日本中國學會

The Sinological Society of Japan

『日本中国学会便り』2002年第2号

2002年(平成14年)12月20日発行

事務局からのお知らせ
日本シノロジーの位置
理事長 興 膳宏
200 回を通過した中国文芸座談会
竹村 則行(九州大学)
魯迅と「二十四孝」
梁 音(名古屋大学大学院生)
論文審査委員会
合山 究
大会委員会
丸尾 常喜
研究推進・国際交流委員会
筧 文生
来計画特別委員会
池田 知久
出版委員会からの報告
川合 康三
選挙管理委員会業務報告
選挙管理委員会 福井 文雅
ISO/IEC JTC1/SC2/WG2/IRG 第19回国際会議報告
研究推進・国際交流委員会委員 松岡 榮志(東京学芸大学)
日本学術会議に関する報告
興膳 宏


事務局からのお知らせ

彙報

10月12日の総会における報告事項及び議決事項は次の通り。

[報告事項]

  1. 平成15・16年度役員選挙結果について
  2. 平成15・16年度理事長として興膳宏現理事長が再任。
    (役員一覧は23頁参照)
  3. 平成14年度日本中国学会賞は、内山直樹「漢代における序文の体例――『説文解字』敍「敍曰」の解釈を中心に」宮紀子「モンゴル朝廷と『三国志』」(ともに『学会報』第53集掲載)に決定いたしました。

[議決事項]

  1. 平成13年度決算及び平成14年度予算案承認。
  2. 平成14年度事業計画承認。
  3. 次年度の大会開催校は、筑波大学(平成15年10月4日5日)に決定。

◎会費納入について

会費未納の方は、至急ご送金願います。なお、数年にわたった未納の方は特にご注意願います。4年間滞納されますと、除名になります。
郵便振替口座:00160―9―89927

◎『学会報』送付停止について

平成13年度会費未納の方には『学会報』を送付いたしません。会費納入が確認され次第、送付いたします。また、納入の際には、振替用紙通信欄に未送付の『学会報』号数をご記入下さい。それによって発送いたします。

◎住所変更について

住所・所属機関等の変更は亟やかにご通知下さい。通知は書面もしくはFAX にてお願いいたします。電話及び会費振替用紙でのお届けはご遠慮ください。


日本シノロジーの位置

理事長 興 膳宏

フランスの中国学者の友人と話していると、最近は若い世代の中国学者で日本語のできる人が少なくなった、という話をよく聞く。フランス人の中国学者なら、中国語さえできたらよさそうに思えるが、実はそうではない。いや、そうではなかった、というのが正確だろうか。
フランスの大学で中国学を専攻する学生、ことに将来の研究者を目ざす学生は、以前は中国語とともに必ず日本語を履修するのが長い習わしになっていた。
というのも、中国を研究するためには、日本の中国学者の著書や研究論文に目を通す必要があったからだ。これは、何もフランスに限ったことではなく、ヨーロッパやアメリカのシノロジーすべてに共通していえることだった。ただ、ここでは私が比較的よく知っているフランスを例にしていっているにすぎない。それだけ日本の中国研究の水準が高かったことを暗示する事実でもある。
だから、私より少し上の世代に属するフランス人中国学者は、ほとんどすべてといってよいほど日本語がよくできる。また、若いころ日本の大学や研究所で研鑽を積んだ学者も少なくない。彼らが研鑽の場を日本に求めたのは、日本の学者のすぐれた成果から学びたいという積極的な動機とともに、新中国の成立以来、いわゆる西側諸国と中国との間に国交のない状態が長くつづいていて、中国に留学したくてもできないという消極的な理由もあったはずだ。
フランスが他の西側諸国に先駆けて中国を承認したのは、ド・ゴール時代の一九六四年一月のことである。中国研究者の中には、それ以後にフランス語の教師として中国に長期滞在した経験を持つ人もある。しかし、それから二年後には、以後十年間にも及ぶ文化大革命の嵐が吹き荒れたことから想像できるように、外国人の専門研究者が自由に自分の研究に専念できるような雰囲気は、まだ中国社会になかった。その意味では、日本の中国研究者が中国本土に留学できなかったのと、条件的にはほとんど同じだった。
中国が広く西側諸国からの留学生を受け入れるようになったのは、八〇年代になってからである。
日本も当然その中に含まれている。人数はもちろん日本人ほど多くはないが、フランスでシノロジーを志す若者たちも、堰を切ったように中国に留学するようになった。現在四十代以下の中国学者で、中国留学経験のない人は皆無といってもよかろう。同時に、それは皮肉にも彼らの目を日本や日本語からそむけさせる機縁にもなった。
フランス人にとって、ヨーロッパの言語とまったく体系を異にする中国語と日本語を同時に学ぶのは、確かにたいへんな負担である。それも、東アジアの言語という共通性があるだけで、実はすっかり性質のちがう二種の言語をともに習得するには、よほどの努力と時間が必要である。だから、直接の研究対象である中国の言語をマスターすれば、それでよしとする傾向も当然強くなるだろう。
私の知る若い世代の学者で、中国語・日本語の双方に通じる人はもちろんいる。だが、彼らはいかんせんもはや少数派なのである。
もう一つ、中国学者の間で日本語が敬遠される遠因として、日本の専門書の高価なことがある。
高すぎて個人で買えないだけではない。図書購入の予算にゆとりのないフランスの大学や研究機関では、日本で出版された書物を買い控える傾向がある。以前、パリの中国研究所図書館の書庫を見せてもらったが、収蔵されている日本の専門書は概して古いものが多く、最新の日本中国学の研究成果が利用できるような体制にはなっていない。
その点では、おそらく財力の豊かなアメリカの主要な大学・研究機関の場合とはかなり大きな開きがあるかと想像する。
それに対して、中国で刊行される書物は廉価で、しかも最近では種類も多い。少ない予算でできるだけ多くの専門書をそろえようとすれば、中国の書物が絶対多数を占めるようになるのも、自然の流れかもしれない。パリには二つの中国書専門店があるが、その店頭に並ぶのはヨーロッパやアメリカで出された中国関係の書と、中国や台湾の刊行物だけで、日本で出版された中国に関する書物はまず見られない。いくつかある日本の書店に、そうした専門書がまったく置かれていないことはいうまでもない。
ここまでは、日本語のできる中国学者がとみに減少しつつあるフランス側の事情である。そうした事情はあるにしても、わが方としては、やはり内に省みるべきことがあるだろう。日本の中国研究は、単にフランスといわず、かつてのように世界に向けて発信し、世界中の中国学者を惹きつけるだけの力量と魅力を失ったのかという疑問である。中国研究の領域が急速に拡大と細分に向かいつつある状況に鑑みれば、それは簡単に答えられることではないかもしれない。だが、またそれだけに、これからの日本の中国学が、過去の名声だけで優越性を誇れるようなものではないことも事実である。
青木正児は、かつて「支那文学研究に於ける邦人の立場」(一九三七年)という文章で、「或る一国の文学を研究する上に、外国人が本国人に対して劣等感を抱かしめられるのは已むを得ぬ所である」とした上で、外国人研究者が本国人研究者に対して優越するためには、新しい研究方法と未開の分野を拓くことが必要であると主張した。この問題提起の重要性は、現在でも基本的に変わっていない。日本人学者の研究成果が中国の学界で注目を浴びる機会は、確かに従来よりずっと多くなっていることは事実であるにしても、青木の提言の意義はいま改めて深刻に省みられるべきであろう。
もう一言つけ加えるなら、フランスの中国学者が日本離れをしている以上に、日本の中国学者はフランス・シノロジーの状況に疎い。その近来の成果に関しては、フランソワ・マルタン「近十年のフランスにおける中国文学研究の発展」(『中国文学報』57・58。原文は『日仏東洋学会通信』23・24/25)などを参照されたいが、注目すべき業績は決して少なくない。おそらく他の欧米諸国の中国研究についても事情は同様であろう。さらにいえば、非中国語圏における中国研究の成果に、日本の中国学者の大多数は不案内のままということだろう。それが我々の優越意識の裏返しでないことを祈るのみである。


200 回を通過した中国文芸座談会

竹村 則行(九州大学)

九州大学中国文学会が主催する中国文芸座談会が、2002年9月の例会で200回を数えた。今日、どの大学等でも研究会等が頻繁に開かれており、中には更に長い歴史と栄光を誇る会もあるが、今回、記念小文の報告を許された機会に、些か会の歴史を振り返り、将来の展望を模索しようと思う。
他の同種の会の参考になれば幸いである。
さて、ここにいう中国文芸座談会は、昭和39(1964)年8月に開かれた第1回「第二次中国文芸座談会」以降、2002年に至る38年間にカウントされたものである(『日本中国学会報』18、国内学会消息)。「第一次」中国文芸座談会(九大中国文学研究会、代表目加田誠先生、昭和29-43年に『中国文芸座談会ノート』を17冊発行)については、『中国文学論集』創刊号(昭和45年)に寄せた目加田先生の序文に、「中国文芸座談会は、~今日まで、実に通算百十五回、ノートの方は、これも次第に停滞しがちになりながら、十七号を重ねた」とあるように、通算115回の研究会の実績があり、これを加算すれば、今日の200回は315回となる。この第一次中国文芸座談会については、その命名が毛沢東の文芸講話に由来することからも分かるように、当時の中国現代文学への深甚な関心のもとに熱心に研究発表会を重ねたものであることは、先の目加田序文がこれを証する。
これを発展的に継承した「第二次」中国文芸座談会は、昭和41年10月に九大中文へ赴任された岡村繁先生を中心にして、ほぼ隔月に一度開かれ、今日に至っている。主催団体名は九州大学中国文学会。研究誌として『中国文学論集』を昭和45(1970)~平成13(2002)年の32年に31号を発刊。
全国的な中国文学研究の趨勢を受けて、その内容も中国文学全般に亘る学問研究を中心とするものとなっている。小文が報告の対象とするのは、この「第二次」中国文芸座談会である。
さて、我々人間は常に個人として生まれるが、個人のままでは生きられず、必ず周囲の社会環境の影響を受ける。それは家庭であり、友人であり、学校であるが、特に研究者の道を進んだ場合、大学や研究会、学会等の影響は甚大である。以下には、報告者も38年間のうち31年の会員である九大の「第二次」中国文芸座談会の雰囲気等について、主観的ながら報告者の一見を述べる。
会はほぼ隔月に一度、土曜の午後に開かれる。
百名超の会員のうち、常時出席者は20数名ほど。
先の200回記念大会では50名を超えた(右写真)。
発表題は2~3題。卒論や修論の構想発表や学会間近の研究発表、また会員が論文や著書等を公刊した場合、特に発表をお願いする時もある。数十年も前は訪中報告等が珍しかったが、近年は院生の留学報告が多くなった。また、滞日中の訪問研究者や外国人教師に発表をお願いしたり、近年は中国人研究者の報告を拝聴する機会が増えたのは、日中国交回復30年の時代の趨勢であろう。
各人の発表は小一時間、質疑約半時間で、毎回午後の半日を費やす。発表テーマは発表者が自ら決め、質疑時間もたっぷりあるので、参会者ともにかなりの勉強になる。学会発表の時間枠が大幅に拡大した態である。広範且つ膨大な過去の蓄積の上に成り立つ中国学では、どのテーマであれ、雑博(雑駁)な知識(即ち雑学)が不可欠である。
それは時に中国文学に止まらず、西洋哲学や天文学、生物学等、何でもござれの雑学を要する。旧帝大に象徴される総合大学は、この点、総合という名の雑学性、雑種性に甚だ富む。どの大学(の中文)でも同様であろうが、研究室や研究会において教員や学生間で話される所謂耳学問(口学問)は、この総合学問の基礎を豊饒且つ強固ならしめる大切な要素である。長く雑多なテーマ研究の蓄積を有する我が中国文芸座談会は、この中国雑学、耳口学問に寄与するところ甚大である。
以下には中国文芸座談会の効用と問題について述べるが、全国の多くの研究会も同様であろう。
まず、研究発表という行為は、発表者が自ら調査し、構想した研究テーマを皆の前で公表し、質疑を受けることから成り立つ。発表者は自らの主観テーマを公表することによって、それが客観化される快感(又は苦痛?)を味わうし、参会者はそのテーマについて学的恩恵を受ける。そして、このような行為を繰り返し蓄積することによって、相互に研究者として認識し、広大な裾野を持つ中国文学世界がほの見えて来るのである。
歴史を有する研究会、学会の更なる効用は、歴史の流れの一部である自分を相対的に実感することである。中国文芸座談会は第一次14年、第二次38年を数える。この間、学部生は2~3年、院生は更に5~6年、教員は多く数十年の期間を、会の貴重な構成員としてリレー式に参加する。200回の大会に参加して痛感したことだが、中国文芸座談会は目加田先生がレールを敷き、岡村先生が機関車となってここまで驀進して来た。宮沢賢治の銀河鉄道よろしく、乗客は時に短期あり、時に長期あり、また人知れず静かに乗車したり、傍若無人の客ありで、まことに社会の縮図である。そして、時々の乗客が皆、時々の貴重な歴史の証人であることは、日本中国学会はじめ、全ての研究会等が同様であり、報告者を含め、我々は現在という時点での一通過者であるに過ぎない。
続いて、中国文芸座談会をめぐる種々の問題について述べる。まず、切実な問題として事務担当助手の削減がある。九大中文では、大学改組のしわ寄せとして、今年度から研究室助手の配置が中断しているが、日常の研究室業務を含めて、研究会の実施には多くの雑務処理が欠かせない。勢い、現教員、院生等の負担増となる。現在は静永助教授の献身的な協力によってかろうじて研究会が維持されているが、研究業務の健全な処理のためには、専担助手の存在は不可欠である。
次に、これに深く関連するが、コンビニ店に象徴される今日社会の便利、合理、実利の三リが学問研究の世界まで浸透した結果、長い歴史を有して解読に困難が伴う中国文学等の学問分野を若者が敬遠し、進学学生が漸減する傾向がある。
我が九大でも慢性的な症状に悩む。我が会が先に発刊した『わかりやすくおもしろい中国文学講義』(中国書店、02年5月)はせめてもの対策である。
解決の特効薬は急には見出し難いが、それでも中国文学研究を志す次の世代の若者に希望を託し、その面白さを存分に味わうことができる場として、中国文芸座談会は今後も必要である。
次の300回は新キャンパスで迎える。今後も銀河鉄道の乗客が更に増え、冨士の山頂はともかく、広大な中国文学の裾野の花畑を巡るトロッコ車が健全に営業を続けることを祈るばかりである。


魯迅と「二十四孝」

梁 音(名古屋大学大学院生)

『日本中国学会報』第五十三集に掲載された拙稿「二十四孝の孝―老〓子孝行説話の場合―」を見て、この論文を書いた経緯を思い起こしました。
論文は昨年の十月六日、福岡大学で行われた第五十三回大会で口頭発表した「二十四孝の孝―老〓子孝行説話を中心に―」に基づくものですが、正直に言って、二十四孝という名は、留学以前中国にいたころには、殆ど聞いたことがありませんでした。両親に尋ねたところ、文化大革命中に儒教の「流毒」として批判されていたとのことです。
一九二六年五月二十五日、かの魯迅は「二十四孝図説」(竹内好訳、筑摩書房版『魯迅文集』第二巻所収)なる短編を発表しています。その文頭には「何はともあれ私は八方手をつくして、最も暗い、暗い、暗い呪文を手に入れ、まず白話を反対し白話を妨害するすべての連中を呪いたい」とあり、その感情の激しさに驚くのですが、続いて「白話を妨害する連中の流す害毒は洪水猛獣どころではなく、非常に広大かつ長期にわたり、ほとんど全中国を化して麻胡とし、子供という子供をその餌食にしてしまう」として、子供の頃、彼が最初にもらった絵本「二十四孝図説」の感想を述べ始めます。
魯迅は子供の頃、「少しでも絵のある本」はことごとく禁止され、「人前で大っぴらに見ることができた」のは因果応報の因縁話を説く『文昌帝君陰文図説』や『玉歴鈔伝』だけでした。そこで「二十四孝図説」をもらったときは、絵があるので「うれしくてたまらなかった」のですが、そこで示されているあまりにも現実離れした「孝」の模範例を見て、子供ながらにそれが実現不可能であることを感じて、「子ども心に何となく孝子になりたいと考えていたそれまでの計画がご破産」になりました。
中でも「不可解、かつ反感さえ覚えた」のは老〓子でした。手に「揺丙」(古の鼓)を握り父母の前に横たわる老人を描いた「老〓、親を娯ます」図を見た時、魯迅はその不自然さに「子どもへの侮辱」を感じたといいます。さらに嬰児の鳴き声を発するため「詐り跌き」とあるのも、「児童心理」に矛盾するものでした。不審に思った魯迅は師覚授の『孝子伝』にあたり、それが「今説よりいくらか人間的」であることを確認し、テキストの変遷の裏に「不人情を道徳と思い込むことによって古人を傷つけ、あわせて後人をたぶらかす」「道学者先生」のにおいをかぎつけました。
つまり、彼は複数の孝子伝を比較し、その「孝」の内容を分析するという、ちょうど私が今回の論文で試みたのと同様のことを行おうとしていたのです。
ただし、もしこの掌編のなかに、不自然不人情で荒唐無稽な二十四孝への批判のみを読みとるならば、魯迅にこれを書かしめた問題の本質を見誤ることになります。一九二六年は、魯迅の身辺が大きく変動した年でした。この文章は、前年の「北京女子師範大学事件」をきっかけに学校側に立った陳西ら『現代評論』派との論戦の一環をなすもので、冒頭の「白話を反対し白話を妨害するすべての連中を呪いたい」という言葉もそうした文脈で理解されるべきでしょう。孝子伝を改悪して民衆に旧弊な「茶番」を推奨する「道学者先生」と、「口語に対して危害を加えるやから」とは、魯迅の中で重なっていました。
三月十八日には、魯迅が「民国以来もっとも暗黒なる日」(『花なき薔薇の二』)と言った三・一八事件が発生し、女師大の学生劉和珍が殺されたことを受けて、四月一日に「劉和珍君を記念する」を書いた後、五月十日に「二十四孝図説」は書かれました。立間祥介氏によれば(学習研究社版『魯迅全集4』所収『朝花夕拾』解説)、三・一八事件のあと、魯迅自身にも危険が迫り、緊急避難のために病院を転々としていたようで、本作も「あちこち渡り歩いていた間の作」(『朝花夕拾』「小序」)なのです。即ち、魯迅の「二十四孝」批判は白話運動を背景とし、子供の天性に反する偽善に満ちた封建道徳の「孝」を批判したものであり、時に命がけの社会批判運動とも直結していたのです。魯迅は決して「孝」を全面的に否定するわけではなく、彼が求めていたのは人間の自然な感情の発露に基づく敬親敬老の行動にほかなりません。
その「詐り」の臭いを放つ表現により魯迅の批判の矛先に上がった老〓子の「孝行」の内実を明らかにすることこそ、今回の私のテーマでした。
名大の恩師である佐野公治先生と日本文学の立場から古孝子伝資料を精力的に研究されている仏教大の黒田彰先生に同行して、山東省は嘉祥県を訪ね、現存最古の孝子伝資料である武氏祠画像石を実見し二枚の老〓子図を確認しました。一枚は老〓子が立って両親に何かを行っている図、もう一枚は跪いた老〓子が両親に食事を差し上げている図です。両図とも礼儀正しい立ち居振る舞いの老〓子を描いており、老人が小児のまねをするという魯迅が嫌悪感を催した「詐り」の行動は見られません。
「二十四孝図説」と武氏祠画像石、この両者の描き表すものの大きな相違に興味を抱いた私は、歴代の老〓子孝行説話を調べてみました。すると二十四孝の諸テキストには老〓子の服装として「襴衣」という表現があり、「襴衣」は「深衣」と関連することがわかりました。また、中国では既に散逸し日本にのみ残された古孝子伝資料である陽明本『孝子伝』には、老〓子の服装の表現として「純素せず」という言葉があり、これは「深衣」の縁飾りに関連する言葉です。これらのことから、武氏祠画像石で描かれているのは、深衣を着て親に「燕礼」を行う老〓子の姿ではないかと考えたのです。
後から気づいて驚いたのですが、「二十四孝図説」を収録する『朝花夕拾』の「後記」において魯迅は、「漢代の人は宮殿や墓前の石室を、よく古来の帝王、孔子の弟子、烈士、孝子などの絵画や彫刻で飾った。無論宮殿は跡形もないが、石室は稀に残っている。その一番完全なものは山東省嘉祥県にある武氏の石室である。そこには老〓子の話も刻されていたように記憶するが、いま手許に拓本はなく、『金石萃編』もないので調べようがない。もしあれば、今日の絵と一千八百年前の絵を比較できて面白いのであるが」と記しているではありませんか。私が小論で試みたことは、まさに魯迅が八十年前に意図してなしえなかったことでした。当時もし、魯迅が武氏画像石の図版を手に入れていたならば、老〓子孝行説話に対する彼の考え方は、少しく異なるものになったでしょう。魯迅の考え方を通して、古典は単に過去の遺物として陳列研究される標本ではなく、読者を含めた現実社会の人間にとって、どう位置づけられ意味づけられるものであるかを真剣に考えねば、本当に古典を学んだことにはならないと気づきました。
最後になりましたが、孝子伝研究の先達として惜しみなくご教示を賜った下見隆雄先生と、平素から研究の細部に至りご指導をいただいている名大の竹内弘行・吉田純両先生にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。


論文審査委員会

合山 究

日本中国学会の本年度の学術大会(第54回)は、10月12、13の両日、青葉山下の東北大学川内北キャンパスで行われました。幸い好天気に恵まれ、参加者もはじめの予想をかなり上回りました。開会に際して、主催校代表の中嶋隆蔵氏が「研究発表の場としての原点に立ち返り、簡素にして厳粛な学術大会を目指す」という趣旨の挨拶をされましたが、その言葉通り充実した意義深い大会になったのではないかと思います。大会の準備に当たっては、発表者に前もって発表原稿を提出していただき、それを「予稿集」という冊子にして配付してくださいました。これらの従来にない煩雑な業務を担当して下さいました東北大学の関係者各位に厚く御礼申し上げます。
ただ、大会の成功とは全く関わりないことですが、東北大学では、教室使用料が今年から突然大幅に値上げされて、30万円あまりもかかったそうです。今のところまだ、すべての国立系大学の教室使用料が値上げされたというわけではないようですが、大学事情も移ろいやすい昨今のことゆえ、大会運営に影を落とすようなことがいつ起こらないともかぎりません。今後、開催校の事情によっては、予算面で柔軟な措置を取る必要が生じるかも知れません。
さて、明年度(平成15年)の第55回大会は、ご承知のこととは存じますが、下記の大学で行われます。
開催校筑波大学(向嶋成美代表)開催予定日2003年10月4日(土)5日(日)筑波大学では、昭和61年(1986)の第38回以来、17年ぶりの大会となりますが、来秋にもまたどうぞ奮ってご参加下さい。
なお、筑波大学の次の開催校も、準備の都合などのためにできるだけ早く選定する必要がありますが、今度の委員会で二松学舎大学にお願いすることとし、理事会に諮り、承認されました。最終決定は、明年10月に筑波大学で開かれる評議会で為されますが、開催予定校として一応お含み置き下さい。
それ以後の開催校につきましては、幸いにも今のところ、やってもよいとの意向を示されている学校が一、二ございますので、候補校が全くないわけではありません。ただ、大会委員会としては全ての大学の状況を存じ上げているわけではありませんので、人づてに情報を得たり、過去のデータを参照したりしながら、無理を承知でお願いしているような次第です。もし進んで大会開催を希望される学校がございましたら、遠慮なくお知らせいただければ幸甚に存じます。


大会委員会

丸尾 常喜

(1)「日本中国学会報」論文執筆要領の一部修正について
「日本中国学会報」論文執筆要領の4を一部修正しました。査読作の便宜のため、ワープロ使用の場合、用紙をA4版に限定し、書式に関する規定を定めました。『日本中国学会便り』本号に掲載してありますので、平成15年1月20日締切の第55集への投稿より改訂執筆要領に従ってください。

(2)「日本中国学会賞選定内規」の制定について
これまで学会賞に関する明文規定はなく、旧「学術専門委員会」の申し合わせによって運営されてきました。新会則では、学会賞受賞者の選定は論文審査委員会が行うとされましたので、あらかじめ評議
員による推薦を求め、これを参考にして選定することとしました。そのため、明文内規を10月11日開催の理事会にはかって決定し、同日の評議員会で了承されました。内規全文は下記のとおりです。学会規定では、論文審査委員会による選定後、「評議員会の審議と承認を必要とする」とありますが、評議員会及び表彰を行う大会の日程上この条項を守ることは不可能であるため、下記条文のように定めました。
但し、学会会則の若干の修正は、他の面でも必要となってきていますので、近いうちに改めてまとめて行うこととし、学会賞受賞者の選定については平成14年度から運用としてこの内規に従って行うことが、評議員会で承認されました。

【日本中国学会賞選定内規】

平成14年10月11日理事会決定

  1. 日本中国学会賞は、日本中国学会の会員である少壮研究者のおさめたすぐれた研究業績を顕彰し、その研究を奨励することによって、わが国における中国学の発展に資することを目的とする。
  2. 本賞は各年度の『日本中国学会報』に掲載された一般投稿論文の内、少壮研究者によって書かれた論文及びこれに関連する研究活動において
    示されたすぐれた業績に対して与えられる。
  3. 少壮研究者とは原則として40歳までの者とする。但し、これを若干上回っても研究歴においてほぼ同等と見なされる研究者もこれに含む。
  4. 受賞者は毎年原則として哲学・思想部門、文学・語学部門各1名とする。但し、該当者のないときは授与しない。
  5. 授与候補者の選定は、評議員による推薦をもとに、論文審査委員会が行ない、理事会によって決定する。その結果は理事長が評議員会に報告するものとする。
  6. 本内規の改廃は理事会の決議によって決定し、理事長が評議員会に報告するものとする。

(3)論文審査委員会平成14年度活動日程について

平成14年12月2日
平成14年度学会賞推薦アンケート発送(評議員)。
平成15年1月20日
『日本中国学会報』第55集投稿
締切/学会賞推薦アンケート回答締切。
平成15年1月26日
第2回委員会。査読者の決定(査読者3名は原則として評議員の中から依頼し、論文の内容によっては一般会員からも査読者になっていただきます)。
平成15年3月14日
査読報告締切。
平成15年3月23日第3回委員会。第55集掲載論文の決定/平成14年度学会賞受賞者候補者の選定/第56集依頼原稿執筆者の選定。
平成15年5月31日
掲載原稿(修正原稿)提出締切/依頼原稿提出締切。

研究推進・国際交流委員会

筧 文生

  1. 学会ホ-ムペ-ジの運用に関して
    昨秋、学会ホ-ムペ-ジの仮運用を開始したが、正式公開のためには技術的に困難な問題も多く、専門家の協力を得るためにワ-キンググル-プを発足させることとし、HP 担当の三枝裕美(名古屋外大)委員の他に、次の5名の会員に委員を委嘱した。
    池田巧(京大人文研)・内田慶市(関西大)・斎藤希史(国文学研究資料館)・千田大介(慶応義塾大)・二階堂善弘(茨城大)9月20日に開かれたWG の意見を踏まえ、また10月11日の理事会・評議員会での討議を経て、「日本中国学会報」掲載論文のネット公開に関しては、次のような結論を得た。

    1. 今後の掲載論文については、学会報の投稿規定に盛りこむ。
    2. 過去に掲載された分については、著作権に配慮しつつ、公開の方向で検討し、セキュリテイの問題については、すでに学会誌の公開を進めている情報学研究所等にも問い合わせながら進める。

    なお、国立国会図書館関西館から電子雑誌「日本中国学会報」を自動収集ソフトウエア(ロボット)により収集し、そのデ-タを保存し、その全部または一部を無償で関西館のサ-バ-上で利用提供することができるようにしたい旨の依頼があり、これを了承。

  2. その他
    1. 戸川芳郎副委員長が役員規定により今年3月で退任、松岡榮志委員をその後任に委嘱。
    2. 5月にマカオ、11月にハノイで開催されたIRG国際会議(情報技術に関する国際標準化機構と国際電気標準会議)に松岡榮志副委員長が出席。

以上


来計画特別委員会

池田 知久

2002年度第2回委員会議事要録

日時:2002年10月12日(土) 12:40~13:50
場所:東北大学川内北キャンパスA106教室
出席者:6名

委員長 池田知久(東京大学)
副委員長 堀池信夫(筑波大学)
委員 佐藤錬太郎(北海道大学)
委員 野間文史(広島大学)
委員 向嶋成美(筑波大学)
委員・幹事 久保田知敏(聖心女子大学)

欠席者:3名

委員 山口久和(大阪市立大学)
委員 渡部英喜(盛岡大学)
副理事 長大上正美(青山学院大学)

議題

報告事項

2002年10月11日の日本中国学会理事会の審議をふまえ、池田委員長から以下の報告がなされた。

  1. 前回の委員会での検討をふまえ、理事会に本委員会の活動計画を報告した。
  2. 会則の検討に関連し、総会や会報を通じて会員からの意見を募る方向になった。
  3. 事務局の問題については、人的な組織の問題は事務局本部で検討を進める。

審議事項

以下の各点について委員に諮り了承された。

  1. 議事要録の承認
    今年度第1回将来計画委員会議事要録案が提示され、承認された。
  2. 新会則の検討
    今年度は会則検討を第一の課題とする。そのための臨時の委員会を3月21日に持つ。次回委員会までに、委員全員が個別に会則全文を検討したものを書面にし、事前に幹事に提出する。さらに総会や会報を通じ全会員に会則の問題点について意見を求める。このためのメールアドレスを新たに開設する。
  3. 事務局問題
    事務局のありかたについては、人的な組織の問題などは事務局本部に一任する。
    今後は場所や在庫会報の処理などの問題に絞り検討する。

出版委員会からの報告

川合 康三

『日本中国学会報』第五十四集から「学界展望」は哲学・文学・語学の三部門すべてについて、従来の文献目録のほかに、かなり長文のコメントが加えられています。これは初期の学会報がそうであったように「展望」は文章化すべきだという興膳理事長の意向を受けて、担当校にお願いしたものです。単行本や論文の刊行も年々増大して従前とは桁違いの膨大な点数にのぼっていますので、それを収集するだけでも大変な仕事ですが、それに加えて担当校の代表者にはコメントの執筆という負担を強いることになりました。とてもその全体を鳥瞰して見通しをつけることなど不可能だと固辞される方もありましたが、出版委員会の立てた方針は、必ずしも全体の把握でなくてよい、或る一つの見方から気付いたことを書いていただければそれで十分だというものでした。担当者は二年ごとに交代しますから、その蓄積によって様々な視点からの展望が開けてくるのではないかと期待したのです。
「展望」には署名を入れてありますが、原稿の段階で出版委員全員が目を通し、意見を交換して必要があれば書き直していただくことにしました。それによって文責は出版委員会が負うことになります。これはあまりに偏狭な記述を避けるための方法とご理解ください。
このようにしてできあがった「学界展望」を改めて読んでみますと、自画自賛を承知で言えば、やはり文章化することによって目鼻がはっきりしてきたような、これまでとはひと味違う「展望」に変身したと思っていますが、いかがでしょうか。
目録の部分につきましても、時代ごとに区切った従来の分類のままでよいのか、研究の新しい趨勢が見落とされはしないか、さらに検討が必要です。より使いやすい目録になるように工夫を重ねていきたいと思いますので、ご意見をぜひお寄せください。
『会員便り』も誌面を一新しました。体裁だけでなく、内容も会員の方々が読みたくなるような、また読んで役に立つような、そうした記事を盛り込もうと目指しています。自薦他薦を問わず、こちらにもご意見や原稿をお寄せください。


選挙管理委員会業務報告

選挙管理委員会 福井 文雅

選挙管理委員会は以下の選挙について、下記の日程にしたがってその準備と実施を行った。

  1. 評議委員選挙
    平成14年6月9日(日)
    斯文会館にて発送業務を行った。
    平成14年7月7日(日)
    斯文会館にて開票を行った
    選挙結果は大会要項発送時に同封した。(本「大会便り」所載「平成15・16年度日本中国学会役員名簿」参照)
  2. 理事長選挙
    平成14年9月1日(日)
    斯文会館にて発送業務を行った。
    平成14年9月15日(日)
    斯文会館にて開票を行った。
    選挙の結果、興膳宏前理事長が再選された。
  3. 監事選挙
    平成14年10月11日(金)
    東北大学文学部で行われた評議員会席上にて投票を行い、開票した。選挙の結果、安藤信廣会員(主席監事)、竹村則行会員、佐藤保会員が
    選ばれた。

以上


ISO/IEC JTC1/SC2/WG2/IRG 第19回国際会議報告

研究推進・国際交流委員会委員 松岡 榮志(東京学芸大学)

  1. 世界中の文字や記号にコードを付し、コンピュータやインターネットでの利用に供するための“UCS(Universal Character Set)”である
    国際規格ISO/IEC 10646の第19回国際会議がマカオ特別行政区で開かれた。松岡は、日本国代表の一人として会議に参加し、“Extension B”に含まれる漢字42,711字の字形の最終チェック、“Extension C”の提案の審議を行った。さらに、今回はJapan National Bodyとして“International Basic Subsets of UCS”の提案を行ったが、松岡はその原案の作成に当たった。これは、松岡が主査を務める情報
    処理学会の学会試行標準WG5によってすでに試行標準(Trial Standard)として公表されている、IPSJ-TS 0005:2002, Basic Subsetof Coded Character Set(BUCS)を、国際規格化するための提案である。
  2. 日時:2002年5月6-10日
    場所:マカオ文化センター
    ホスト:マカオ特別行政区政府、マカオ大学、マカオ理工科大学
    参加者:10カ国・地域45名(中国、香港 HKSAR、台湾、韓国、北朝鮮、日本、ベトナム、マカオ、米国・ユニコード、スウエーデン)
  3. 主な議題とその結果
    a)“Extension B” ――42,711字を“Extension B”としてPlane2(0000-A6D6)に追加。
    b)“Extension C”――追加作業が開始された。次回の#20ハノイ会議(11月)までにチェック作業を行うことが確認された。
    c)International Basic Subsets of UCS――6月にダブリンで行われるWG2に提案されることとなった。その結果、NEEDS, SCOPE,CRITERIAを、12月に東京で開催される会議までにまとめて報告するよう指示が出された。
  4. ニュースと問題点
    a)文字集合の拡張(文字コードの追加)は、今しばらく続けられ、おそらく“Extension C”のlevel-2まで行くと思われる。現在は、level-1を行っているが、いたずらに異体字が増えるだけで、問題が少なくない。そうした巨大な文字集合を実際に使う場合の検索方式などは、まったく考えられていない。
    b)今回提案されたInternational Basic Subsets of UCS は、UCS のBMP(20,902字)とExtension A を合わせた、約27,500字の中からその機能度に応じて、
    level-1 教育用基本文字セット(3,000-5,000字)
    level-2 ビジネス用基本文字セット(7,000-8,000字)
    を選別しようというものである。
    詳しくは、http://www.itscj.ipsj.or.jp/ipsj-ts/02-05/ips_bsec/ts0005e.htmを参照。
  5. IRG の情報については、http://www.cse.cuhk.edu.hk/~irgを参照。
  6. (以上)
    2002.10.12


    日本学術会議に関する報告

    興膳 宏

    1 科学研究費補助金審査区分について

    2002年3月に開催された日本学術会議第一部の各研究連絡委員会において、科学研究費補助金の審査区分につき、若干の変更があったことが報告された
    人文社会科学系は、人文学と社会科学の2分野に分かたれ、うち人文学は哲学、文学、言語学、史学、人文地理学、文化人類学の6分科に分かたれる。哲学分科は、さらに哲学・倫理学、中国哲学、印度哲学・仏教学、宗教学、思想史、美学・美術史の6細目に分かたれる。また、文学分科は、日本文学、ヨーロッパ語系文学、各国文学・文学論の3細目に分かたれ、中国文学は各国文学・文学論細目に属する
    さらに、言語学分科は、言語学、日本語学、英語学、日本語教育、外国語教育の5細目に分かたれ、中国語学は言語学細目に属する。ただし、中国語教育は外国語教育細目に属することになる
    中国哲学に関しては、従来と同じく一つの細目として独立しているが、文学と語学に関しては大きな変化があった。すなわち昨年度は7細目に分割されていた文学分科が3細目にまとめられ、これまで一つの細目として独立していた中国語・中国文学のうち、中国文学のみが新たに設けられた各国文学・文学論細目に繰りこまれた。また、新しく言語学分科が設けられ、中国語学は中国文学から切り離されて、ここに属することになった。この変更は、平成15年度科学研究費補助金募集要項に反映されている
    日本中国学会からの科学研究費補助金審査委員候補者の推薦については、中国哲学については従来通り、中国文学については中国語学関係を除いて従来通りの数を推薦した。中国語学については、日本言語学会を窓口学会として、中国語学会から候補者が推薦されることになったため、本学会としては推薦権がなくなった。今後、同学会と連絡を保ちつつ、適正な候補の推薦を要請することにしたい

    2 日本学術会議の改革について

    首相を議長とする総合科学技術会議では、日本学術会議の今後の在り方について種々検討が行われている
    日本学術会議の中でもそれに対応して論議が行われており、同会議内に設けられた在り方委員会の「中間まとめ」では、会員数を現行の210人から大幅に増やして、2,500人程度とし、その中から互選により210人程度の運営・執行メンバーを選出することが考えられている。これは現在72万人といわれる科学者(研究者)の代表性という点から、現行の3,400人に1人の会員を選出する制度では、欧米諸国との間に格段の差があるため、それを約290人に1人の割で選出するようにするという考えによるものである
    他方、総合科学技術会議の「日本学術会議の在り方に関する専門調査会」が10月16日付けで出した「日本学術会議の在り方について(中間まとめ)(案)」では、会員数を200~300人程度とし、部制も現行の7部制から2部門・3部門の大括りにする構想を示している。この専門調査会案は、3~4週間のパブリックコメント期間を経て、12月下旬ごろに総合科学技術会議の本会議で最終報告として了承される予定になっている
    このように、二つの改革案にはかなり大きな隔たりがあり、改革の成りゆきはなお不透明だが、いずれにしても、本来なら来年中に行われるはずの第19期の日本学術会議会員の選出は、大きく日程と方法の変わることが予想される。