そして文化研究(Cultural Studies)
(9) 古代出土文献資料
*ゲストスピーカー:M. Puett
(10) 「中世文学」
(11) 初期白話「通俗」文学
*ゲストスピーカー:W. Idema
(12) 博士論文執筆中の大学院生によるプレゼンテーション
わたしにとって、アメリカはいわば「理論」の国。文学に限らず、人文・社会科学のさまざまな分野で次々と新しい「理論」が生みだされる地にあって、中国文学の研究者たちはどのようなかたちでそれに対処し、関わっているか。かねてから、知りたいことのひとつであった。Owen教授のこのセミナーはそれをある程度教えてくれるものであった。
上に記した各回の授業題目だけを見ても、Owen教授の理論的関心のあり方はよく伝わってこよう。そして、ここに示された関心はひとりOwen教授だけのものではない。アメリカの中国文学研究者全体に広く共有されるものであるように思われる。彼らはどのような問題・方法に関心を抱いているのか。上記題目のいくつかに即して、わたしなりに気づいたことを以下に短く記しておこう。
例えば(1)では、ブルデュー社会学にいわゆる「文化資本(Cultural Capital)」をめぐる考察なども踏まえつつ、文学研究を取りまく社会的・政治的力学の問題がとりあげられた。研究者自身の社会的・政治的な位置がつねに問題として問われる、そのようなアメリカのアカデミズムの気風がここには端的にあらわれている。同様のことは(8)で「ジェンダー研究」や「カルチュラル・スタディーズ」などの研究方法がとりあげられていることについても言えよう。社会的・政治的力学は、中国の過去の文学作品、文学史の中においてもまた同様に問題化される。(6)でとりあげられた「文学史」とそこでの「カノン」形成に関する問題や文学研究における「新歴史主義(New Historicism)」の方法、あるいは(4)でとりあげられた「テクスト(資料)」批判の新傾向(New Textual Criticism)等々……、いずれも文学作品の生成・受容・伝承の過程において避けがたく介在してくる社会的・政治的〓力に注意を向けようとするものである。
「文学の政治からの自立」――かつてこの種の命題が盛んに口にされ、論じられたこともある。だが、「文学」はおそらく「政治」から自立することはできない。「政治」から自立しようとしたとしても、「政治からの自立」というその姿勢そのものがすでにしてある種の政治的な選択であることを免れない。アメリカの文学研究がさまざまな声で訴えようとしているのは、そのような意見である。もちろん、それがすべてをおおっているわけではないが。中国文学の研究からも、やはりそのような意見を訴える声がはっきりと聞こえてくるように思われる。
読陶詩会
稀代 麻也子(青山学院大学・非)
「文学研究を志す者が集って陶淵明をやっているの、あなたも来ない?」
こう言われて文学部、或いはその近辺をうろうろしている人が今どき示す反応は二通りに大きく分裂すると思う。飛び込んでみたくなるか、くるりと回れ右をしたくなるか。
私は紛れもなく「くるりと回れ右」をしたくなる口である。大体、文学というものがわからない。一生かかってもわかるかどうか、心許ない。そんな私が読陶詩会の紹介などという大任を引き受けたのには、それなりのわけがある。文学から見放されているような私でも十分に楽しめる会だから、少しでもその素養のある人だったら一度参加したが最後、やみつきになること請け合いだと思って。事実、この会には中毒患者(失礼)のような人が多い。年齢層が厚いから多忙の余り参加できないことが多い年代もあり、メンバーの入れ替わりは結構はげしいのだが、参加できなくなると、みなとてもくやしがる。自分だけが世の中の雑用をすべて引き受けてる、みたいな被害妄想に陥る人が多い。ある種の魔力を持っているこんな読書会もちょっと珍しいのではなかろうか。
理由は、はっきりしている。文学のカリスマが、「来るべき陶淵明論の深淵と困難」について考えるという明確な問題意識のもとに立ち上げたのがこの会の始まりだからだ。ところが、純粋に文学的な動機から出発したこの読書会に集うのは、必ずしも文学的な人々だけではなかった。その最たる者が私である。別に自分を卑下したいわけではない。私は、生きている限り誰にだってそれなりの存在理由があると考える脳天気なタイプだから、実は自慢したいのだ。文学の申し子のような人も沢山いる中に、私のようなのも時々まじっているから、この会の幅がひろがり奥行きが出る、と。
そう、この会の魅力は、一言でいえばその包容力にある。高度に文学的な論議をする人たちの横で、「文学って何? わからなければいけないもの!?」とばかりに自分勝手な発表をしたり的はずれなことを口走りながら議論に参加することも、許される。
一体そのことに何の意味があるのだ、と訝しく感じる人もいるだろう。正直いうと、私もそうだった。ところが、ごくごく最近になって、あることに気付いた。そうやって違和を感じながら、でも排除されることなくその場にいることで、まがりなりにも自分の考えらしいものをなんとかこね上げて言おうとするようになった。その中で、文学的かどうかという問題を越えて、自分なりの方向を模索する習慣がついていた。聡明な人であれば参加当初からそんなことはわかりきっているに違いない。だけど、私の場合、理解はいつもあとからやってくる。この会に参加することの価値がわかりだしたのは、実はこの数回、参加できずにいた間だった。違和を意識化するということ、しかもそれが排除に直結しないということ、このことによって得るものは大きい、などと哲学者にでもなったつもりになれるから気分がいい。
会は原則として隔月1回ひらかれるが、途中で扱うものが変わった。設立当初は陶淵明に関する戦後の論文を皆で読んできて議論するという形をとっていたのが、今では陶淵明の詩そのものを読んでいる。今かりに第1期、第2期として簡単に説明すると、次のようになる。
第1期
1998年4月から隔月で、陶淵明に関する論文を1本ずつ取り上げた。そのうちのいくつかを担当者とともに記しておく。
○稀代麻也子:吉川幸次郎「陶淵明伝」(1955年1月から『新潮』に連載)
○樋口泰裕:福永光司「陶淵明の『真』について――淵明の思想とその周辺」(1963年『東方学報』京都33)
○大上正美:鈴木修次「〓康・阮籍から陶淵明へ――矛盾感情の文学的処理における三つの型」(1963年『中国文学報』18)
○上田 武:石川忠久「陶淵明の隠逸について」(1965年『日本中国学会報』17)
○増野弘幸:一海知義「陶淵明における『虚構』と現実」(1968年『吉川博士退休記念 中国文学論集』筑摩書房)
○大上正美:茂木信之「陶淵明序論」(1979年『東方学報』京都51)
○加藤 敏:坂口三樹「陶淵明詩における『園田』の位相」(1990年『中国文化』48)
○坂口三樹:松浦友久「陶淵明の『有会而作』について――『嗟来説話』と『固窮説話』の機能の異同を中心に」(1991年『中国詩文論叢』10)
第2期
2003年5月から、陶淵明の詩を読む会として再出発、「読陶詩会」の名称が固定する。担当者が好きな詩を選んで読んでくる。今までに取り上げた詩と担当者をいくつか挙げておく。
○坂口 三樹「庚戌歳九月中於西田穫早稲」
○樋口 泰裕「悲従弟仲徳」
○稀代麻也子「命子」
○小嶋明紀子「詠二疏」
○斎藤 聡「九日〓居」
○有馬 みち「連雨独飲」
○山口 若菜「遊斜川」
○大橋 賢一「始作鎮軍参軍経曲阿作」
「いくつかを挙げて」などと偉そうに書いたけれど、実はだらしないのでレジュメが全部見つからなかっただけ。担当したにもかかわらずここで紹介出来なかった方、本当にごめんなさい。
第1期は、担当者が思い思いの形で論文をまとめてきて、自分が気になるところを問題点として挙げて、議論するきっかけをつくった。高度な論議も多かったが、私自身のことを思い出してみると、争いごとが嫌いなのでなかなか求められるようには異をとなえることができずに、困っていた。そのうちに慣れて、自分が感じることを素直に感じてそれを言葉にすればいいということがだんだん、当時は無自覚ではあったけれどわかっていった。そうなってみると、好き勝手なことが言えるので楽しくなった。
第2期も、最初のうちは比較的思い思いのやり方をしていたが、最近は少し固定してきた感じがする。以前に比べて基礎作業をしっかりする担当者が増えたので、学術的雰囲気が増した。ただ、ややもすると資料に振り回されてしまいがちで、詩そのものを読むところまでなかなかたどりつけなくなることもある。資料をきっちりおさえたうえで詩がよめればもちろんそれが理想的ではあるけれど、なかなかうまくいかない感じがしたりして、しかもその最たる例が自分だったりするので、時々こまる。
玉石混淆、というときこえは悪いかも知れないけれど、高度に文学的な者から文学とは無縁な者まで参加者がグラデーションをなしていると思って欲しい。志の高い人はさらなる高みを目指すために文学の世界に飛び込んでくることができるし、そうでない人も敷居の低いところからいくらでも入って来ることができる。少なくとも私は回れ右をしてしまわなくてよかったと思っているので、もしも興味のわいた方があれば、下記までどうぞ。連絡先のメールアドレスは、玉が先、石が後です。
場 所:〒150―8366 東京都渋谷区渋谷4―4―25
青山学院大学
アクセス:JR渋谷駅から徒歩10分
東京メトロ表参道駅から徒歩5分
連 絡 先:総研ビル11階 大上正美研究室
メールアドレスogami@cl.aoyama.ac.jp
または、mayezi@qc4.so‐net.ne.jp
「R25」のつぶやき――大学院生から――
関 清孝(大東文化大学大学院)
最近、東京近郊の駅でリクルート社刊の「R25」なる雑誌がバラまかれている。「R」とはリストリクト(Restrict:制限)、つまり18禁ならぬ25禁という意味で、ターゲットは25歳前後から30歳前半までの男性である。「元気がない」と揶揄される世代なのだそうである。無関心な心も刺激するような記事をくみ、長文を読む気力がないので各トピックは原稿用紙1枚程度におさめ、基本的に本(ただし漫画はのぞく)を買わないので0円でくばっている、というようなコンセプトで作成しているらしい。
この25歳前後という年齢は、ちょうど博士課程に在籍している大学院生の年齢と重なる。日本中国学会が大学院生の登竜門となっている現状から考えると、その「R25」世代が発表の中心となっているともいえる。(ちなみに筆者は、R25どころかR30への秒読みが始まっている)これから、その年代の一人として、なにやら「意見」を述べねばならないのであるが、わずか4回ばかり学会に参加したなにも知らない若輩者が、「意見」を述べるなど、能力的にも精神的にも無理な話であるが、厚顔無恥にも熱くない心と今にも消えてなくなりそうな気力で、この駄文を草することとする。
さて、この日本中国学会であるが、中国学以外の学問から見るとかなり特殊な学会に見えるようである。その特殊な本学会の様子を「太宰治をやっている」という知人に話した所、まず出てきたのが「すげぇ」の一言であった。会員数の多さ、そして、国文学の世界では「時代やジャンルを総合した学会は聞いたことがない」からだそうだ。あちらでは、学会というものは基本的に時代別に個々に存在しており、また、時代を越えた場合、詩歌などジャンルがしぼられるようである。そのような中から見れば、古代から現代までの全時代を網羅し、様々なジャンルの発表がおこなわれる学会は「すげぇ」なのだろう。
さて、その学会をわれわれは生かしきれているのであろうか。一般的に学問は年々細分化しているといわれている。医者が薬の知識をまったくもっていなくとも(もとうとしなくとも)、その道の名医でいられるのが、よく引き合いにだされる。専門分野はどんどん深まっていくが、マクロ的に学問全体を見わたせる視線が、欠けてきているのだそうだ。そう壺の中にはまって、そこからはいだそうとしないタコのように。中国学も例外ではない。そのような状況の中にどっぷり浸かって、培養されてきたわれわれは矛盾をかかえこむ。このような総合的学会が存在することに対しては何の疑問も抱かないまま、やってることは蛸壷の中でうねうねしているだけにすぎないのである。
私は、先にも記したが、第52回大会(東京大学)・54回(東北大学)・55回(筑波大学)・56回(二松学舎大学)の合計4回参加しただけである。そのうち、第55回大会で発表させていただいた。これからはその辺を中心に述べたい。
発表を申し込んだのは(申し込むことになってしまったのは)、「そろそろやれ」といわんばかりの先生方からの視線だった。実際は「やれ!」と非常に明快な一撃を食らったからである。周囲からのプレッシャーの中での発表申し込みである。決して自主的な参加ではなかった。発表を申し込んではみたものの、心の中では「不可」の返事がくることを期待する気持ちと、それはそれでかっこわるい、という気持ちがせめぎ合い暗澹たるものであった。
それが通ってしまった。表面化してしまうと、さぁ大変、「聞きに行きますよ」、「楽しみにしてますよ」という後輩からのありがたくない言葉、「懇親会にも出席しろ」という先生からのメールなどで引くに引けなくなってしまった。さらに、都合が悪いことに、同じ大学から一緒に発表したのが一学年下の後輩であったことだ。「自分たちを引っ張っていってください。」口にはしないが目がそういっている。目的意識のある彼らの目は非常にいたかった。だって私は、まず発表ありきで、目的はあとづけだから。このようであるから、相も変わらず「誰々の○○について」という、手垢にまみれた研究テーマしか絞り出せない。
他にも不安なことがあった。時間になっても終わらない質疑応答を以前見たことがあるからだ。もし、自分の発表の時にそうなったら…、と考えるだけで頭がグチャグチャになった。だから、資料の作成は有意義な議論がおこるように工夫することを心がけた。しかし、高度な質問がきたらとても答えられない、ひ弱な自分がそこにあった。結果、当日は、ひたすら原稿を読み上げ、残りの時間はなんとかやり過ごそうとする狡猾な姿がある。〓康の「人にして志無きは、人に非ざるなり」などという言葉を目にすると、ドキッとしてしまう。
学問の根っこにかかわるような疑問が無いわけではなかった。自分には発表する資格があるのか、自分がやっていいのか、という疑問である。具体的には、“日本”中国学会であるのだから、われわれ院生が発表するのではなく、学者として脂ののりきった先生方の学術発表が中心になるべきではないか、それをもっと聞きたいとか、そのような方々が発表・討論してこそ、斯界のトップである学会のあるべき姿なのではないか、そして、この先の中国学の進むべき方向性をしめすことができてこそ大会での発表なのではないか、といったような疑問である。(正確に言うと、このような疑問はあったが、忘れようと努力した。)
しかし、もしそれがかなえられたら、われわれの出る幕などあるわけなく、それはそれで、われわれにとっては困った事態がおとづれるのである。かりに、そのような中にしゃしゃり出て発表しようものなら、おのれの無知を斯界に宣伝しているようなもので、とてもできようはずがない。
われわれは、まだ目が開いたばかりで本邦の中国学を客観的にとらえる、または他国の(主に中国の)学問から相対化し客観視できるだけの能力など、もちろんない。留学する機会があっても、語学や授業で手一杯になってしまい、むこうの学会に参加する余裕はない。たまに大学の外に出ても観光で終わってしまうのが関の山である。学会発表というのは、自分の小ささを確認する作業なのかもしれない。
なにやらくらい話ばかりになってしまったが、あかるい話題も時にはある。文章でしか知らない先生方にお目にかかれたり、場合によっては、ご意見を頂戴できるのは、驚きやドキドキの連続である。しかし、なによりも大きい収穫は、他大学の大学院生や、あまり年はかわらないのに大学に奉職しているエライ同世代と言葉をかわす機会に恵まれたことである。きっかけはもちろん自分が発表したことである。分野はことなっていても同じような問題に悩んでいることで意気投合し、また、学問的に刺激しあえる。どんなちっぽけなことでも本人たちには貴重な時間であった。R25も元気なときはあるのだ。ただ、私は物事を深く考えない性格で学問も浅いので、刺激は受けてもあたえることはできなかったであろう事が心配なのであるが…。ともかく大学の枠をこえて人とのつながりができることは、やはり望外の喜びである。このことは、やはり書いておかなければならない気がする。お祭りは見ててもほんとうのおもしろさはわからないのである。輪の中で踊ってナンボなのである。
以上、私的なつぶやきを、まるでわれわれの世代の象徴のように、つらつらと書いてはみたものの、文章はまとまらず、自分のダメな部分を吐露することに終始してしまった。もちろん斯界に打ってでる気概にあふれる同学もおおくいるだろう。発表を重ね、論文を量産し、充実感を味わっているにちがいない。しかし、やはり私は「元気がない」「無気力な」世代の代表である。この駄文を読んで、「こんなやつでも発表できたのだから」と思ってもらい、これから発表をしようとする同年代や後輩たちを少しでも励ますことができればと願うばかりである。最後に第56回大会の懇親会で、この原稿の依頼をしてくださった川合康三先生に、ご期待に添えなかったことを心からお詫びしたい。
平成16年度新入会員一覧
10月8日に開催された評議員会で入会を承認されたのは以下の通りです。
○一般会員
池田 光子、石野 幹昌、井上 雅隆、上野 洋子、岡野 康幸、岡部美智子、
鎌田 崇嗣、神鷹 徳治、川 浩二、
久保田智広、
久米 晋平、
胡 晋泉、
小林 和代、
紺野 達也、
酒井 規史、
佐藤 由美、
澤田 達也、
柴田 浩明、
陣内 孝文、
水津 有里、
杉江 叔子、
平良 妙子、
〓橋 睦美、
高橋 大輔、
陳 〓、
辻 リン、
土谷 彰男、
杜 軼分、
戸〓留美子、
中木 愛、
中平 孝一、
西 信康、
野村 純代、
藤井 倫明、
藤田 一乗、
藤田 智章、
本多 道隆、
丸毛 俊宏、
山口 若菜、
山〓 藍、
山島めぐみ、
山本 和子、
林 祁、
郎 潔、
渡部れい子
○賛助会員
株式会社 汲古書院 (代表者:石坂叡志)、
研文出版 (代表者:山本實)
訂正
今年度版名簿につきまして、編集作業上の手違いから、以下の会員について旧住所が記載されてしまいました。不手際をお詫びいたします。
萩原 正樹
なお 本年9月以降に住所変更依頼をいただいた会員の住所等につきましては、来年度版の名簿において訂正させていただきます。
「日本中国学会会則」の改正について
将来計画特別委員会委員長 池田 知久
「日本中国学会会則」は、平成11年4月に現会則が実施されて以来、5年半の歳月が流れました。
本委員会は、「委員会規約」の「委員会の任務」の中に、「新会則施行後、問題点の検討」という規定があるのに本づいて、この5年半の間、日本中国学会を公平、円滑、合理的に運営していく上で、問題となる点が現会則に含まれているか否かを検討してきました。
そして、本則中の3点ないし4点の問題点を取り上げて、慎重に検討を重ねてきましたが、その結果、これらは改正する必要があるという結論を得るに至りました。改正案の条文や解説・経緯については、すでに「日本中国学会便り」に何度か掲載されているとおりですが、改めてここに改正案を再録いたします。
また、本則の条文ではなく、施行細則(選挙規約、評議員会・監事会規約、委員会規約など)の項目ではありますが、以上の本則の改正と連動して、本委員会で検討を重ねました。そして、いくつかの項目について、やはり可能な限り早く改正の方向に向かって歩み出すべきであるという結論を得ました。これらの施行細則上の諸項目の改正は、評議員会・理事会マターであって「全会員の投票」マターではありませんが、会員のみなさんのご理解が不可欠と考えて、参考までにその改正案や提案を掲載いたします。
このたび、本委員会は各メンバーが分担執筆して、以上の「日本中国学会会則」本則と施行細則の改正案・提案について、その内容や意義を会員のみなさんにご理解いただくために、以下のような解説を用意いたしました。
お読みいただいて、「全会員の投票」の判断材料としていただければ幸甚です。
会則第4条 「外国人留学生会員」の廃止について
現行会則の「外国人留学生会員」という会員の規定は、外国からの留学生に対して、会費を年間2000円安くするという経済的な特典として設けられたようであるが、しかし、現行会則では、この特典を与える反面、「外国人留学生会員」からは役員選挙の選挙権および被選挙権を奪ってしまっている。
現代社会において、外国人の考え方は実際さまざまであろうが、1年につき2000円のお金を安くしてもらうよりも、選挙権と被選挙権を行使するとか、日本人と平等の権利を持つとかを当然と考え、これらに喜びを感ずる「外国人留学生」の方が多いのではなかろうか。
以前は、外国からの留学生に対して、会費については、もっぱら経済面のみから考えて、「通常会員」よりも安価に設定しても異論を挟む者はいなかったかもしれない。しかし、近年の諸外国、例えば中国の経済発展には目を見張るものがり、中国人民も経済的にずいぶん豊かになったように思われる。
日本人の大学院学生だって、貧しい者はやはり貧しいのだ。留学生と日本人の大学院生との経済的困窮度は、すでに大差がなくなったと言えるかもしれない。
だから、外国からの留学生も日本の大学院生と同じように、「通常会員」として平等の立場に立った方がよいと思う。「外国人留学生」を特殊扱いして、権利や平等よりもまず経済的優遇をという考え方は、ここらでそろそろ清算すべきではなかろうか。
新しい会則によれば、会費は「通常会員」と同じく7000円になるわけであるから、2000円の上乗せは確かに痛いと思う。しかし、その代わり、役員に対する選挙権と被選挙権を有することになり、この点で「通常会員」と平等になる。これが学会というものの本来の姿であって、お金には代えられないことではなかろうか。やはり、現行会則は変えた方がよいと思う。
会則第10条第3項 理事の定数について
現行会則は平成11年より施行された。その第10条第3項は「理事 若干名(ただし10名を越えない)」となっている。これについて新会則は( )内を削除し、「理事 若干名」と変更することにした。本学会における最高議決機関は評議員会であり、理事会は執行機関として種々の会務をになっているが、現行会則で6本走っている各種委員会の主持をはじめ、対外的折衝その他、任務は多く、現在の理事10名では相当の負担過重状態になっている。しかも、今後いくつか新しい委員会が設置される可能性もあり、もはや理事10名では、にっちもさっちも行かなくなるであろうことが予測される。
そこで、必ずしも10名という数に縛られることなく、状況に柔軟に対応できるように現行会則から「(ただし10名を越えない)」を削り、一方、現行会則の趣旨を尊重して、「評議員会・理事会・監事会規約」において新たに「理事は当面10名程度とする」と規定することにした。
会則第10条第3項 評議員の増員理由について
会則第10条5「評議員」につき、現会則では「若干名」となっており、選挙規約では50名となっている。評議員の人数は選挙規約に関することなので、会則改正に際して全員投票の対象ではない。ただし、評議員会は最高議決機関なので、「若干名」という曖昧な表現は適切ではなく、会則において人数を明記することが望ましいと考えられる。また、現行の制度では会員数の少ない地区の評議員は減少傾向にあり、各地区の指導的立場の会員が選出されないこともあり、地方の地区の会員の要望を反映しにくいと考えられる。
そこで、評議員数を50名から60名に増員し、会則に明記することとしたい。増員の主要な理由は3つある。第1の理由は、会員数が2000名を超えており、増加した会員の意向をよりよく反映するためである。第2の理由は、地方の地区会員の意向を尊重するためである。第3の理由は、学会役員への女性の進出を促すためである。
会員が900名に近い関東地区や400名を超える近畿地区の会員数から考えれば、両地区から選出される評議員が全体の過半数を占めるのは当然と言えば当然のことながら、旧制度に比して現制度では、地方の地区から選出される評議員が減少傾向にある。旧制度下では地区ごとに研究拠点大学を中心に指導的立場にある会員が地区の実情を反映して選出されていたと考えられるが、現制度では全国区化した影響もあり、地区によっては評議員が半減した所もある。過度な中央集中は地方の軽視を招きかねない。
出来る限り地方の地区の実情を反映するために、現制度では「各地区の会員2名を含むこと」となっているのを全7地区ごとに1名程度増やすとすれば、実質的には地方5地区5名前後の増員となる。また、現制度では暫定的にしばらくの間、女性会員の中から上位得票者5名を加えることとなっているが、女性の学会進出を促し、恒常的に女性評議員を確保するために、従来通り評議員定数の1割、上位6名とするのが妥当であると考えられる。関東・近畿の中央区の評議員数を従来通り確保しつつ、地方区選出評議員や女性評議員を増やすには、現制度に比して10名の増員が必要である。
会則第12条第5項 評議員会と理事会との関係について
現行会則第12条第5項「評議員は評議員会を構成し、理事会による本会の運営について審議・決定する」については、この会則に沿う平成11年からの理事会運営において、困難な事態を生じている。この条項によると、本学会の最高議決機関は評議員会であり、評議員会において審議・決定されるまでは理事会の審議事項はまったく有効ではないことになる。つまり理事会の審議だけでは、なにごとも実施に移せないのである。通常、評議員会は大会時に開催されるが、年一回の開催ではカレントに流れている会務にはとても対応できない。大会時以外に随時臨時評議員会を開催することも可能であるが、それはいわば机上論で、現実的には事務的、とりわけ経済的に(つまり評議員の人数と旅費の関係から)、大会時以外に評議員会を開催するのはきわめて困難である。
そうした次第で、現理事会はいまのところ現行会則にとっては変則的な、評議員会との話し合いによる会務委任という形で運営しているが、これはいわば水かきのないアヒル状態である。したがってこの変則はきちんと整理し、会則で規定しておくことが、本会運営において喫緊のことといえる。そこで新会則では、「評議員は評議員会を構成し、理事会による本会の運営について審議・決定・委任する」と、「・委任」の文言を加えることにした。
会則第17条 会則の変更について
テレビ番組の死命を制するのは視聴率だといわれている。なぜならこれによってテレビ局に入る広告料が左右されるからである。視聴率とは、あるテレビ番組がどのくらい家庭で見られているかを示す数字。もちろん日本中の全家庭を調べるのは不可能なので、サンプルを抽出する。関東や関西ではそれぞれ600、それから全体の視聴率を割り出すのだという。わずかに600であることにわれわれ素人は驚くが、営利をなによりも優先する大企業が、ある程度の誤差の存在を認めたうえで巨額の広告料を出すのだから、統計的にその信頼性は高いのであろう。
さてここで言わんとすることはお察しの通り。「学会会則」の第17条の「会則変更」について、現会則では「評議員会の議を経て通常会員・外国人留学生会員及び国外会員の全会員の投票による」であるが、これを「理事会の議を経て、評議員会において全評議員の3分の2以上の賛成をもって決定する」に改めるというのが、本委員会の改正案である。
現在の会員数約2000人の総意を投票によって問うことはもちろん可能であろう。しかし、実際に施行するとなると、やはり多くの時間・労力・費用を必要とする。改革案の賛否を問う投票用紙、返信用の封筒の作成、また投票後の集計作業等々。費用としては郵送費(1通80円ないし90円)に加えて、改革案の文書等の封入・発送作業、その後の開票作業にも必要となる。
ところで現「評議員会規約」によれば、評議員会は本会の最高議決機関であり、全会員の投票によって選出された50人で構成される評議員会は、確実に全会員の総意を反映するものだといえよう。会則変更は当然慎重を期すべきものであるが、改正案は「全評議員の3分の2以上」という高いハードルを設けており、安易に会則変更ができない仕組みである。
めまぐるしく変貌する社会の中で、学術世界も無縁ではあり得なくなった。10年前に今日のインターネット世界を想像することができた人は極めて少ないであろう。会則の改正を含めた学会の運営は、情況の変化に応じて必要な改革が速やかにできるような仕組みになっていることが望ましいのであるまいか。第17条に変更を求めるゆえんである。
選挙規約第1条第1項 評議員数
~男女共同参画社会の実現に向けて
男女雇用機会均等法も施行され、男女共同参画社会の実現に向け様々な分野で多くの試みが行われてきている。本学会も、すでに現行の選挙規約中に「女性の評議員会参加を促進するため、今後しばらくの間女性会員最高得票者から第5位得票者まで5名を評議員に加える」という文言を持ち、こうした社会の要請に応えてきた。
今回の会則改定案においてもこの精神をふまえ、評議員数の改定にともない、「第5位得票者まで5名」を「第6位得票者まで6名」と、現行規定と同様の割合になるよう提案している。
本学会員の中には活躍されている女性会員が多く、すでに大家としての評価を得ている方々から、中堅・若手の先生方まで、すぐに多くのお名前を思い浮かべることができる。しかし、理事・評議員および各委員会委員に占める女性会員の割合は決して高いものとはいえない。
文部科学省では自ら審議会などにおける女性委員の登用について、「平成15年度末までのできるだけ早い時期に30%を達成する」という目標をかかげ、すでに実現しており、本学会もそのおよそ20%が女性会員であることからすれば、より高い比率での参加、例えば少なくとも15%の「第9位得票者まで9名」とすべきかもしれない。
80年代90年代の激変を経た中国・韓国などに比べ、日本は幸か不幸か、大きな変動を免れて今日に至っている。世界情勢の大きな変化にもかかわらず、明確な対応を取ることもできず、従来の体制から脱する力もないままに、まるで脱皮しそこねた昆虫よろしく、座して最悪の結果を待っているかのように見える。今日の日本社会にはある種の停滞ともいえる状況が生み出されてしまった。こうした閉塞状況を打開するためにも、これまで活用されてこなかった力が必要であろう。
活用されてこなかった最大の力が女性の力である。今日の日本社会では、性別を問わず力の結集が必要であり、これまで女性の力が活用されてこなかったという現状認識にたてば、より多くの女性に様々な場面で活躍してもらう体制を作っていくことが当然の流れであろう。
一般企業の場合には、企業の上層部が女性管理職の割合の向上を図っても、ポストには経済的な利得がからむため、ライバルとなる男性社員からの反発もあり、なかなか現場に徹底することが難しいそうであるが、本学会の役職の場合は、むしろ苦役のようなもので、学会全体のためにと犠牲的精神を発揮して下さる先生方にお務めいただいている。あまり女性会員にばかりその負担を増やすと、逆に女性会員から怨嗟の声が上がらぬとも限らない。よって、将来的には女性評議員の割合を、文部科学省の審議会におけるガイドラインの30%や本学会の女性会員比率の20%まで引き上げる必要が生じる可能性もあろうが、今回はこれまで同様の割合(10%)を提案している。しかし、それよりも若干高い比率、例えば15%の「第9位得票者まで9名」などとすることも不合理ではないと考えられる。
理想的には、より女性の社会進出が進み、この規定自体が無意味になり、規定がなくとも、女性も男性もどちらでもない人も、会員全体が無理なく協働してしていける時代が到来することを切に望んでやまない。
2委員会の新設に伴う委員会規約の改正について〔提案〕
日本中国学会会則改正案の細則たる委員会規約として、従来の6委員会に加えて(6)データベース管理員会と(7)ホームページ委員会の2委員会を新たに設置する旨の提案を行いたい。
委員会規約第6条 データベース管理委員会
(目的)
1.データベースの作成と公開
本学会には『日本中国学会報』として第一集から第五十五集に到る厖大な研究論文が蓄積されているが、バックナンバーの中には現在入手困難なものも多々ある。この貴重な学術資源を有効活用するために、デジタル化(テキストファイルまたは画像ファイル)した上で本学会公式ホームページ上で公開するとともに、CD‐ROMあるいはDVDに保存して希望者に有償で提供する。なお、自前のサーバー(国立情報学研究所サーバー)上で公開するのは技術的にも労力的にも困難であるので、学術著作権協会や日本複写権センター等の専門機関に委託することも考慮にいれて検討していただきたい。
日本中国学会の歩みを記録したデジタルアーカイブスとして、『日本中国学会五十年史』、歴代「日本中国学会会員名簿」(会員名と所属)、「学会発表要旨」(英文・中国語アブストラクトも含む)、学会発表資料(デジタル画像ファイル)、日本中国学会記念写真(デジタル画像ファイル)、各種委員会報告、学会公式ホームページの歴代更新版、等を保存蓄積することが考えられる。
2.データベースの管理
デジタルデータベースの管理ならびに既存の文書データ(『日本中国学会報』バックナンバー)の選択的保存と整理を行うことが考えられる。
(具体的作業)
(1)デジタル化費用の見積もりと専門業者の選定
(2)デジタル化の方法(テキストファイルか画像ファイルか)の検討
(3)データベースの頒布方法(有償と無償)の検討
(4)学会公式ホームページ上への公開方法の検討
(5)デジタル化作業のワーキンググループの設置
(6)論文著作権に関わる法律的問題点の検討
委員会規約第7条 ホームページ管理委員会
(目的)
すでに本学会には公式ホームページが開設され、会長挨拶、学会の紹介、大会の案内、『日本中国学会報』諸論文の目録掲載、『日本中国学会会報』、会則、役員及び各種委員名簿、研究会(中唐文学会・中国古典小説研究会・宋代史研究会)の紹介と案内、リンク(現在は道教学会のみ)、事務局からの案内、等のコンテンツが掲載されており、『日本中国学会報』だけが唯一の情報源であった時代から較べると格段に情報公開が進んだ結果、学会会員は大きな便宜を受けることができるようになっている。
しかしながら他の学術団体、たとえば日本印度学仏教学会の公式ホームページと較べてみるならば、学会の活動内容紹介の点ではるかに見劣りがするのも事実である。この歴然たる差は、印度学仏教学会が学会員のみならず広く社会全体に向けて情報とメッセージを発信しようと企図している姿勢にあるように思われる。また日本社会学会の公式ホームページを覗いてみるならば、社会学文献情報データベースが公開されている上に、じつに豊富なリンク集が提供されており、研究者にとって実際の研究に役立つホームページとして有効に機能しているように見受けられる。
また日本地理学会ホームページのように、「教員・研究員公募」の最新情報を掲載している学会公式ホームページが相当数存在するという事実は、学会員の所属学会に対する要望の一端を如実に示しているように思える。より切実な点を挙げれば、リアルタイムで学会の最新情報を取得しようとしたり、住所や所属の変更を学会にHP上で通知しようとしても、残念ながら本学会のホームページでは間に合わないないのが現状である。
さらに付言するならば、シノロジーの世界的潮流として学術論文は英語あるいは中国語で発表することがこれから一般的なスタイルになると予想される。そのような状況の中で、依然として井底の蛙よろしく日本語のみで情報発信している限り、日本のシノロジーは世界から大きく立ち後れることになるであろう。今後『日本中国学会報』の英語版や中国語版を世界に向けて情報発信することまで視野に入れたホームページ作りを構想する必要があるのではないか。
もちろん、日本中国学会のホームページが以上述べたような役割と機能すべてを早急に果たすべきであると主張しているのではない。ただ、学術界をも巻き込んで急速に進行しつつあるグローバリゼーションの潮流と、学会組織というものが社会の外側に超然として存在することが困難になりつつある今日的状況の中で、日本中国学会の公式ホームページは一体いかにあるべきか、そのグランドデザインを本委員会で十分討議していただくのがよいと考えられる。
(具体的作業)
(1)現在のホームページの改良と充実
(2)電子メールによる照会問い合わせ窓口の設置とその対応方法の検討
(3)外国人の利用に耐えるだけの英語版、中国語版(簡体字・繁体字)の充実
(4)実際的研究に役立つリンク集の充実
(5)HP更新のためのワーキンググループの設置
(6)学会公式HP維持費用の算出と予算化
2004年10月9日
日本中国学会会則改正案(第3次案)
改正案
第1条 (名称) 本会は日本中国学会と称する。
第2条 (目的) 本会は中国に関する学術の研究と普及および会員相互の親睦を図ることを目的とする。
第3条 (事業) 本会はその目的を達するために次の事業を行う。
1.毎年1回学術大会の開催
2.学会機関誌およびその他刊行物の発行
3.海外の学術団体との交流
4.会員の研究に対する援助
5.斯学の啓蒙と普及
6.その他必要な事項
第4条 (会員の名称) 本会の会員は次の6種とする。
1.通常会員
普通会員と特別会員とがある。特別会員とは会員歴30年以上で前年度内において満80歳に達したもの。
2.賛助会員
*
3.国外会員
4.客員会員
5.準会員
第5条 (会員の定義)
1.通常会員は斯学を攻究するものとする。
2.賛助会員は斯学を賛助するものとする。
*
3.国外会員は外国に定住して斯学を攻究するものとする。ただし一時的な在住の場合は含まない。
4.客員会員は本会が招聘する、学術上の功績が顕著なものとする。
5.準会員は斯学に関係ある大学・研究機関とする。
第6条 (入会等)
1.客員会員を除き会員の入会は通常会員または国外会員1名の紹介により理事会において審議・決定し、評議員会の承認を得る。
2.客員会員の推薦については別に定める。
第7条 (経費) 本会の経費は会費・寄付金およびその他の収入をこれに充てる。
第8条 (会費)
1.会員は下記会費を年度始めに納入するものとする。
2.ただし顧問・客員会員および特別会員はこれを免除する。
通常会員
普通会員 7,000円
賛助会員 1口(10,000円)以上
国外会員 7,000円
準会員 7,000円
第9条 (会員の権利)
1.通常会員・国外会員は本会定期刊行物の頒布を受け、大会等に出席することができる。また学会機関誌および大会等において研究を発表することができる。
2.賛助会員・準会員は本会定期刊行物の頒布を受けることができる。
3.客員会員は本会定期刊行物の寄贈を受ける。
第10条 (役員) 本会は次の役員を置く。
1.理 事 長 1名
2.副理事長 2名
3.理 事 若干名
*
4.監 事 若干名
5.評 議 員 60名
6.顧 問 若干名
7.幹 事 若干名
8.各種委員会委員 若干名
第11条 (役員の選出・委嘱)
1.評議員は通常会員の互選による。
2.理事長は評議員の互選による。
3.副理事長および理事は評議員の中から理事長が委嘱し、評議員会の承認を得る。
4.監事は理事長および理事を除く評議員の互選による。
5.顧問は評議員会の定めるところにより評議員会が推薦する。
6.幹事および各種委員会委員は理事長の委嘱による。
第12条 (役員の職掌)
1.理事長は本会を代表して理事会を組織し会務を統べる。
2.副理事長は理事長を補佐し、理事長に事故ある時は副理事長がその任を代行する。
3.理事は理事長の委嘱を受けて理事会を構成し、会務を掌る。
4.監事は監事会を構成し、経理を監査する。ただし、監事会については別に定める。
5.評議員は評議員会を構成し、理事会による本会の運営について審議・決定・委任する。ただし、評議員会については別に定める。
6.顧問は随時理事長の諮問に応ずる。
7.幹事は会務を処理する。
8.各種委員会委員は会員に限られ、理事会の委嘱を受けて各種委員会を構成し、会務を立案執行する。ただし、委員会および委員については別に定める。
第13条 (役員の任期)
1.役員(顧問を除く)の任期は二年とし重任することができる。
2.ただし、理事長は連続三任はできない。
3.役員(顧問を除く)は満70歳を超えて在任できない。
4.ただし、年度の途中で満70歳に達した役員は当該年度末日まで在任するものとする。
5.顧問の任期は終身とする。
第14条 (会計年度) 本会の会計年度は毎年4月に始まり翌年3月に終わる。
第15条 (臨時評議員会の開催)全通常会員数の100分の5以上が評議員会開催を要求した場合、理事長は随時評議員会を開催しなければならない。
第16条 (会員総会) 理事会は会員総会を年に一回開催して会員に会務を報告すると共に、会員の自由な提案を受けなければならない。
第17条 (会則変更) 本会則の変更は理事会の議を経て、評議員会において全評議員の3分の2以上の賛成をもって決定する。
[付則]
1.本会は事務所を当分の間、東京都文京区湯島1丁目4番25号斯文会館に置く。
2.本会則は昭和24年10月22日より施行する。
昭和34年10月11日改正
ただし、第13条但し書きは昭和34年選出の理事より適用される。
昭和36年10月1日改正
昭和37年10月28日改正
昭和39年12月6日改正
昭和41年10月30日改正
昭和42年10月8日改正
昭和45年10月10日改正
昭和50年10月6日改正
昭和51年10月11日改正
昭和53年10月14日改正
昭和58年4月1日改正
昭和63年10月9日改正
ただし、第13条第3項の定年規定は平成元年4月1日より適用される。
この第3項の施行に伴う経過措置は別に定める。
平成2年10月20日改正
平成7年10月7日改正
平成10年10月10日改正
平成11年4月1日までの移行措置は別に定める。
平成17年4月1日改正(予定)
平成16年度学会員動向
●本年度『学会便り』第一号発行以来、12月1日現在の物故会員は以下の通りです。(五十音順 敬称略)
荒木 修 岡田 武彦 小尾 郊一
久須本弘煕 國金 海二 黒川 洋一
近藤 子州 阪口 直樹 平岡 禎吉
福島 中郎 松田 和夫 山脇 謙吉
●退会会員
○退会申し出会員 計27名
新井 晋司 石山 曙生 井口 晃
岡田 幸一 繰井 潔 孔 令敬
荘司 格一 高橋 秀治 土屋 隆史
都留 春雄 豊島 睦 中川 嘉彦
長原美菜子 梛川 浩男 橋本 栄治
羽床 正範 尾藤 正英 古川 徹
本多 浄道 正木佐枝子 松島 隆裕
松田 稔 三澤 勝己 御手洗 勝
諸井 耕二 吉田 仁祉 渡辺 浩司
○四年会費未納による退会会員 計29名
●住所不明会員
石田 博 伊藤 美晴 林 泰弘
岩見 輝彦 岡本 慎弥 奥村佳代子
笠井 幸博 金川 朋絵 川島さおり
川出 深雪 菊森 大治 金 敬雄
工藤 明美 高 秀華 小寺 春水
小林 和良 佐伯 真也 周 先民
辛 夏寧 薛 羅軍 杜 栄
長村 美慧 野崎 元華 馬場 公彦
馬場 久佳 樋口 泰裕 馮 曰珍
堀田 洋子 松下 愛理 翠川 信人
林 松涛 若松 信爾
※上記会員の連絡先をご存知の方は、お手数ですが事務局までご一報ください。
『日本中国学会報』には毎冊、文献目録が載せられています。これは担当校の尽力によって可能な限り広く収集しているものですが、出版物が増加する一方の昨今、捜求はいよいよ困難になっています。執筆された御本人からのお知らせをお願いするゆえんです。
次号第57集(2005年10月刊行予定)には、2004年度(平成16年)の文献目録を掲載します。2004年1月~12月に刊行された著書・雑誌論文等をお知らせ願います。
なお今回から郵便による御報告は廃止することになりましたので、E‐mailでのみお知らせください。
論文も書物も一篇、一冊ごとに、部門・分野をご記入のうえ、以下にお送りください。
〔哲学部門〕takeuchi@lit.nagoya‐u.ac.jp
〒464―8601 名古屋市千種区不老町
名古屋大学文学部 竹内研究室
〔文学部門〕kadowaki@ic.daito.ac.jp
〒175―8571 東京都板橋区高島平1―9―1
大東文化大学文学部 門脇研究室
〔語学部門〕shirata@bun.kyoto‐u.ac.jp
〒606―8501 京都市左京区吉田本町
京都大学文学部 平田研究所
各部門の分類は以下のとおりです。
○哲学部門 一、総記
二、先秦
三、秦・漢
四、魏・晋・南北朝
五、隋・唐・五代
六、宋・元
七、明・清
八、近・現代
九、朝鮮
十、日本
十一、書誌
十二、その他○文学部門 一、総記
二、先秦
三、漢・魏・晋・南北朝
四、隋・唐・五代
五、宋
六、金・元・明
七、清
八、近・現代
九、民間文学・習俗
十、日本漢文学
十一、比較文学
十二、書誌○語学部門 一、総記
二、文字
三、音韻
四、語彙
五、語法
六、方言
七、教育・学習
(教科書は今回より含みません)
○国内発行の刊行物に限ります(発表言語の種類は問いません)